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今日の筆洗

2024年02月09日 | Weblog
 大阪の画家の娘、赤松良子さんは津田塾専門学校(現津田塾大)、東大を経て1953年、労働省(現厚生労働省)に入省した▼労働問題に関心があったが、当時の霞が関で、上級職の女性を採る役所が他にない現実もあったという。女性の地位向上が任務で女性職員が集う婦人課に配属されたが、次の異動が難しかった。他部署は「女性なんてもらっても」と嫌う▼同期の男性は複数の部署で経験を積んで昇進するのに自分は塩漬け。後に異動するが、任されたのは単調な仕事だった。対等に扱われるのか「先の見通しがつかないのが情けなかった」という。自著『男女平等への長い列 私の履歴書』にある▼女性官僚の草分け的存在で、非議員で文相も務めた赤松さんが亡くなった。80年代、男女雇用機会均等法制定に役所の局長として尽くした「均等法の母」である▼昭和の財界の理解は乏しく、採用や昇進での均等な扱いを努力義務にとどめる妥協を強いられた。理想から遠くとも前に進むのが信条。法は後に厳格化されたが、後進に託された理想に近づく努力は未完だ▼終戦後、進学で上京する列車はすし詰めで外がほぼ見えず、がたんごとんの音の変化で渡河を察し「大阪と東京との間には川がこんなにあるのか」と思ったという。景色見えぬ旅は手探りでも進む人生を暗示していた気も。渡れぬ川に橋を架けた人だった。