Ⅳ号戦車の架空の装甲強化案です。名称をK2型としました。
以前モデルアップした前の型はK1型となります。
地上と車体の間を40cmから50cmへ引き上げるため、直径の大きい
鋼製転輪に換装しました。シュルツェンはその為上下幅が短くなっています。
史実では、1943年9月7日に兵器局第6課ホルツ・ハウァー少佐からⅣ号戦車の
最低地上高を400mmから500mmにするように提案がなされており、変更箇所
が大きすぎるという理由で却下されています。
その時のプランは、おおよそ次のⅢ/Ⅳ号戦車のプランと同じもので、転輪を
直径の大きなものにしたのだと思います。
● Ⅲ/Ⅳ号戦車 A型
Ⅳ号戦車がG型からH型に更新される時、軍側から装甲強化に関する要請がなされ、
クルップ社は上図のような提案を返しました。
1943年2月5日の提案は上部車体を傾斜装甲で設計しなおすとともに、砲塔の後面
を45mm厚の装甲板にして対戦車ライフル対策としています。その重量増加のためか
砲塔後部の雑具箱はなくなっています。
そして全体の重量増加対策としてキャタピラを560mm幅の冬季仕様にするとして
いますが、結局全体の重量増加にギアが耐えられないという理由で実現しませんでした。
H型の生産数に鑑みるに新工場の生産ラインがこの時点で整備されたはずです。
もしこの時、重量の問題が解決されていたら、新造工場で根本的な改良と傾斜装甲
を備えたⅣ号戦車が大量生産されていたかもしれません。
この架空戦史に関してはまた別の機会に考えたいと思います。
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一昨日、10日と11日の間の深夜の数時間に1800件あまりのアクセスが記録されました。
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そういうことではないようです。
アクセス元は10ヶ所以下で、すべて設定画へのものです。おそらく一人か少人数による
更新で回線をアクセスしにくくさせる攻撃だったと思われますが、意図は全く不明です。
以前モデルアップした前の型はK1型となります。
● Ⅳ号戦車K2型
地上と車体の間を40cmから50cmへ引き上げるため、直径の大きい
鋼製転輪に換装しました。シュルツェンはその為上下幅が短くなっています。
史実では、1943年9月7日に兵器局第6課ホルツ・ハウァー少佐からⅣ号戦車の
最低地上高を400mmから500mmにするように提案がなされており、変更箇所
が大きすぎるという理由で却下されています。
その時のプランは、おおよそ次のⅢ/Ⅳ号戦車のプランと同じもので、転輪を
直径の大きなものにしたのだと思います。
● Ⅲ/Ⅳ号戦車 A型
ドイツではⅣ号戦車の車台を使った自走砲を多く製作しており、やがてⅢ号戦車の
ギアを組み合わせたⅢ号Ⅳ号共通車台というものが作られました。
そしてその車台を使ったⅢ/Ⅳ号戦車が計画されましたが、 生産に移すまでの余裕
がなくペーパープランに終わっています。
図のように直径の大きな転輪を使ったために片側6つの転輪になっています。
この方法では部品の共通化を図っても限界があり、車体にあけるボルト穴も位置を
変えねばならず、工作機械の入れ替えが必要だったかも知れません。
パンター戦車の場合、車体の側面に開ける穴を一挙に全部加工するボール盤があり
新造されたⅣ号戦車の生産ラインでも採用されていると思われます。このような工作機械
は生産時間の短縮に効果がありますが、設計変更に対処するには機械そのものを
交換するしかない上に、機械の製作にも長い準備期間が必要になあるのです。
そこで、パンターのようなオーバーラップ式にすれば変更が最低限になると考えた
のが今回の私のプランです。
● Ⅳ号戦車系の二輪ボギー転輪
四号戦車の転輪は二輪が組みになったリーフスプリングによる緩衝機構を
採用しています。単純な機構で作りやすく、故障や破損が少なく、メンテナンスも
タイガー戦車などより格段に楽だったはずです。
一方で、乗り心地はそれなりのもので凹凸を乗り越えた時の衝撃が直に乗員の
負担になったようです。
ドイツが実戦を行う前にⅣ号戦車は設計されており、常に細かい改良が加えられ
ながら終戦まで生産が続けられましたが、転輪を取り付けるサスペンション部分は
ほとんど変更がなかったようです。車体の重量増加にともなってスプリングの強化は
されていると思うのですが、40cmの地上高では実戦の機動で不足だったようで
前述の最低地上高の引き上げが勧告されたのでしょう。
生産上の理由から大きな変更を伴う改良は使えなかったⅣ号ですが、重量増加
のために転輪ゴムの磨耗が激しく、末期にスチール・ホイールが開発されます。
これは内部に緩衝ゴムリングを内蔵した転輪で、ゴムの節約にも貢献しました。
しかしⅣ号系列の自走砲には優先的に使用されていましたが、Ⅳ号戦車自体には
使われませんでした。
一部の車両では第一転輪をスチール・ホイールに換えたものもあったので、前方が
重く磨耗が激しかったことをうかがわせます。つまり急停車の時など前方へのめり込ん
だはずで、最低地上高の増大は機動力を増す効果があったことは間違いないと言えます。
そこでⅢ/Ⅳ号戦車の転輪の図面を参考に直径の大きい転輪をオーバーラップさせる
方法を考えました。共通のスチールホイール(内部に緩衝ゴムを内蔵)をスペーサー
をはさむことで内外両方に使い分け、従来どおり片側4組8個の転輪となります。
小さな転輪を外して大きな転輪に差し替え、キャタピラを何枚か付け足すだけで
10cmの地上高増大ができるので、前線でもジャッキがあれば交換可能な実用性の
あるプランだと思います。
ただし、転輪のキャタピラへの接地面積から言うと従来のものより少なくなりますし、
キャタピラに捻り応力が加わるので、何かの不具合が出ることが想定できるでしょう。
また第一転輪にⅢ号戦車のような油気圧ダンパーを加えればより効果が上がるはず
ですが、これは工場生産時に施工する必要があります。
● クルップ社によるⅣ号H型のプラン
Ⅳ号戦車がG型からH型に更新される時、軍側から装甲強化に関する要請がなされ、
クルップ社は上図のような提案を返しました。
1943年2月5日の提案は上部車体を傾斜装甲で設計しなおすとともに、砲塔の後面
を45mm厚の装甲板にして対戦車ライフル対策としています。その重量増加のためか
砲塔後部の雑具箱はなくなっています。
そして全体の重量増加対策としてキャタピラを560mm幅の冬季仕様にするとして
いますが、結局全体の重量増加にギアが耐えられないという理由で実現しませんでした。
H型の生産数に鑑みるに新工場の生産ラインがこの時点で整備されたはずです。
もしこの時、重量の問題が解決されていたら、新造工場で根本的な改良と傾斜装甲
を備えたⅣ号戦車が大量生産されていたかもしれません。
この架空戦史に関してはまた別の機会に考えたいと思います。
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このブログは毎日100件以下のアクセス数で少ないときは20件を下回ります。
異常な事態なので、どこかにリンクが貼られたのかと思いましたが、内容を分析すると
そういうことではないようです。
アクセス元は10ヶ所以下で、すべて設定画へのものです。おそらく一人か少人数による
更新で回線をアクセスしにくくさせる攻撃だったと思われますが、意図は全く不明です。
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