日本人がマグロのすしを食べるようになったのは江戸後期以降。切り身をしょうゆに漬けてネタにし、屋台で供されたという。今のような高級魚ではなく大衆魚の位置付け▼さっぱりした赤身が重宝され、脂の多いトロは敬遠された。動物の肉を食べることが一般的でなく、食感が似たトロは好まれなかったようだ▼トロ人気の急騰は食の西洋化が進み、牛肉などを食す人が増えた戦後。冷凍技術の改良も進み、日本は世界中の海でマグロをとった▼太平洋クロマグロの資源管理を話し合う国際会議が閉幕し、来年以降の全体の漁獲枠を大型魚で1・5倍、小型魚で1・1倍に拡大することで合意した。価格が下がり、食卓に並ぶ機会が多くなるかもしれない。喜ぶべきニュースなのだろう▼いささかとり過ぎたせいで導入された国際的な規制。資源に一定の回復傾向が認められたから合意に至ったのだが、日本が当初求めた拡大幅はもっと大きかった。増枠に正面から反対せずとも、資源管理は慎重であるべきだと訴えた国々があったようだ。野生の生き物が相手ゆえ、その考えも分かる。当面は抑制を続けるほかないのだろう▼鮪(まぐろ)は冬の季語。暑い盛りに季節外れだが、歳時記にこんな句があった。<遠つ海の幸の鮪を神饌(しんせん)となす 黒田晃世>。長いつきあいになった魚は神に供え、ともに味わうのにふさわしい。永続を祈りたい。
ラグビー元日本代表のウイング、福岡堅樹さんは子どものころピアノを習っていた。お気に入りはベートーベンの「悲愴(ひそう)」で繰り返し練習したという▼そのせいか、ラグビーの試合中でも頭の中でベートーベンの曲が流れていたそうだ。頭の中の曲が集中力を高め、気持ちを落ち着かせる効果があった。試合中の運動選手には独特なメンタル術がある▼この選手もユニークな方法で試合に臨んでいたようだ。女子ゴルフのアムンディ・エビアン選手権で優勝した、古江彩佳選手。日本勢の女子では樋口久子さん、笹生優花選手らに続く4人目のメジャー大会優勝者となった▼最終日のプレー中に「メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー(フォースと共にあらんことを)」と頭の中で唱えていたと聞く▼映画「スター・ウォーズ」のファンならおなじみだろう。説明が難しいが、「フォース」とは一種の超能力で、この言葉は善の心を持つジェダイ戦士たちの合言葉になっている。古江さん、この文句で自分を落ち着かせていたらしい▼最大で3打差開いたトップとの差を終盤の5ホールで逆転。15番で決めた12メートルのバーディーパットや18番パー5の2オンを思えばなるほど「フォース」を信じたくなったが、無論、優勝は不思議な力のおかげなどではなく、正確なショットと小技のうまさ、それに諦めなかった強い心の賜物(たまもの)である。
「うん、ほんまに横綱になったんや、母ちゃん」。1974年の大相撲名古屋場所後、21歳2カ月の史上最年少で横綱昇進が決まった北の湖は、宿舎だった名古屋の法持寺から故郷北海道の母に電話で伝えた▼前の場所で優勝し、名古屋の14日目に13勝に達した時点で昇進確実に。取組後に「こんなに長く感じた場所はなかった。特に8日目から今日までが、たまらないほど長かった」と語った▼千秋楽の本割と優勝決定戦はいずれも横綱輪島の左下手投げに屈したが、文句なしの昇進。冒頭の母への言葉は石碑となり、寺の境内に残る▼今年の名古屋場所は明日が初日である。来年から新施設に会場を移すため愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)では最後。会場になった65年以降、北の湖の綱とりをはじめ幾多のドラマがあった▼72年、ハワイ出身の高見山が外国出身力士として初優勝。表彰式でニクソン米大統領の祝辞を駐日大使が読み上げると、涙を流した。93年、曙が貴ノ花、若ノ花との三つどもえの優勝決定戦を制した。曙が若貴に連勝して決し、期待の兄弟対決は見られなかったが、関東地区の視聴率は66・7%に達したという▼北の湖は「憎らしいほど強い」と言われる横綱になるが、名古屋で輪島に連敗した屈辱が原動力になったと後に語った。名勝負は敗者をも育てるのだろう。区切りの場所でも見たいものだ。