ホテルを出て、そのまま前の長安路を20分位でしょうか歩いて、天安門のところに着くまで、マシンガンを持ったSWATとか装甲車両とかの他凄い人出。一瞬今日入れるかな、と思いつつアプローチ、無事天安門を通過することが出来ました。
これで紫禁城に入った訳ですが、それでも凄い人出は変わりません。記憶では20年前には天安門からでなく、東or北側の門からちょこっと中に入って核心部と美術品を幾つか見ることが出来ただけ(と思う)なんですが、今は真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐ景山まで行けるんですねえ。
そして、「午門」に到着。ここから紫禁城内部に入り、入場券が必要となります。
料金は、あ、今や外国人、中国人関係なく60元なんですねえ。日本円で約900円、これは中国の方には厳しいぞ、と思ったら、やっぱりで申し訳ありませんでしたが、ごく一部の人間、大方は外国人、だけがチケット売り場に向かいます。ちなみにこの日(2009年9月26日)までが紫禁城全体が見られる日で、その後10月1日(この日は全面閉鎖)まで見学が制限される旨掲示されていました。
中へ入ると、そこそこの訪問客はいますが外の喧噪が嘘のようになりました。これもやはり記憶では20年前、外国人はUS$20取られたんじゃないかな。それから見れば半額以下になった計算となります。
誰でもビックリする景色ですよね、
外朝の正門、太和門とその前庭です。通常皇帝はここで執務をしていたとか。20年前はここを越えて太和殿までしか行けなかったんじゃないかな。
日本語での説明もあり親切なんですが、問題は余りに広大なエリアで見どころ満載過ぎること。観光ブック一切持たず、のいい加減旅行者にとって、これを見て、覚えて、復唱しながら実際の確認をする、というのは不可能でした^^;
ここを過ぎると、こうした巨大な空間が!
この内部、20年前とはいえ、覚えている”気がします”^^;ここには来たな、と感じました。
で、中和殿は太和殿の後ろにあり、皇帝が休息する場所だったとか。
その後が保和殿。科挙の制度はご存じでしょうが、ここでその最終ステップ、殿試が行われたそうです。ここまで述べた前三殿を囲むのが保和殿の東西ウィングとも言えるもので絵画館とかになっているそうです。行けば展示が見れたのかな?
次からが後三宮と言われるところ。内廷を構成しているんだそうです。最初が乾清門(清代の執務室)、そして進むと乾清宮、明朝時には皇帝の寝殿、後には執務室となったとか。周りはこの宮の東西ウィングで皇子達が勉強していたりしていたとか。
これが執務室内と天井のデコレーション。
次の小さいところが交泰殿、皇后が誕生日のお祝いを受けるところと、坤寧殿。これは明代に皇后が生活する正宮。後に結婚の儀式や初夜を過ごす場所になったそうです。そして坤寧門が後三宮の北門。ここを出ると御花園です。
御花園には映画「ラストエンペラー」で出て来た英語教師が居た場所とかあるんですが、メインは真ん中に一段高い欽安殿という道家の天帝を祭る場所だと思います。
上の写真にある建物の”土台”は侵食で出来た奇岩で、上海や蘇州の有名な公園でも貴重なものとして紹介されます。
御花園の北門、順貞門を出るとほぼ外に出た感じで、ぐるっと外壁が紫禁城を囲み、そして城全体の北門である神武門で外に出ます。道を隔てれば次の公園、景山です。
この神武門が故宮博物院としての正門だそうですから、私も20年前こちらから入って限られた場所を見たのかも知れません。覚えているのはこの神武門と順貞門の間の回廊にトイレがあって、男性用に入ったら幾つか穴が開いていて、麻縄のようなものがぶら下がっており、それでお尻を拭いている男性と目が合った、という強烈な”もの”。で、全部忘れちゃった^^;
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以上、紫禁城(故宮博物院)編でした。現地に居る時上述の詳しい情報を持っていた訳ではありません… 今回執筆時にこのサイトを参考に書きました 事前に見ていても頭に残んないでしょうがね、どうせ^^このヨーロッパ旅行全体に、ブログにしているから後で調べてようやく分かった、というのが続出しております
この北京編にしても上述のサイトを見ると、サイド・ラインで乾隆帝や西太后が実際住んでいた場所とかあったのに見逃していることを”発見”してしまいました…
次に故宮と王府井との間にある胡同を貫く小道の様子を。tokyoboyが最初に北京に訪問した1990年(天安門事件の1年後。ということは訪問時は国慶節的には60周年、天安門事件的には20周年の節目だった訳です。)に一番印象的な風景だったんですが、北京オリンピックで全部壊されちゃったかなあ、と心配していたんです。
でも庶民は強かった、ということですかね。この風景が東京で言えば皇居の脇、銀座との間といった地点ですから大手町と日比谷に当たる場所にあるんです。北京恐るべし^^
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最後に王府井大通りの今の様子。家族には顰蹙を買いましたが、上述の約20年前の初訪問では国営デパートが2-3在って、チャイナ服とかとても買えない代物を売っていただけだったんですが、今はきっと同じデパートだと思うんですが1階は日本と同じ化粧品とヨーロッパのブランド物が並んでしました。
これじゃ、北京のお土産物買えない、と入ったデパートのB1Fは中国っぽい商品を扱っていてだったんですが、この季節は仲秋に近くかなりのスペースが月餅で埋まっていました。お世話になった方々に贈る風習、と聞いていますがどれも立派なパッケージで値段も高い。
でも、家族の統一した意見は”これ、何時作ったの?”でありました。大きい、本格的月餅には卵が入っていますので、本当はそんなに作り置き出来ない筈…
で、帰国後日経だったか、”中国本土から香港に訪問した人達が山のように持って帰るのが月餅:品質的に本土のものは(食品添加物の固まりで)信用が出来ないから”という趣旨の記事を読みました。深く納得致しました
最後に王府井に出来た屋台村のスナップ。サソリは未だ動いていました…
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