座間コミニティー

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◆まやかしよりも変わらぬ愛を

2011年08月01日 09時28分05秒 | 聖書
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。
貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。(箴言一九22)

これはトルストイの話だったと思います。一人の紳士が道端の物乞いにお金をあげようとしましたが、あいにく、お金がありません。「兄弟。すみません。ちょうど持ち合わせがなかった。」その物乞いがにこにことうれしそうなので、隣の物乞いが聞きました。
「いったいいくらもらったんだ。大分、うれしそうじゃないか。」「いや、一文ももらわないけれど、あの紳士は、おれのことを『兄弟』って呼んでくれたんだ。」路上生活者が四十万人もいるというインドのカルカッタで、死にかけている人・捨てられた病人や子ども・ハンセン病の人々は、中でも最も貧しい人々です。そういう人の友となったマザー・テレサは、ノーベル平和賞を受賞して有名になりました。多くの人々が、「あなたがいくら一生懸命やっても、カルカッタから貧乏人は減らない。そんなことより、政治を動かす社会改革が大事ではないのですか」と、批判したり質問したりします。マザー・テレサは、こう答えるそうです。「社会を変えるのは神さまの仕事です。しかし、貧しい人々がほんとうに苦しんでいるのは、貧しさよりも病よりも、社会に捨てられたことなのです。最も恐ろしい貧しさは、孤独です。私はそんな人のそばにいて、『神さまは、あなたを愛していらっしゃる。神さまはあなたを必要としていて、生まれさせてくださった』と分かっていただくようにするのです。」
富める者が与えるパンやルビーよりも、人がほんとうに求めているものは、変わらない、人の愛なのです。富める人のまやかしの慈善よりも、貧しい人の心から流れ出すほんものの愛が、結局人の望むものです。そして、それこそ人を、また人の世を変えていくものではないでしょうか。
神だけが、キリストの血潮で、罪をゆるしきよめ、人の心を愛の入れ物としてくださる方です。


◆どうぞ、畑に行かせてください。……落ち穂を拾い集めたいのです。

2011年08月01日 09時21分43秒 | 聖書
(ルツ二・二)

力を落として悩むクリスチャンよ。来て、今日、広大な神の約束の畑で落ち穂を拾え。そこにはあなたの願いを満たすたくさんの約束がある。その一つは、「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく……」という御約束である。これはあなたの場合に適してはいないか。葦は目立たない無力なものである。傷ついた葦から音楽は出ない。弱いものの中で最も弱い葦が傷ついても、主はそれを折ることなく、かえっていやし、また力づけられる。あなたはくすぶる燈心のようだ。光も暖かみもあなたからは出てこない。しかし主はあなたを消すことなく、あわれみの息を送ってあなたを燃え立たせられる。
あなたはもう一つの落ち穂を拾いたいか。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」なんとやわらかなみことばであろう。あなたの心が傷つきやすく弱いことを、主は知っておられる。だからこそ、このように優しく語ってくださるのである。今あなたは、主のみもとに来ないだろうか。
さらに、もう一つの落ち穂を拾え。「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。……あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。」このような驚くべき保証を与えられていて、なぜ恐れるのか。
あなたはこのような黄金の落ち穂を、聖書の中から限りなく拾うことができる。「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。」「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」
主の畑は非常に豊かである。抱えきれないほどの落ち穂を見よ。臆病な信者よ。落ち穂はあなたの目の前に置かれている。それを拾い集めよ。恐れるな。ただ信ぜよ。これらのすばらしい約束をつかみ、黙想によってもみがらを取り去り、喜びをもってそれを食べよ。


出エジプト記2章16-22節

2011年08月01日 09時04分38秒 | 聖書
2:21 モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。2:22 彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ。」と言ったからである。 モーセは、ミデアン地の祭司のところに住むことになりました。彼が助けた女性たちが、祭司の娘たちであったからです。モーセは思い切って、一緒に住むようにしたと、語られています。自分とは、直接には関わりのない人ですし、また生活も異なっているように思えたので、決断が必要であったようです。また、この事がきっかけとなり、その祭司の娘のチッポラを自分の妻として迎えることになりました。彼は、異国の神をまつる祭司の下で、異国の民の娘を自分の妻として迎えることによって、異国の民としての生活の一端を味わう者とされました。そこで、異国人として生活することがどのようなことであるのかを、学んだことでした。彼は、今まで自分が全く知らなかった、イスラエルの民が異国の地であるエジプトで暮らしていることの困難さを、身をもって味わう者とされたのです。苦しみを知るということは、神の配慮でした。

●転籍についての同意●

2011年08月01日 08時58分15秒 | 労働法
(在籍)出向と異なり、転籍(出向)は、従来の労働契約を解消するものですから、本人同意が必要です。しかし契約時に、あらかじめ転籍があることを本人に伝えたうえで労働契約を締結している場合、転籍についての同意があったとされる余地も出てきます。しかしこうした事前同意は、労働契約締結時に、転籍後の労働条件などを提示していることが必要で、ただ転籍することがあるといった抽象的な通知では十分ではなく、事前同意があったとは認められません。