浄土へと初夏の雲漕ぐ菩薩かな
(じょうどへとしょかのくもこぐぼさつかな)
鳳凰堂を遠く包みて残り藤
(ほうおうどうをとおくくるみてのこりふじ)
「藤」は春の季語です。
さすがに、平等院でも、ほとんど終わっていました。
半眼の如来の慈顔新樹光
(はんがんのにょらいのじがんしんじゅこう)
鳳凰堂本尊の阿弥陀如来坐像。
パンフレットの写真よりスキャンさせていただきました。
浄土へと初夏の雲漕ぐ菩薩かな
(じょうどへとしょかのくもこぐぼさつかな)
鳳凰堂を遠く包みて残り藤
(ほうおうどうをとおくくるみてのこりふじ)
「藤」は春の季語です。
さすがに、平等院でも、ほとんど終わっていました。
半眼の如来の慈顔新樹光
(はんがんのにょらいのじがんしんじゅこう)
鳳凰堂本尊の阿弥陀如来坐像。
パンフレットの写真よりスキャンさせていただきました。
最新のCGを見て、想像できました
>鳳凰堂を遠く包みて残り藤
>半眼の如来の慈顔新樹光
初夏の雲漕ぐ菩薩・・いいですね。好きな句です。
平等院のあの素晴らしい藤も残り藤でしたか。
それでも素敵な写真にかつて見た満開の藤を思い
重ねて見させてもらいました(笑)。
如来に新樹光の取り合わせもいいですね。
「鳳凰堂を遠く包みて残り藤」
「半眼の如来の慈顔新樹光」
仏像のお顔はみな優しくて心が和みますね。
自分は何処から来て何処へ行くのかという不安を委ねられます。
「初夏の雲漕ぐ」見事な措辞ですね。
鎌ちゃんならではの発想だと思います。
>鳳凰堂を遠く包みて残り藤
「残る花」と言えば桜を指しますが、「残り藤」の
語彙もそれなりの藤の花を惜しむ気持ちが
込められていますね。
「遠く包みて」も俳味たっぷりで心に響きます。
>半眼の如来の慈顔新樹光
菩薩様の眼はこのようなものだと思っていましたが
「半眼」と言う表現にあっとしました。
細かい視点で詠まれていますね。
下5の「新樹光」も効いています。
浄土へと初夏の雲漕ぐ菩薩かな 鎌ちゃんさん
今日は気温が上がると言われていますが・・。
雲の上とは涼しいのでしょうね。
粋な姿の菩薩様ですね。
鳳凰堂を遠く包みて残り藤 鎌ちゃんさん
鳳凰堂観光、良いところに行かれたようですね。
皆様のブログで見るばかりです。(*^。^*)
残り藤とは一足遅かったようですね。
でも鳳凰堂の中は見事なものなのでしょう。
半眼の如来の慈顔新樹光 鎌ちゃんさん
京都は写真撮影が制限されているところが多いので
カメラを持って歩くのは気が引けます。
まことに半眼の思いで如来を眺めることになりますね。
鳳凰堂を遠く包みて残り藤
見事な藤棚、盛りの頃は見惚れるほどでしょうね。
残り藤、が効いていますね。
日々句に親しんでおられる鎌ちゃんさんが見えるようです。
半眼の如来の慈顔新樹光
菩薩様をよくみておられますね。
慈顔と新樹光の取り合わせも素敵です。
残念なことに、まったく、何にも覚えていません。
こんな立派な藤棚もあるのですね。
どの花も、花盛りばかりでなく残り○○○も良いものです。
しばらくすると長い豆の莢がぶら下がって、それもまた楽しい光景。
そんな光景には、鎌ちゃんはどんな句を詠まれるのでしょうね。
初夏の雲に乗ってゆったりと艪を漕いでおられます。
ワタシも導いてもらいたいですがまだまだ修行が足らないのでしょうね。
< 鳳凰堂を遠く包みて残り藤
< 半眼の如来の慈顔新樹光
皆様も仰ってますが「初夏の雲漕ぐ」が良いですね!
よし様も、菩薩様に導かれ、
浄土へと雲を漕いでいらっしゃるかもですね(泪