T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

近況 10

2015-01-25 22:59:51 | 日記・エッセイ・コラム

 学校へ行くようになって一週間がたちました。この一週間の学習内容は、概ね私の知って
いる知識で、PC暦10数年にもなると一通りの知識は得られるものだと確認できました。
しかしやはり自己流なのでところどころ抜けている部分もあります。最新のプログラムに
ついてもいくらか知識を仕入れることができました。
 著作権には人格権というものも含まれると教わりましたが、これより深い部分は自分で
学ぶ必要があります。著作が作者の人格を反映すると言う意味なら、それを借用して人格を
コピーした者に対してもこちらは人格権を主張できると言う意味かもしれません。それには
もう少し人格権について調べる必要がありそうです。
 来週からはPC基礎知識を終え、ビジネス文章を作成する授業に入ります。

以下はこのブログの先日までの二週間の閲覧記録です

2015.01.23(金),42,16
2015.01.22(木),30,14
2015.01.21(水),50,22
2015.01.20(火),60,25
2015.01.19(月),66,19
2015.01.18(日),122,20
2015.01.17(土),58,29
2015.01.16(金),39,17
2015.01.15(木),117,29
2015.01.14(水),112,11
2015.01.13(火),189,10
2015.01.12(月),57,15
2015.01.11(日),98,19
2015.01.10(土),70,15

日付の後の,で区切られた二つの数字は左側が閲覧数、右側が訪問者数を表します。
私のブログ加入プランでは一日が終わると上記の数字が集計されグラフ表示されます。
さらに上位のプランでは時間毎の閲覧数や来訪者のデータも見ることができるそうですが
私の場合、そこまで知る必要がないので今のままのプランで行くつもりでいます。
 ただ、気になる点が一つあります。
20日21日22日の閲覧数の1の位がいずれも0になっている点です。
以前のブログにも書きましたが、OCNブログでは管理ページを何者かが閲覧して閲覧数
の1の位を一定の数字に毎日そろえるという行為が数年間続いていました。
Gooブログに移転してから、管理ページの仕様上不可能な行為なので、しばらくランダム
な数字が続いていたことは記録からも確認しています。
これらの行為が再び行われていたとすれば、パスワードの漏洩やハッキングといった
ネット上の危険を再び考えて見なければいけません。
 三日間くらい0が続いたからといって、それは杞憂ではないのかと思われるかも知れ
ませんが、今週前半には他にも不審な動きが見られたのです。


 今週から私は学校に通学し始めましたが、毎日通学して人に会っていれば当然ながら
ウォッチ方面に情報が流れることを覚悟しなければなりません。過去に会社や学校に
通っていたときもそういう動きがあり、トラブルになりかけたことが何度もあります。
それとわかった上で対処しておけば、その場は不可解でも長期的な損害を最小限にする
ことも可能なのです。
 長期間にわたって観察していますと、週の前半にウォッチ界隈に新情報が流れる兆し
を感じることができます。情報の拡散に伴って木曜の夜半には動揺はピークに達しますが
その後週末に向けて落ち着きを取り戻すと言う大体のパターンが毎週見られるのです。
 これらの動きが合致する、と考えた場合。火曜日ごろに何かの情報に激高したウォッチ
界隈の面々が様々な動揺を見せた後、急速に収束していった様子を伺い知ることができる
のです。


 では、どんな情報が流れたのでしょうか。
これはネットをリサーチして推測するしかありませんが、確率の高いものを一つ上げれば、
私の過去の情報が現在進行形で流されていたことが暴露されたかもしれないという物です。
 タイムスタンプを消された情報が連続して流されれば、流布している人物がミスリード
しなくても受け取り手は勝手に現在の状況と思う訳です。それがわかるのは、その情報の
オリジナルである私か、仕組んだ側の者だけというわけです。
 これを私が察知して知らせようとしたり止めさせようとすると『過去の私vs現在の私』
という珍妙な構図ができてしまうわけです。これを20数年にわたって続けているので
すから、私の疲労感も相当なものとお分かりいただけるかと思いますが・・。
 流布した人物像についてもある程度の絞込みができていますが、決定的な確証がない
以上、軽々しくここで発表するわけには行きません。裏付けるための情報、あるいは
関連のものと思われる情報がありましたら、ここにご報告ください。
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学校へ行っています 2

2015-01-20 20:26:44 | 日記・エッセイ・コラム
 ビジネスパソコン基礎科という職業訓練を始めました。今日が初日でした。
学校といっても極短期間で1クラス10人以下の少人数であり、私はある程度パソコンが
出来るので目的は修業時に受けられる検定にあります。
同じ資格を取るなら何かの運転免許という選択肢もあったのですが、就職に直結する方を
選んだのです。
 しかし、わたしのパソコン操作はまったくの自己流ですので、一度正式な使い方の講習を
受けても損はないと感じました。
 以前の訓練では何も資格は得られなかったのですが、今回同じ学校を調べたらPhotoshop
などの検定が受けられるように制度が変更されていました。また、学校までの交通費も給付
されるようになっていて、二年の間により実用的な制度に変更されていました。
 2年前にこの制度だったらこちらの負担も軽く就職も成っていたかもしれません。
とはいっても、私の就職の障害はそんなことより根本的な部分にあるので、そちらの解決
がなければ正常な生活は二度と出来ないでしょう。

 しばらくは学校中心の生活になるので更新も滞ると思います。悪しからずご了承ください。
 
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ボギー転輪について 4

2015-01-17 19:38:23 | スケッチ
  ●Ⅰ号戦車のサスペンション


 ナチスドイツは1920年代は条約で兵器の開発を禁じられていましたが、再軍備のため
の用意を密かに進めていました。
 Ⅰ号戦車はトラクターという名目で戦車技術の蓄積のために作られた訓練用戦車です。
その原型はイギリスが各国に輸出したカーデンロイド・ガンキャリアーだと言われています。
右側のⅠ号戦車a型のサスペンションがそれだそうです。その後すぐ左側のb型に発展し、
Ⅱ号戦車の初期型まで使用されました。
 このサスペンションは二輪ボギーの後ろの車輪を二つの板バネではさんだ物で、車軸が
そのままバネで保持されています。

戦車と言っても二人乗りで装甲もきわめて薄いⅠ号戦車は、この程度のサスペンションでも
問題がなかったと思われます。前輪が起伏を乗り越えるとバネのしなりが後輪を押し下げ、
ショックを吸収するわけです。
 この機構は軽量の車両なら問題はなく、ほかの国の戦車にもよく似た例が見られます。

 ただ、右図のようにキャタピラが傾くと脱輪する危険があり、Ⅰ号戦車ではレールで挟む事
によって強引に車軸の傾きを補正しています。
言うまでもなくメカとして不完全なものでありますが、Ⅰ号戦車の用途から問題ないと判断
されたのか、その後の戦車設計に受け継がれました。

   ● Ⅳ号戦車とフェルディナンド駆逐戦車のサスペンション

 左がⅣ号戦車のサスペンション、右がポルシェ博士の考案した縦置き式トーションバー
サスペンションです。
 Ⅳ号戦車はⅠ号戦車の後すぐに開発が始まったので、時系列的にもつながりがあり、
スィングアームによって後輪の欠点を補正したと見ると技術的関連があって面白いですね。
 ポルシェ博士のサスペンションは時期も同じころタイガー戦車の為に開発されましたが
戦車そのもが問題が多くあまり知られずに終わっています。しかしその形態から言って
Ⅰ号戦車の二輪ボギーによく似ており、彼なりの改良案だと言うことがわかります。

 このサスペンションはカム機構によって、ボギー内部のトーションバーをねじるように
なっていて、機構としては非常に巧妙にできています。キングタイガー戦車の車台を
使った自走砲や超重戦車マウスにも使われる予定でしたが、マウスの自重が計画変更で
重量オーバーになったので別設計の物に変更されました。
 自走砲の方も、前後の揺れが収まらないという実験結果が出て少数の生産で一般的な
横置きトーションバー方式に変更されました。この前後の揺れは戦車設計によくある物で
大抵の場合オイルダンパーの設置で解決を見ています。
 設計がタイトだったポルシェ博士のサスペンションはダンパーを組み込む場所がなく
揺れの問題を根本的に解決できなかったと見られます。ただ、素人目には車体の軸から
前輪へ伸びるスィングアームあたりに設置スペースはあるように見えますが、改良され
なかった事を考えるとまだ他の問題があったのかも知れません。

 さてではⅣ号戦車の場合、この揺れ対策はどうだったのかと言うと、これといった
対策はとられていませんでした。これは、上図のような板バネの特性のためダンパーが
省略されても問題なかったためと思われます。
 板バネは通常何枚かが束ねられて使われますが、全体が曲がると各バネの接触面が摩擦
を起こして揺れにブレーキがかかる現象が起きるのです。お手元に本かノートがあったら
右図のように曲げてみると、各紙面が擦れ合って抵抗になることが確認できると思います。
 このように、ローテクである板バネが現在でもサスペンションとして使われる理由が
Ⅳ号戦車のサスペンションには反映していると言えます。
 
 この後、ドイツ戦車は横置き式のトーションバーが一般的になりますが、イギリスの戦車
は戦後も二輪一組のホルストマン式サスペンションにこだわり続けていきます。
 またサスペンションに非常に高級な機構を採用したパンターは、最初はオイルダンパーで
揺れをコントロールしようとしましたが、すぐに廃止されました。ダブルトーションバー
と言う機構そのものに揺れを吸収する特性があったのかも知れません。
 それらはまた別の機会にしましょう。

「戦車サスペンションの本」のオンライン販売を始めました (終了)


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交換しました

2015-01-07 20:36:17 | 日記・エッセイ・コラム

 ● ノートPCのキーボードを交換しました
 3年前の地震のとき、倒れてきたカラーボックスに直撃されてキーがいくつか動かなく
なっていました。その後ワイヤレスのキーボードが普及したのに伴って、外付けキーボード
で対応していましたが、オークションでキーボードが手に入ったので、交換しました。
 やってみると意外と簡単で、もっと早くやるんだったなと思っています。
ただし、パーツに保証がないので自己責任ということになりますが。
 写真を見てみますと微妙にレイアウトが変わっていることに気がつきます。また、この下
にチップセットらしきパーツが露出していて、キーボードの構造材を放熱のために使って
いることも分かりました。去年の夏に暑さでダウンした原因がこの辺りにあるのではないか
と思えます。つまり、キーボードに埃が入ることを嫌ってカバーを乗せたりすると、放熱が
遮断されてチップセットが熱暴走を起こすのではないかと思えるのです。


 ● ブレーキ・シューの交換
 自転車のブレーキが異音をたてるようになって久しいので交換しました。
音が出るのも当たり前でゴム部分が擦り減って金属部分が露出していました。よくもまあ
こんなになるまで使ったと思います。
 後輪はすでにタイヤも交換しており前輪も交換する時にチューブも一緒にと思って既に
ストックしてあります。新しいブレーキシューは2割ほど長いものを取り付けましたが、
驚くほど効きがよく音もなくスピードが落ちるのには感動しました。
(普通なら当たり前の事ですが。)


 ● カメラの交換
 といっても新しいカメラがマルウェアにやられたらしく、正常に撮影できなくなったので
バックアップとしてとってあった古いカメラを使い始めたのです。
 古いカメラは寒さに弱く、液晶が低温でやられるので毎夜ヒーターに乗せてタオルを
被せて保護しています。それがうまくいったのか今のところ正常に動作しています。
 画像は今日撮影した羊のような雲です。
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新しい年 2015

2015-01-01 21:13:48 | 日記・エッセイ・コラム


 明けましておめでとうございます。
今年は浅草寺へは行かず隣の市の氷川神社へ参拝しました。
大晦日の天気が穏やかで気温が10℃を超えていたので自転車で1時間程の道のりを
出かけていったのです。
 10時半ごろ神社へ行くとまだ人はまばらで、お札や御神籤の販売はしておらず、
結局年明けまで待つことになりました。
もうまもなく年明けという時になって、やにわに樹木がザワザワと騒ぎ出し、0時
とともに冷風が吹き荒れるという異様な雰囲気での参拝となりました。
どこからともなく「これは今年は大荒れだな。」などと言う声も聞かれ、確かにそうかも
知れないと私も感じました。
 去年を表す一文字に「嘘」という漢字が得票三位を得たそうですが、あきれるほどの
嘘の露呈振りでやはり近代日本は無理をして今まで走ってきたのだろうと思ったものです。
これからの日本はどうがんばっても高度成長は望めず、低成長の中でどのように生きるべき
なのかという不安が誰もの感じるところとなりました。
 私自身もかつてのように人脈によってゲームデザインに抜擢されるということも、ほぼ
考えられなくなりました。かと言って何か他の小技があるわけでもなく、参拝も身の入ら
ないものでした。
 家へ帰る段になると気温も下がり風もごうごうと唸り、さて凍えながらの帰路になるのか
と覚悟しましたが、偶然にも走る方向と風の向きが合致していたのです。
風の唸る音は聞こえますが、どれだけ自転車を飛ばしても無風の闇の中を走るばかりで
恐ろしいやら可笑しいやら・・あれは何かの兆しだったのかも知れません。

 さて現在、私は職業訓練校へ行く手続きを進めております。
初等ビジネスパソコンということですが、最近は資格が取れるようになっているらしく
職業訓練校も変わってきています。うまく行けば近日入学となります。
何か変化がありましたらまたお知らせいたします。

今年もT.N.T.SHOWをよろしくお願いいたします。


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