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◆その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。

2011年08月06日 20時05分13秒 | 労働法
(詩篇七二・一九)

これは大きな祈願である。一つの町のためにとりなしをするには、信仰の拡大が必要である。そして時に、一人の人のために祈ることすら、私たちは負担を覚える。しかし、この詩篇記者の臨終の際のとりなしは、なんと遠大なものだろう。なんと広範囲で、また崇高なものだろう。「その栄光は地に満ちわたれ。」どれほど迷信に陥っている国をも除外せず、どれほど異教の国であろうと、一つの国民も除外しない。あらゆる文化の人のため、あらゆる土地、および民族のためにこの祈りはささげられている。地上に住むすべての者が含まれ、アダムの子孫の一人も除外されてはいない。
立ち上がって、私たちは主のために働かなければならない。そうでなければ、正直にこのような祈りをささげることはできない。私たちが神の助けを求め、主の御国の拡張のために努力するのでなければ、心からこの祈りをすることは不可能である。
私たちのうち、この祈りをなさず、努力もしない者はないか。友よ。これはあなたの祈りだろうか。目をカルバリに向けよ。十字架につけられ、額にいばらの冠をいただき、頭から、手から、足から、血のしたたるいのちの主を仰ぎ見よ。あなたは、この奇蹟中の奇蹟、神の御子の死を、ことばに尽くせない崇敬の思いなくして見つめることができるか。主の御血があなたの良心に注がれるのを感じ、主があなたの罪をぬぐい去られたことを知りながら、ひざまずいている場所から立ち上がって、「その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン」と叫ばないならば、どうだろう。愛に満ちた服従の心をもって十字架にかかられたお方の前に頭をたれているのに、全世界の王である、あなたの主を見ることを願わないでいられるのか。王を愛するふりをしており、主が全世界の支配者となられることを願わないなら、あなたの愛は偽りである。あなたの受けたと同じあわれみで、全世界が祝福されることを願わないならば、あなたの敬虔さは無価値である。
主よ。今は収穫の時です。どうか、あなたのかまを入れて刈り取ってください。


広島・長崎66年

2011年08月06日 18時20分18秒 | 平和・基地
核兵器廃絶、被爆者援護求め

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 アメリカが広島と長崎へ原爆を投下してから66年を迎えます。

 都市を焼き尽くし大量の市民の命を奪った原爆投下は国際的に許されない犯罪です。被爆者はいまなお放射能の被害に苦しんでいます。東京電力福島原発事故で放射線の被害に不安が高まるいま、核兵器廃絶とともに被爆者援護・連帯をかかげてきた原水爆禁止運動の意義が大きくなっています。

いまなお続く被爆の被害
 1945年8月6日と9日、広島と長崎にそれぞれ投下された世界で初めての原爆の爆発と爆風、熱線、さらに原爆特有の放射線は、一瞬のうちに二つの都市を破壊し、その年のうちに20万人以上の命を奪いました。助かった人や救護のため入市した人たちも放射能の被害を受けがんや白血病などにおかされ、死の恐怖と向かい合う毎日を強いられています。

 被爆者の高齢化は進んでおり、これ以上放置することは許されません。被爆者は核兵器の廃絶とともに、国家補償を求めてきました。政府の責任は明らかです。被爆者の願いに応えて原爆症認定基準を改めるとともに、一日も早い国家補償を実現することこそ、政府のつとめです。

 原爆投下による悲劇を二度と繰り返さないために、核兵器の廃絶を求める国際的な世論と運動は前進しています。核兵器廃絶を正面から掲げた国際交渉、核兵器禁止条約の交渉開始をもとめる声は、国連総会でも、非同盟諸国会議などでも、大きく広がっています。日本原水協がよびかけた「核兵器全面禁止のアピール」国際署名も内外の賛同を得て前進しています。ぜひともこの流れを実らせ、「核兵器のない世界」を実現していくことが、被爆者自身の願いに応えることにもなります。

 日本国民は広島・長崎の被爆の後も、太平洋上のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による「第五福竜丸」の被災を経験してきました。原水爆禁止運動は、被爆者援護とともに、核実験やチェルノブイリ原発事故など放射線被害に苦しむあらゆる人々との連帯、被害の根絶を訴えてきました。

 東京電力福島原発の炉心溶融・爆発事故では、いまだに10万人近い人たちが避難を続け、放射性物質による農産物などへの汚染も広がっています。原発で働く人だけでなく、子どもたちなどへの影響も懸念されています。原発事故で原子力の危険が浮き彫りになり、国民の不安と関心が広がったことに応える国民的運動がもとめられています。

原発被害者とも連帯して
 原水爆禁止運動は、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯などを一致点にした運動です。原発からの撤退の一点での幅広い共同もすすめられています。それぞれが、一致点にもとづいて幅広い共同をすすめることが重要です。

 同時に両者に共通するのは、膨大な「死の灰」と放射線被害をもたらすことです。原発が軍事利用の転用であったように、軍事が両者の出発点でもありました。

 原発と人間社会が共存できないことがはっきりしたいま、原子力を大量殺りくに使う核兵器と人類が共存できないことは、いっそう明白です。

 あらゆる放射線被害者への援護・連帯を発展させながら、核兵器禁止条約の実現にむけて前進することが期待されます。



広島原爆の日:広島平和宣言(全文)

2011年08月06日 17時32分43秒 | 平和・基地
 66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。--「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経(た)つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです」

 ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。--「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた」

 原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。--「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。……『ごめんなさい』……」

 それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。

 被爆者は、様々(さまざま)な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇(よみがえ)らせました。

 その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。

 私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。

 今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿(ほうふつ)させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

 また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

 日本政府は、このような現状を真摯(しんし)に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

 平成23年(2011年)8月6日

 広島市長 松井一実



広島

2011年08月06日 17時29分26秒 | 平和・基地
「減原発」を改めて主張 菅首相、広島で会見関連トピックス菅直人原子力発電所.
 菅直人首相は6日、広島市での平和記念式に出席後、同市内で記者会見し、「原子力に大きく依存してきたこれまでのエネルギーの将来目標を白紙から見直し、依存度の低減を段階的に進めていくべきだ」と述べ、政府として「減原発」路線を進める考えを改めて示した。

 首相は会見で、核抑止力について「核廃絶が実現すれば、核抑止力は必要ない。核兵器のない世界を目指すことが我が国の方針で、最大限の努力をしたい」と語った。退陣の条件に挙げている特例公債法の成立については「これが成立しないと国民の生活にとっても大震災の復旧・復興にとっても難しいことになる。何としても国会の会期中に成立させてほしい」と述べるにとどめた。


広島

2011年08月06日 09時15分13秒 | 平和・基地
 広島は6日、原爆投下から66年の「原爆の日」を迎える。午前8時から、平和記念公園(広島市中区)で平和記念式があり、松井一実市長が平和宣言で東京電力福島第一原発の事故に触れ、政府にエネルギー政策の転換を求める。

 式には過去2番目に多い66カ国の代表が参列。昨年、初めて政府代表のルース駐日大使が出席した米国からはズムワルト首席公使が参列する。国内外で被爆者健康手帳を持つのは3月末現在で21万9410人。平均年齢は77.44歳。


◆潔白な生き方

2011年08月06日 08時53分43秒 | 聖書
正しい人が潔白な生活をするときに、
彼の子孫はなんと幸いなことだろう。(箴言二〇7)

少年時代、私の家の裏に、私の父と同業のMさん一家が住んでいました。Mさんは教育関係の役人で、県庁に勤めていました。ところが、ある日突然、収賄罪の疑いで警察に引いていかれました。ショックでした。自分の父が縄を打たれ、手錠をはめられる姿を想像して、子ども心にたまらなくなりました。私は家中を捜して、人からもらった菓子折りやら、かつお節の箱やら、ありとあらゆる贈り物の証拠になるような箱を集めて、泣きながらふろのたき口で燃やしました。すると、父と母が私のところに来て、肩を抱いて言いました。「お前のお父さんは大丈夫だよ。」その時の安堵感を、今も思い出します。
聖書は、潔白な生き方、まっすぐなきよい生き方を大切なこととして命じています。なぜ潔白な人が幸いであり、その子どもたちが幸いなのでしょうか。
第一に、神を信じ神に心をきよめられた人が、神の前に出られるからです。きれいな断面でなければ、接ぎ木ができず鋳かけもできません。キリストの血できれいにしていただいた人の心は、神とつながり、神の愛・神の平和・神のいのちとつながるのです。
第二に、きよめられた心・正しい良心・正しい信仰からこそ、愛がわきあがるからです。人生で最大のものは愛です。愛は神から流れ、父母から子孫に流れていきます(Ⅱテモテ一5参照)。
第三に、神はきよめられた人生を用いてくださるからです。きよめられた者こそ、ほんとうの意味で人生で役に立つのです。クリスタルのコップでも、よごれていれば使えません。ジャムのあきびんでも、きれいなら水が飲めます。
私たちをほんとうの意味で潔白にしてくださるのは、神だけです。キリスト・イエスの血は、すべての罪から私たちをきよめます。


◆夜回りよ。今は夜の何時か。

2011年08月06日 08時49分37秒 | 労働法
(イザヤ二一・一一)

私たちの周囲には、どのような敵がいるだろうか。誤った見方は多くあり、新しい見方が次々と紹介されている。私は自分で見張り所に立ち、目を覚まして祈らなければいけない。私たちの天の守護者は、私たちに対するすべての攻撃を知っておられる。そして悪い計画がまだサタンの胸中にある時、私たちが麦のようにふるいにかけられる時にも信仰がなくならないように、私たちのために祈られる。続けてください、恵み深い夜回りであられる神様。敵が来るのを私に告げることを。シオンのために沈黙を守らないでください。
「夜回りよ。今は夜の何時か。」教会にはどのような天候が訪れようとしているのか。雲が低くなっているか、それとも晴れわたっているか。私たちは細心の愛をもって、神の教会を見守らなければならない。異端と不信仰が教会を脅かしている。私たちは時のしるしに注意し、闘いの備えをしよう。
「夜回りよ。今は夜の何時か。」どのような星が見えるか。どのような尊い約束が、今の私たちにふさわしいか。あなたは警鐘を打ち鳴らし、同時に私たちに慰めをも送る。キリストは北極星であり、決してその位置を変えることはされない。そしてすべての星は主の右の手に保たれる。
しかし夜回りよ。いつ朝は来るのか。花婿の来られるのが遅れている。義の太陽として主のおいでになるしるしは見当たらないか。夜明けのしるし、明けの明星はまだ上っていないか。いつになれば、明るくなってやみが逃げ去るか。イエス様。あなたが今日、待ち望む教会に臨まれるのでなければ、聖霊を通して私の嘆く心に来て、喜びの歌を歌わしめてください。
 今や全地はさわやかな朝を喜び
 輝きに満ちています
私のたましいは冷たく、悲しみで暗いままです
 たましいの太陽よ
 あなたの夜明けを見させてください
 来てください。主イエス様
 みことばのとおりに、速やかに来てください


出エジプト記3章15-17節

2011年08月06日 08時45分10秒 | 聖書
3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」 先に、神様はモーセに対して、「わたしはある。」という者だということを語られて、そのご存在のあり方を告げられました。本日のところでは、そのお方をどのようにお呼びするかということが語られています。まず告げられていることは、このお方は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるということです。彼らの父祖たちのところに現れ、彼らと契約を結ばれた神であると語っています。つまり、イスラエルの民を形成され導いてこられた神である、と告げておられるのです。そして、そのお方の名は、「主」であられると告げています。つまり、主なる神であると言われているのです。主とは、この天と地を造られて、今もそれをご支配しておられる方、という意味です。つまりこれが、真の生ける神の呼称である、と言われるのです。

●管理監督者に許可は不要●

2011年08月06日 08時38分57秒 | 労働法
労基法では労働時間に関して厳格な規定がありますが、こうした労働時間規制の対象外となる労働者も同時に規定していて、その代表例が「管理監督者」です。この労基法上の管理監督者が社内的な管理職とイコールでないことはもちろんですが、それでも会社としてはこの管理職が管理監督者と同様のものとして労働時間規制の対象外と取り扱うことがあるのは、この労働時間に関する除外規定の適用について、何ら労基法上の手続が求められていないことがあります。