先日(11/23※土曜)に聞いたNHKラジオ「マイあさ※サタデイエッセイ」の再放送が最終日だったので聞き直しました。当日のエッセイストは森達也(映画監督)氏でした。内容が心に強く残ったので再び聞き直した次第。
森監督は、先日に封切られた映画「i新聞記者ドキュメント」の制作監督。その制作意図などをラジオで話してくれたのです。映画は注目の新聞記者 望月衣塑子氏をドキュメントとして追ったもの。先般の映画「新聞記者※(金沢市で観ました!)」の姉妹編と呼んでもよさそうです!?個人的に観たいなと思ったものの近辺では上映の予定が無い様子。(この種の映画は観客動員が見込めないのでしょう? 特に富山県では・・・。残念!)※映画の内容についてはネット等である程度推測出来ます。
森監督の話で印象に残ったことがいくつかあります。一つは、官房長官へのしつこい記者会見を繰り返したことの是非を巡って賛否両論がある中、メディアの使命として当然だろう!と言っている点。(個人的にも政治の腐敗を看過しない望月氏の記者魂に共感しています。)
森監督は「メディアは社会の合わせ鏡」なのだと指摘し、メディアが劣化しているとすれば社会が劣化しているのだと言います。そして、現在の日本は「三流の国」になっているのではないかと懸念している様子。(特に官邸を取材する記者クラブの腐敗を指しているようです。)それは、次々と起こる政治の不祥事がいつもあやふやな内に終わってしまうことについての批判なのです。
何故、それぞれの不祥事の話題が消えてしまったのか?それはメディアが隠しているわけではなく、(国民の)皆が興味を持たなくなったからだとのこと。皆が興味を持続し声を上げ続ければメディアも頑張るというのです。そうなれば、停滞した政治も変わるかもしれない!? しかし、結局は声を上げる人も少なくなりメディアも旗を降ろすという状況が続いているというのです。このことが、特に強く印象として残りました。
結局メディアの劣化を描きながら社会全体が劣化していると森監督は捉えていたのです。今、改めてトマス・カーライルの言葉「この国民にしてこの政府あり」を思い浮かべました。個人として大変共感し、強く印象に残った「マイあさ※サタデイエッセイ」でした。
そう言えば、今日(12/2)のTV「モーニングショー」や「ひるおび」でも、現在問題となっている「桜を見る会」の問題的事項を明らかにすべきという雰囲気に充ち満ちていました。今、問われるのは国民全体の持続した関心度かもしれません!?
これまでの経過では、内閣府の官僚が政権に抗うような?雰囲気を少し感じさせてくれ、今回こそは!?とちょっと期待したくなりましたが・・・。(土)
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