ある国にこんなことわざがある。「本がないより靴がない方がまし」。北欧のアイスランドである▼ことわざの大げささを差っ引いたとしても靴より本が大切とは驚く。冬場に靴なしでは過ごせぬ亜寒帯のお国である。読書の盛んな国として知られ、2年前の調査によると国民は1カ月に平均2・4冊の本を読むという▼「靴よりも本」という国があると思えば日本の場合は「スマートフォンがあれば本なんて」ということになるか。国語世論調査によると1カ月に本を全く読まない人の割合は62・6%。前回調査(2018年度)から約15ポイント増え、過去最多である。かの国の2・4冊は遠く、読書離れに歯止めがかからない▼読書量が減っている理由として、スマートフォンなどの情報機器の使用に時間をとられているという回答が最も多いそうだ。なるほど、本の世界は楽しいけれど、入り込むまでが骨で深夜に疲れて帰宅し、ソファの上にひっくり返るなら手に取るのは本よりもスマートフォンの方が気楽というのはよく分かる▼クリスマスに本を贈り合うのはアイスランドの伝統だそうだ。もらった本をクリスマスの夜に読む。お供はホットチョコレート▼読解力、文章力の向上に役立つから本を読めと訴えても押し付けがましく、逆効果だろう。本を読むのは単純に楽しい。そのことを広める新しい伝統がこの国にもほしい。
作家、登山家の深田久弥は著書『日本百名山』で富士山について「おそらくこれほど多く語られ、歌われ、描かれた山は、世界にもないだろう」と書いている▼老いも若きも男も女も、あらゆる階級、職業の人々が登る。子どもの時から富士の歌を歌う▼どんな山にも一癖あるものだが、富士は東西南北どこから見ても美しく整っており、ただ単純で大きいとして深田はそれを「偉大なる通俗」と呼んだ。大きな単純は万人向きで、何人をも拒まぬ代わりに何人も究極の真理をつかみあぐねる。幼い子も富士の絵を描くが、その真の表現には画壇の巨匠もてこずる▼本来は万人を拒まぬ山だが、安全のためには制限もやむを得ないのだろう。静岡県が、条例による登山の規制や入山料(通行料)徴収を来年の夏山シーズンから導入することを検討している▼今年の夏山シーズンは終わったが、山梨県が通行料徴収や夜間の入山制限などを始めたところ、夜通しで一気に登頂する「弾丸登山」が減ったそうだ。これら無理な登山は外国人観光客らにみられるが、遭難にもつながる。静岡が足並みをそろえるのも自然な成り行きだろう▼深田はこうも書いた。「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きくそびえている」。何者にも許さない何物かをそなえた厳しい山である。なめてはいけない。
「縄文杉」をはじめ樹齢数千年の屋久杉が生きる鹿児島県の屋久島。山は深く、木の精「山和郎(わろ)」の話が語り継がれているという▼昔、木を探しに2人が山に入った。昼食休憩中、近くに巨木を見つけ「たんすにすれば立派なもんができるじゃろうなあ」と言うと急にゴッシン、ゴッシンと、のこでその木をひく音がしだしたそうな▼2人が顔を見合わせていると、次にバリバリバリと巨木が倒れる音がしたが、それは立ったまま。2人は青ざめ、またゴッシン、ゴッシンなどと聞こえ始めたため逃げ帰ったという。音で怖がらせ、切ってくれるなと訴えたのか。『屋久島の民話 第一集』(未来社)で読んだ▼台風10号の接近で強い風が吹いた屋久島で推定樹齢3千年の「弥生杉」が倒れた。高さ約26メートル、幹回り約8メートルの巨木。根元近くから約1・5メートル残して折れたという。山和郎が木を守ろうとしても、自然の強烈な破壊力の前には、なすすべがなかったか。観光地の「白谷雲水峡」にあり、登山経験の少ない人でも見に行きやすい木だったという。地元の人たちの落胆を思う▼屋久杉が長寿なのは、花こう岩の地に育つせいだという。栄養が乏しいために成長はゆっくり。年輪が密となり、樹脂も多くなって腐りにくく、長生きするという▼逆境ゆえの大器晩成とは立派。弥生杉の頑張りをたたえる言葉を山和郎にかけたくなる。