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オリジナル水辺ノ世界の作品を掲載

「稔と十和子」8

2018年08月14日 | T.B.2003年

なぜ、逃げるように立ち去るのだろう、と
ただそれだけで
思わず十和子を追いかける。

「十和子、さん」

追いつくのはあっという間。
水辺の近くで
すぐに彼女の腕を取る。

「………!!」

「どうしました?」

驚いているが、
彼女は首を横に振る。

なんでもない、と。

そんな訳が無かろう、と
十和子の目を見つめる。

「あ……う」
「?」

困った様に声を出されて
ふと気がつく。

耳が不自由な彼女。
相手の言葉は口元で読み取るが
彼女自身の言葉は手話だけ。
そして、その手を今、自分が掴んでいる事を。

「すみません」

そっと手を離す。

それから十和子は慌てて手話で何かを説明するが
稔にはそれが読み取れない。

「ああっと、ごめんなさい。
 何か文字に、いや」

うん、と稔は言う。

「ゆっくり話して。
 口の動きで読み取るから」

十和子は暫く躊躇った後
目線を逸らして、
つまり、稔の返事を見ないように
静かに呟く。

『先生は、毎日お疲れだから』
「はぁ、まぁ」
『お休みの日にまで
 お仕事を思い出したら、嫌でしょう』
「………いや、」

そんな事は、と
返す前に、彼女の口元が動く。

『私の事、苦手、でしょう?』

痛いところを突かれ
思わず顔が歪む。

そうではない。
決して彼女のことが嫌いな訳では無い。
ただ、裏の仕事まで見透かされたようで
避けていた。それは、確かにそうだ。


『だから、せめてお休みの日は
 会わないようにって』


「………」
『あんな立ち去り方だと
 勘違いさせますよね。ごめんなさい』
「あ」

「俺、は」

何をしているんだ、と
言葉が漏れる。

医師ではない、もう一つの仕事。
そういう役目は必要だし
村のためだと誇りに思う。

ただ、

誰かが気遣ってくれた事も
もうきっと、
疑ってしか見ることが出来ない。

『先生?
 具合悪いですか?』

いいや、と首を振る。

「誤解させてしまって、すみません。
 避けては居たけど
 嫌いなわけでは無いんです」

もし、狩りで父親が死ななかったら、
家族を抱えて居なければ、

「………こんな、
 卑屈に過ごすことも無かったのだろうけど」

十和子が手を握ってくれて
声が漏れていた事に気がつく。

『………』

彼女も何も言わない。

取り繕わなくては、と
焦る気持ちもあったが、
今日はなぜだか、もういいか、という気分になる。

しばらく、何も話さないまま、
2人は水辺に佇む。


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