もう堪忍して頂戴!、勘弁して頂ー戴!、と喚いたところで三つ葉葵の印籠など示せない小生としては泣きをみるしかないのである。やはり自転車操業の水商売、水域の下郎!でしかないのであった。
何日もかけて放流口の漏水孔潰しをして改修も施して「やれやれ終わり…」と思った翌日、様子を確認して仰天凝視、既にフリースの季節は終わったのにフリーズしてしまった。反対側に漏水孔があるのを視認してしまったのである。下流域の流出孔から作業の度に濁り水が出ているし、いまだに流出しているので漏水孔を全滅できていないのは理解はしていても、いささかゲンナリとしていた作業だったのも事実だ。
しかしながら、そこで見放してもお尻は小生が始末しなければならない「出来る事は自分でやりなさい」がデイケアサービスの真髄、で、タケノコを掘るどころの話でも無く気分でもない漏水孔掘りを再開。右岸の補修に続き左岸も補修し終えて埋土鎮圧し一息ついていたところで余計な妄想が浮かんだのだった。「現在、丸太で護岸壁を構成しているオーバーフロー部の両側をコンクリートパネルに変えれば次回の補修も護岸効果も高まるだろう」と言う妄想で、そのパネルはすでに廃止した拠点テーブルの椅子の土台として放置されたままになっている。他に用途は無いからそのままになっているのを「使い回し」で活かすことが出来る。
まあ、左様な観点で一輪車を拠点まで運び2枚のパネルを運び下ろした。長さはギリギリだけれど何とか使えるし、何よりも側壁が頑固になって見た目も麗しい。他人はそうは見ないだろうけれど爺我自賛では「極めて麗しく」見えるのだった。この側壁のパネルは、左岸の漏水孔を潰し新たに護岸丸太を据えてからの着想だったから、一旦は取り崩してしまうという二度手間でもあったけれど、やっただけの効果はあって、放流路段差工の上部にしか水か堪らず涸れていた中段部まで水が伝っていくようになっている。漏水のすべてを止める事は出来てはいないけれど多少の効果は目に見えてきたのだった。
➡
水よ水よと誘うよ孔が孔は居良いか住みよいか ハアタマランタマラン