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今日の筆洗

2023年05月06日 | Weblog
「能登はやさしや土までも」と古くから言う。素朴な人情が言わしめるようだ▼元禄時代、加賀藩の武士浅加久敬(ひさのり)が能登路を巡り、道すがら綱とる馬子の愛らしい笑顔に出会って「能登はやさしや…」とはこのことか、と納得したと伝わる。その十数年後にも能登を訪問。宿の主人から「今日はめでたい節句だから」と草餅と桃酒を振る舞われた。桃の節句だったのだろう。もてなしに「世間で『能登はやさしや』というが、本当にその通りだ」と旅日記に残した。能登の歴史や民俗に詳しい藤平朝雄さんらの著書『能登燦々(さんさん) 百景百話』にある▼端午の節句の昨日、能登が揺れた。珠洲市で震度6強。その後も地震は続いている。亡くなった人がおり、家屋も倒れた。胸が痛む▼冬の寒さの厳しい能登も今は緑まぶしい季節。揺れのためだろう、山の斜面も崩れていた。今後、雨が降る予報といい、さらに崩れないかと憂える▼昔から森が豊かな能登。万葉歌人の大伴家持はこんな歌を残した。「鳥総(とぶさ)立て 船木伐(き)るといふ 能登の島山 今日見れば 木立茂しも 幾代神(かむ)びぞ」。鳥総とは木を切った時にその梢(こずえ)を株に立て、山神を祭ったものという。そう祭っては船木を伐り出すという能登の島山。木立は茂るが、幾代を経ての神々しさなのか−といった意味という▼山に神がいるのならば、やさしき地のために早く鎮めてほしい。
 
 

 


今日の筆洗

2023年05月03日 | Weblog

「おおきな木」という絵本がある。作者は米国の作家でイラストレーターのシェル・シルヴァスタインさん。日本版は村上春樹さんが訳している▼こんな話だ。おおきなリンゴの木と少年は大の仲良し。ところが大きくなるにしたがって少年は木と遊ばなくなる▼青年になった少年はお金が必要になる。木は少年に自分のリンゴを売れという。少年はありったけのリンゴを持っていく。大人になった少年は今度は自分の家がほしくなる。木は自分の枝を切って家を造ればという。少年はたくさんの枝を切る。次の願いは船。リンゴの木は自分の幹を切って造れという。少年はリンゴの木を切り倒す▼憲法記念日である。絵本が描くのは子どもへの親の無償の愛か。この日は日本国憲法に重ねたくなる。立憲主義、戦争の否定。平和の実のなる憲法という木は少年が戦争に巻き込まれぬようにと長い間、守り続けてきたのだろう▼だが、日本という少年はそのありがたさに気づかない。自分の都合と勝手な解釈によって、その木をたびたび傷つけてきた▼新しいところでいえば、殺傷能力を持つ武器の海外輸出を可能にしようという議論である。家や船を求めた少年と同じ。防衛産業の強化という欲のため、憲法の「平和主義」という幹に鋭利な斧(おの)を打ち込むように見えてならない。取り返しのつかぬ一撃となるまいか。心底、おそれる。


今日の筆洗

2023年05月02日 | Weblog

<羽子(はご)の子の干物を拾ふあやめふき>。江戸期の川柳で、かつての五月の光景だろう。端午の節句にショウブを屋根に飾る風習を詠んでいる。ショウブを飾るとき、お正月に誰かが打ち上げた羽根つきの羽根を屋根の上に見つけたらしい▼羽根からショウブ。句に込められているのは季節の移り変わりの早さかもしれぬ。同じ気分となる。この間、サクラを見たかと思えばもう五月である▼一年を一日にたとえると冬至(十二月二十二日ごろ)は真夜中の午前零時、春分(三月二十一日ごろ)は午前六時。夏至(六月二十二日ごろ)は正午で、秋分(九月二十三日ごろ)は午後六時と気象学者の倉嶋厚さんが書いていた。したがって五月は「午前十時の季節」▼「日はすでに高く、人々の活動は始まっているが、まだ昼食前、期待に満ちた長い午後も残されている」−。あわて者はもう五月かとうろたえるが、そうか、まだ「昼食前」なんだ▼「もう五月」「まだ五月」ではなく今年の五月は「やっと」や「ようやく」の気分だろう。新型コロナウイルスの災厄も落ち着き、八日には感染症法上の分類が季節性インフルエンザと同じ「五類」に引き下げられる。普通のゴールデンウイークが帰ってきた▼観光地などの人出もコロナ前の水準に戻ったという。渋滞や混雑には閉口するものの、「ようやく」の五月。ありがたくかみしめる。


今日の筆洗

2023年05月01日 | Weblog
 「カップ・オブ・コーヒー」−。直訳すればコーヒーのカップだが、野球界の独特の言い方で米大リーグでよく使われる。いい意味ではない▼下部組織のマイナーリーグから大リーガーに昇格したものの、振るわず、またたく間にマイナーに逆戻りする選手のこと。栄光の期間がコーヒー一杯を飲むほどの短い時間という意味なのだろう▼ありがたくない、「カップ・オブ・コーヒー」になることさえ、その選手にとっては大きな目標だったはずだ。なにせ十三年間、大リーグでの出場はなく、マイナーリーグのチームを転々として過ごした。ピッツバーグ・パイレーツのドリュー・マジ内野手。三十三歳。引退を考えても不思議ではない年齢といえる▼その夢がかなった。二十六日の大リーグの試合。代打で初出場を果たした。初打席に向かうオールドルーキーにファンが一斉に立ち上がり、大きな拍手を送る。年俸は低く、生活の苦しいマイナー暮らし。それでも、あきらめず、夢を追い続けたことへの敬意なのだろう▼良い当たりのファウルを打ったが、三振に終わる。それでも拍手が鳴りやまない。試合後、「人生でこれ以上幸せな三振はなかった」と語っていた▼努力すれば報われるとはいいにくい時代かもしれない。が、努力しなければ、報われないのは本当だろう。数えきれぬほど、コーヒーを楽しめる時間を期待する。