<羽子(はご)の子の干物を拾ふあやめふき>。江戸期の川柳で、かつての五月の光景だろう。端午の節句にショウブを屋根に飾る風習を詠んでいる。ショウブを飾るとき、お正月に誰かが打ち上げた羽根つきの羽根を屋根の上に見つけたらしい▼羽根からショウブ。句に込められているのは季節の移り変わりの早さかもしれぬ。同じ気分となる。この間、サクラを見たかと思えばもう五月である▼一年を一日にたとえると冬至(十二月二十二日ごろ)は真夜中の午前零時、春分(三月二十一日ごろ)は午前六時。夏至(六月二十二日ごろ)は正午で、秋分(九月二十三日ごろ)は午後六時と気象学者の倉嶋厚さんが書いていた。したがって五月は「午前十時の季節」▼「日はすでに高く、人々の活動は始まっているが、まだ昼食前、期待に満ちた長い午後も残されている」−。あわて者はもう五月かとうろたえるが、そうか、まだ「昼食前」なんだ▼「もう五月」「まだ五月」ではなく今年の五月は「やっと」や「ようやく」の気分だろう。新型コロナウイルスの災厄も落ち着き、八日には感染症法上の分類が季節性インフルエンザと同じ「五類」に引き下げられる。普通のゴールデンウイークが帰ってきた▼観光地などの人出もコロナ前の水準に戻ったという。渋滞や混雑には閉口するものの、「ようやく」の五月。ありがたくかみしめる。