tokyoboyの住まいに近い三角橋。地名が目黒、渋谷、世田谷の3区が交差していることから来ているのでは、と述べたのが先のブログ。
その際は余りに近く、何も特徴が無い場所なので写真の掲載などしなかったのですが、ブログ掲載後、時折検索からの訪問客がいらっしゃるので辺りの様子の紹介を。
結構入り組んでいるのですが、最初の写真、左側は目黒区駒場、通りを挟んで渋谷区上原です。では、世田谷区北沢は、というとここでは単に角=松蔭学園敷地の角、が交差点のところに顔を出しているだけです。なお、この通りはTV東京がアドマチックで駒場を特集した時、1位になった”コスモ通り”、東大先端研(昔は一部を宇宙研と呼称)などがこの写真手前左側にあることから”宇宙=コスモ(Cosmo)”という命名だそうな。
この写真は交差点のところにずっと立っている道路拡幅に関する公告。ここから小田急線東北沢駅を越え、井の頭線大山の交差点まで広がる計画があることを述べています。
気が付くと、三角橋から更に直進方向、すなわち松蔭学園の敷地内に赤点線が見えますねえ。確かにここから真っ直ぐ付近では比較的低地部分を進み、井の頭線を潜って最終的には三宿の方へ伸びる計画道路があるのは承知していますが、それを暗示しているんでしょうね。それで環七と環六(山の手通り)の間に中野通りの延長線として補完的環状道路が(俯瞰的に見れば、哲学堂のところで一旦切れますが)中山道から湾岸道路まで抜けることになります。そういえば、代沢の住宅街に”道路建設反対”のバナーが出始めました。
さて先の方で言えば、予備校の河合塾駒場校は既にセットバック済み。東北沢駅は小田急線複々線化で工事中、ここからシモキタの駅まで道路が延びていきます。北からは中野通りが大山まで拡張、延伸してきました。次は大山、東北沢駅間の商店街東側が大幅にセットバックすることになります。そうなるとこの辺り、車の交通量が増えるのでしょうか…?いずれ、写真の風景が一変するのだけは間違いありません。
はじめは、北沢川を暗渠化したところかと思っていましが、どうやら場所が違うようです。
三角橋も現在は、橋がないようなので、昔川があったころの名残りかと思っています。
ブログにある今回の計画道路も上記の河川跡?の低地部に計画されているようです。
何故か気になってしまい、夜も眠れなくなってしまっています。古い!(^^)
昔の河川名を知っている方がおりましたら、コメントよろしくお願いいたします。
http://blog.shimokitazawa.com/blog/
2009/05/post_4da3.html
添付は本ブログの記事なんですが、この中で「目黒筋御場図」という1700年代初頭に作成された絵地図の一部を拡大して紹介しています。
この図をクリック頂くと、上の方、緑で表わされているのが駒場の鷹場、今の東大キャンパス、がお分かり頂けると思います。
その左上端に¬状に水路が出て、それが真っ直ぐ南に向かい、北沢川に合流するのがお分かり頂けるでしょうか?
玉川上水から分かれ、白金方面へ上水を運んだ三田用水が¬の部分なんですが、その下部、これも用水か元々川だったのか、今の時点で不明なのですが、水流が存在していたのが分かります。これがtomさんを眠らせない原因です。
この水流と井の頭線が交差するのは世田谷区北沢1-1で、行かれると分かりますが今でも暗渠でこの地点では水が轟々と流れています。
ここが、現在都道420号線、中野通りになる予定地点です。
ということで、ご指摘の通りここは江戸期川でした。でも、ここまで調べた限りでは名前は判明していません...