T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

なぜⅣ号戦車の砲塔前面装甲板は50mmのままだったのか 2

2015-12-23 20:33:11 | スケッチ
● Ⅳ号戦車の車体内の構造

 前回説明不足だった部分を補足します。
 Ⅳ号戦車の車体上面は、その下の構造によって保持されてターレットリングを支えています。
後ろにはエンジンルームの隔壁があり、前方には前回解説した梁があります。そして右側の天井に
L字断面のリブがくの字型にボルトで固定されています。梁には微妙なカーブがついており、その
上の天井に2本のリブが見えますが、これはプレス加工で作られたコ字断面の補強材である可能性
があります。そして、梁はこれとは別な位置に溶接されているかもしれないのですが、今のところ
確定できる資料がないので他の機会に触れたいと思います。
● コップを乗せるカード

 さて梁に微妙なカーブがつけれれている意図に関してですが、これは上図のような方法で強度を
増す為だったのではないかと思います。
 トランプを波型に曲げるとその上にコップを置いても倒れないと言う実験を昔はよく本で見かけ
ましたが、カーブをつけることで上からの応力に耐えるようにしたのでしょう。
 Ⅳ号戦車が設計されたころはまだ砲塔の重量もさほどのものではなく、この方法は有効だった
はずです。しかし改良を重ねるにつれてⅣ号の砲塔の重量は増し、素人考えでも優に二倍以上に
なったと考えられます。
 ざっと見てみても、装甲板は全面的に増強され主砲の砲身長は2倍になりキューポラは防御力の
高いものに変更され後部に雑具箱が増設されます。また砲塔周囲にシュルツェンと呼ばれる増加
装甲が、砲塔上面にも対空防御のスペースドアーマーが増設されました。
● 梁の変形

 こうなると細長い梁の強度自体が不足して上図のようにカーブが直線に延ばされることによって
下へ歪む危険性が出てきます。これは設計ミスというよりも予期されなかった砲塔の重量増加に対応
できなかったと言うべきで、根本的な改良がなされるべきではなかったのかと思います。
 しかし、どうも天井にL字やコの字の補強材をボルトどめすることでしのいでいたらしく、根本的
に梁を補強して砲塔前面の装甲を増強するまではいかなかったようなのです。その程度の設計変更も
できなかったのか、あるいはやらなかったのかは分からないのですが、少なくともパンターの設計に
フィードバックはされたようです。
 また、砲塔旋回用のベアリングにどの程度の影響が出ていたかは想像するしかありません。J型で
旋回モーターが廃止されたことを考えると、影響はそう深刻なものではなかったとも考えられますが
一説では人力で旋回したほうが早く回すことができた(その時は当然二人がかりで)と言います。

 考えられることは、上記のような梁の変形は運転時間によって徐々に進行して行ったと言う事です。
砲塔の前面装甲板を増強することによってその進行が急激に進むのであれば、その改良を見送ると言う
判断もあったかもしれません。
Ⅳ号戦車の寿命がそれほど長くなかった戦争後期において、それが正しかったのかどうかは私には
わからないのです。
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なぜⅣ号戦車の砲塔前面装甲板は50mmのままだったのか

2015-12-20 22:08:37 | スケッチ
 ● 砲塔前の車体内の梁

 先週、Ⅳ号戦車の車体の強度について、弱い部分があったのではないかと考察しました。
その部分について調べたところ、やはりⅣ号はその部分が強度的に弱かったらしいと分かりました。

 Ⅳ号戦車は操縦士の操作性を確保するためギアが右にオフセットされておりエンジンも右よりに
セットされています。それとバランスをとるため砲塔が逆に左にオフセットされていますが、この
ため砲塔の旋回ベアリングは車体左側面に近くなっており、右側には若干の空きがあります。
車体内の天井を見るとその部分にL字断面のリブ(上図の赤いL字)がボルトで取り付けてあり、
後から補強した様子が伺えます。このL字断面のリブは機関室の隔壁から上図の梁までくの字型に
設置されていますが、なぜここを補強する必要があったかと考えると、車体上面の強度不足が考え
られるのです。
 Ⅳ号戦車の車体上面板は14.5mm厚だったものが25mm厚に増強されていますが、梁が
強化された気配はなく、丸い肉抜き穴が塞がれた形跡があります。梁には微妙なカーブをつけて
強度を増していますが、右図のパンターのようなリブはありません。
 パンター戦車の梁はよりアーチ状に近く、リブがT字型に溶接されてさらに補強されています。
70口径という長砲身と重い砲塔の動揺を受け止めるため、この部分は重要な部分だった事が
伺えます。最初から洗練された一体構造だったパンターの車体では、このような構造ができた
わけですが、上下の車体を別々に作りボルト結合していたⅣ号では、思い切った補強ができなか
った可能性があります。

 Ⅳ号とよく似た構造のタイガー戦車では、このような強固な構造の梁になっています。
厚いリブがブリッジとなって肉抜き穴がいくつも開けられています。
 この構造を見るにつけ、なぜⅣ号の梁にもリブをつけなかったのか疑問に感じるのですが、
理由はわかっていません。おそらく強度を出すために微妙なカーブをつけたのが返ってアダと
なって補強しにくかったのかもしれません。

 一方、Ⅳ号と同時期に開発されたⅢ号戦車では、上部車体の幅が砲塔幅と同じくらいに絞られ
ており、砲塔前のハッチもないため、強度的に充分であったと思われます。
 Ⅳ号が砲塔前面装甲を50mmから増強できなかったのに対し、Ⅲ号では57mmと若干
厚いレベルまで増強しています。もっともこれはⅢ号の主砲が60口径50mm砲止まりだった
関係もあると思うのですが。
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Ⅳ号戦車 改造案の別案 2

2015-12-13 21:18:47 | スケッチ
 ●Ⅳ号戦車の砲塔前面増加装甲板

 前回、Ⅳ号戦車の砲塔の前面装甲の強化について内部に装甲版を追加する案を紹介しました。
その際、砲塔の旋回ギアがあるのでプランの変更が考慮されると書きました。
今回はその変更案です。
 プレス加工で25mm厚の装甲板をこのような形にして溶接することにより、旋回ギアボックス
に干渉しないようにしました。
 ●装甲板の加工

最初の内左図のような二枚の組み合わせを数通り考えましたが、プレス加工で一体成型した方が
手間が少なくて済むと考え右図のような手順を考えました。
 25mmの板をプレスで曲げられるか他の例を探したのですが、パンター戦車の転輪等は
20mmの鋼板をプレスして作られているところから、この程度の加工は可能だと考えました。
 プレスは二回に分けて行われていますが、一回目のプレスで三次曲面を作るので次の工程と
分けたほうが良いと考えたのです。
 この後、バリ取りと溶接面の角度調整を経て熱処理工程へ送られますが、前回のプランの様な
単純な一枚の平板なら表面硬化処理した鋼板を切断するだけで済むので、砲塔右側の増加装甲は
そのようにすべきだと思います。また、Ⅳ号戦車はJ型になると砲塔旋回モーターを省略した
ので邪魔になる旋回ギアも簡略化された可能性があります。そうすると面倒なプレス工程は省略
できることになります。
 ドイツでは複雑な形の部材の表面硬化を行うために、高周波電流による加熱方法を開発した
そうです。おそらく電子レンジのような密閉空間で加熱した後、水を噴霧して急冷することで
硬化処理したはずですが、部材が平面ならもっと簡単なトーチによる加熱ができたはずです。
 ● 水圧プレス機

 プレス加工はこの当時すでによく用いられた技術でした。
プレス型で金属板をサンドして複雑な三次曲面を加工したり、上図のような機械で二次曲面の
曲げ加工を行ったりしました。
 現在でも造船の現場では複雑な船体のカーブを巨大なプレス機械を使って加工しています。

 もし、Ⅳ号戦車の増加装甲板を作ったとすると月産300両の新造車両と既に配備されている
車両に取り付けるために一日当たり20セット以上を生産する必要があります。工程が複雑に
なれば他の部品の生産を圧迫するので、できるだけシンプルな方法を考える必要があるのです。

 ● なぜⅣ号戦車の砲塔前面装甲板は50mmのままだったのか

ヒトラーがⅣ号戦車の前面装甲板を80mmに増強するように命令を出した後も、砲塔の前面
は50mmのままでした。
世間的にはサイズの関係上それ以上厚くできなかったと言われていますが、キャタピラを使った
応急の増強の例があるので方法が全くなかったとは考えにくいと思います。
 では、以前に触れた砲塔のバランスの関係はどうだったのかと言うと、シュルツェンや
砲塔上面のスペースドアーマーの設置がされているので、まだ余裕があったと考えられます。
 そこで考えたのですが、上図のような関係で砲塔の旋回リングが曲げ応力を受けて旋回に
影響が出たためではないかと推測しました。

 Ⅳ号戦車はF型から長砲身の主砲に換装し、装甲の増強も継続されていました。
そのため、砲塔前縁の車体上面に負担がかかっていたのではないかと思います。
 少しオーバーに書いてありますが、急ブレーキをかけたり大きな障害物を乗り越えたり
すると、砲身の振幅の為に負担がかかります。車体には二つのハッチがあるため、開口部
があり強度的にも弱くなっています。内部には鉄板で梁が設けられており、この部分の
強度を保っていますが、砲身を保持するトラベリング・クランプのような装備は砲塔内に
あったため、繰り返し曲げ応力を受ける事になりました。その結果、走行時間によって
砲塔のペアリングにゆがみが生じ、おそらく各々の車両によって旋回にばらつきがあった
のではないかと考えられるのです。
 これが問題の部位の直上の装甲を増強できなかった理由ではないかと考えたのです。
 しかし、もしパンターのように車体前方にトラベリング・クランプがあったなら、
こういう事態は防げたはずですが、そういう処置はとられていませんでした。それに
車体内部には柱や梁で補強するスペースがあるのに、それも行われていません。

 結局のところ、なぜ50mmのままだったのかという問題に関して確証はまだ得られて
いないのです。



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パンターのサスペンション

2015-09-23 21:54:11 | スケッチ
 ● ダブル・トーションバーとトリプル・トーションバー
 
 この図はパンターのサスペンションの略図です
量産化された車体では左の二本のトーションバーが一体化されたものが使用されました。
二本を接続しているのがカプラーと呼ばれるパーツで差し込まれたキーによって固定されています。
カプラーは真ん中にもうひとつ軸があり、これが車体にベアリングによって動くようにセットされ、
トーションバーの捩れにしたがって回転します。この軸をトラニオン軸と言います。
 右の三本が一組になった物はサスペンションの研究のために特別に試作されたもので、文献に
軽く触れてあるだけなので推定で作画しました。
 ● ダブルトーションバーの動き

 この機構を最初見たとき、カプラーの中に歯車機構のようなものがあって一方のトーションバーの
捩れをもう一方に伝達するものかと思っていました。しかし当時の設計図にはカプラーに
キーを差し込む穴があり二本は完全に固定されています。
 そこで、スイングアームが動くとそれにしたがってカプラーの中央のトラニオン軸を支点に動くの
ではないかと考えたのです。推測では二本のセットのほうは中間地点にカプラーがあるのでスイング
アームの1/2の角度だけ動くと考えました。三本のセットの場合、それぞれ2/3・1/3の地点に
カプラーが位置しているのでそれに準じた角度だけ動くはずです。
 そうは言っても推測に自身がなかったので実際に動くモデルを製作して実験することにしました。

 ● ダブル・トーションバーの実証モデル

 ジャンクパーツの戦車車台を使ってプラ棒をトーションバーにして製作しました。
 ちょっと分りづらいですが、上に作図したような動きをほぼ確認しました。
シュピルベルガー氏の著作には初期のトーションバーは捻り応力に加え曲げ応力が加わって、折損
するケースがあったそうです。これはトラニオン軸にしたがってカプラーが回転運動をするため
水平に対して上下方向の曲げが加わっていることを指しています。
 この曲げ応力は三本セットの場合はさらに大きくなる傾向があるため、試験の現場では注意が
必要であったと思います。

 パンターのサスペンションは前にも述べましたが戦車のものとしては少し高級すぎるという評価
があります。それらは氏の言葉によると軍の要求をかなえる耐久性と性能を満たす唯ひとつの解答
であり、その帰結であります。
 一方陸軍の他のパートからは複雑すぎるので板バネを使ったサスペンションも研究すべきと言う
提言もなされました。実際、その後のドイツ戦車ではシングル・トーションバーが普通になり、
各国の戦車でも同様になっているのです。

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オイルダンパー(ショックアブゾーバー)について

2015-08-10 03:08:44 | スケッチ
 戦車の動揺を軽減する装置オイルダンパーについて解説します
  ● オイルダンパー

 基本的なオイルダンパーの構造はこの図のようになっていてピストンとシリンダーと密封された
オイルによって構成されています。オイルの中をピストンが行き来するとピストンに開けられた穴
をオイルが通過する際に抵抗になって戦車の揺れを抑制するのです。
 この時、ピストンロッドがシリンダー内に出入りした分の体積に変化があるのでこの図の場合右
のガスが封入されたピストン部分が動いて体積を相殺します。他にも様々な方式がありピストン
ロッドがシリンダーを貫通した物や弁を設けた物などがありますが、基本的にオイルの粘性で
ショックを吸収する点は同じです。
  ● 戦車の揺れを示す概念模型

 戦車はサスペンションによって鉄の箱が懸架されています。オイルダンパーのような装置がなければ
車体の揺れは上図のように長く続いて車体は安定しません。そうすると様々な障害が出てくるので揺れ
を抑える必要が出てくるのです。
  ● 油槽の中に模型を入れる
  
 これがひとつの回答であるオイルダンパーの考え方です。流体の抵抗力によって振り子は少ない回数
の揺れで停止するはずです。イギリスやドイツは早い段階から戦車にダンパーを取り付け乗り心地や
射撃精度の改善に努めました。アメリカも少し送れてシャーマン戦車の懸架装置を更新しこれに続いて
います。
 一方ソビエトや日本はこの装備の導入が遅れ(私の研究不足かもしれませんが)妥協があるように
見えます。
  ● バネを大きいものにする
 
 最初の模型と同じ重さの錘を二倍の長さと厚さのバネで保持してみます。すると、バネに対する相対
的な錘の慣性が小さくなって揺れは早く収まります。バネがさらに大型になると錘の重さは無視できる
ほどになります。これはパンターがダブルトーションバーという方式で普通の戦車の数倍のバネを使用
した事の再現となります。
 トーションバーは単位重量あたりのショックの吸収率がコイルバネより高くそれが床に敷き詰める程
使用されていたので車体の重量が相対的に揺れを生み出さないさないレベルに達したのだと思われます。
  ● コイルバネの縮んだ状態

 図の角bab'はバネの断面から見たねじれを指しています。コイルバネが縮むとこの角の範囲でバネ
自体にねじれ応力が加わっていることが分かります。この応力はバネ全体に均等にかかっており、これ
はトーションバーのねじれとほぼ同じと考えることができます。そこで、コイルバネとトーションバー
に関して単位重量あたりの比較という考え方が成立するのでしょう。
 実際の所バネの性能は焼入れの温度管理によるところが大きく、ソビエトのT-34のバネはその
関係で使用時間とともに反発力が劣化していたことが知られています。

 板バネのように機械的に摩擦を生み出すことで揺れを抑える装置については「ボギー転輪について4」
で述べましたが、シャーマン戦車の例についても同様ではないかと思えてきました。

 このような特別な構造について疑問を述べましたが、よく考えてみるとフリクションによって揺れに
ブレーキをかける構造だったのではないかと思えてきたのです。
 M3・M5軽戦車では上のリンクでつながったボギーを使用していますが、誘導輪が直接接地して
揺れを抑えていたためと軽量の車体のため充分な性能を持っていたのではないかと推測できます。
 これによって、重量の大きな中戦車以上になると特別な揺れ対策が必要になるという仮定が出てきました。

 ナチスドイツは戦車兵の発言を戦車設計に反映していたらしく、初期の戦車には乗員と同数のハッチ
があり脱出が迅速にできました。また車体の揺れに関しても同様で車体の前端を越えるような長砲身は
揺れを激しくする懸念を生みました。停車後の揺れが早く収まったほうが射撃照準が早くできる為一時
期のドイツ戦車は備砲が小さかったのではないかと思えます。
 しかし現実的にいってヒトラーの見識のほうが正しく長砲身の主砲への転換が行われました。
戦車兵の揺れに対する要望とヒトラーによる長砲身の搭載命令の相反する要求に対する回答がパンター
の高級なサスペンションではなかったのかと思えるのです。


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ボギー転輪の疑問

2015-03-01 23:19:23 | スケッチ
 戦車のボギー転輪の研究は私が好奇心からやっていることですが、日本では当然の事
ながら資料が少なくネットで外国のサイトを閲覧する等しながらの思索となっております。
分からない部分はとりあえず飛ばして先へ進む場合も多々あり、後になって間違いに気づく
という事も多いのです。
 
● ダブルボギーという名称
 普通に検索してもゴルフ用語が多数ヒットするばかりで、英語で検索してもトラックの
サスペンションが出てきます。私がダブルボギーと言っている根拠は大日本絵画のシュピールベルガー氏の著作「パンター戦車」の一文のみです。
 抜き出してみますと
「しかしⅢ号戦車の車体は後にとりわけ初期生産型のダブルボギー式走行装置が有効でない
と実証され、改良が加えられて以降重宝されるようになった。」
とあります。これはⅢ号戦車の先行量産型の中のB型からD型をさしていると思われます。
転輪が8つあり2個づつのボギーになっておりそれぞれが板バネで支えられている物です。

これはマチルダ戦車のダブルボギーで2つのボギーをバネで連携した典型的な形の物です。
Ⅲ号戦車の場合、板バネの位置に試行錯誤があってこのように割り切った物ではなく、結局
は失敗してトーションバー式へ移行しました。
 ダブルボギーはリンクの配置によって一つの転輪が乗り越えた高さが1/4以下になって
車体へ伝達される特性があり、その分類のためにも特別な名称がついていて然るべきだと
思うのですが、今ひとつはっきりしないのが私の現状です。
記事を閲覧なさる方はその点にご留意下さい。

 去年の年末に発表したスローモーション・サスペンションに関しても異説があり、
バレンタイン戦車の三輪ボギーがスローモーション式という訳ではなく、スプリングが
斜めになっているので「斜めのアクション」と言う意味らしいです。これもはっきり
させなくてはいけませんが、今の段階では資料がなく、なんとも言えません。

● 身近なボギー転輪、自転車
 と言っても一種の思考実験なのですが。

 ご覧のように前輪が起伏に乗り上げた事点では後輪は持ち上がっていません。と言う事は
その中間の位置は1/2aの高さしか持ち上がっていないと言う事になります。
これがボギー転輪のサスペンション効果の原理です。
二輪ボギーを二つ並べさらにシーソーのようなアームで連結するとさらに1/2になり・・
これがダブルボギーというわけです。
 現実の自転車では図の矢印のようにハンドルから腕を伝って頭へ衝撃が伝わるので、
この効果はあまり実感されませんが、1輪車に乗るようにペダルの上に直立したと仮定
すると、純粋に1/2の効果が現れるはずです。
 私は実際に後サスペンションのある自転車でその効果を実証しましたが半分手放し状態
で前後のバランスをとるのは難しいのでお奨めはできません。

● M4シャーマン戦車のサスペンション

ボギー転輪についての記事の中でM4戦車のサスペンションは独立懸架と書きましたが、
よく調べてみたところ図のような機構らしいと分かりました。
 最初のT5軽戦車の時はリンクでしっかり連結されて上からバネで押さえる形だった
のですが、重量が増したM3のあたりになるとばねも強くなり、リンクが省略されて「へ」
の字型のバーが転輪の連動をさせています。このような機構はフリクション(摩擦)や
整備性の点から良い方法とは言えないのですが、後に改良されるまでホルストマン式の
ような割り切った形にはなっていません。
 時間的余裕がなくT5の実績を受けてこうするしかなかったのか、あるいはパテントの
問題でもあったのか、なぜこうなったのか理解に苦しむのですが、一つの可能性として
鉄道のサスペンションからの技術流用があったのではないかと思えます。

● 鉄道技術からの技術流用
 戦車ができる以前から鉄道は普及しており、多くの技術が流用されたはずです。
ボギーという考え方も鉄道車両の4輪ボギーが先行していて、キャタピラも無限軌道と言う
日本語に訳されたりもします。軌道とは鉄道線路のことで戦車も鉄道の上を走る車両という
見方ができます。
 鉄の箱で作られた重量物という点でも共通するところが多く、イギリスが戦車開発を
始めていたころは技術者の移転も盛んではなかったのかと想像できます。
 それらは今後の研究課題です。何か分かったらここで発表いたします。
 


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ボギー転輪について 4

2015-01-17 19:38:23 | スケッチ
  ●Ⅰ号戦車のサスペンション


 ナチスドイツは1920年代は条約で兵器の開発を禁じられていましたが、再軍備のため
の用意を密かに進めていました。
 Ⅰ号戦車はトラクターという名目で戦車技術の蓄積のために作られた訓練用戦車です。
その原型はイギリスが各国に輸出したカーデンロイド・ガンキャリアーだと言われています。
右側のⅠ号戦車a型のサスペンションがそれだそうです。その後すぐ左側のb型に発展し、
Ⅱ号戦車の初期型まで使用されました。
 このサスペンションは二輪ボギーの後ろの車輪を二つの板バネではさんだ物で、車軸が
そのままバネで保持されています。

戦車と言っても二人乗りで装甲もきわめて薄いⅠ号戦車は、この程度のサスペンションでも
問題がなかったと思われます。前輪が起伏を乗り越えるとバネのしなりが後輪を押し下げ、
ショックを吸収するわけです。
 この機構は軽量の車両なら問題はなく、ほかの国の戦車にもよく似た例が見られます。

 ただ、右図のようにキャタピラが傾くと脱輪する危険があり、Ⅰ号戦車ではレールで挟む事
によって強引に車軸の傾きを補正しています。
言うまでもなくメカとして不完全なものでありますが、Ⅰ号戦車の用途から問題ないと判断
されたのか、その後の戦車設計に受け継がれました。

   ● Ⅳ号戦車とフェルディナンド駆逐戦車のサスペンション

 左がⅣ号戦車のサスペンション、右がポルシェ博士の考案した縦置き式トーションバー
サスペンションです。
 Ⅳ号戦車はⅠ号戦車の後すぐに開発が始まったので、時系列的にもつながりがあり、
スィングアームによって後輪の欠点を補正したと見ると技術的関連があって面白いですね。
 ポルシェ博士のサスペンションは時期も同じころタイガー戦車の為に開発されましたが
戦車そのもが問題が多くあまり知られずに終わっています。しかしその形態から言って
Ⅰ号戦車の二輪ボギーによく似ており、彼なりの改良案だと言うことがわかります。

 このサスペンションはカム機構によって、ボギー内部のトーションバーをねじるように
なっていて、機構としては非常に巧妙にできています。キングタイガー戦車の車台を
使った自走砲や超重戦車マウスにも使われる予定でしたが、マウスの自重が計画変更で
重量オーバーになったので別設計の物に変更されました。
 自走砲の方も、前後の揺れが収まらないという実験結果が出て少数の生産で一般的な
横置きトーションバー方式に変更されました。この前後の揺れは戦車設計によくある物で
大抵の場合オイルダンパーの設置で解決を見ています。
 設計がタイトだったポルシェ博士のサスペンションはダンパーを組み込む場所がなく
揺れの問題を根本的に解決できなかったと見られます。ただ、素人目には車体の軸から
前輪へ伸びるスィングアームあたりに設置スペースはあるように見えますが、改良され
なかった事を考えるとまだ他の問題があったのかも知れません。

 さてではⅣ号戦車の場合、この揺れ対策はどうだったのかと言うと、これといった
対策はとられていませんでした。これは、上図のような板バネの特性のためダンパーが
省略されても問題なかったためと思われます。
 板バネは通常何枚かが束ねられて使われますが、全体が曲がると各バネの接触面が摩擦
を起こして揺れにブレーキがかかる現象が起きるのです。お手元に本かノートがあったら
右図のように曲げてみると、各紙面が擦れ合って抵抗になることが確認できると思います。
 このように、ローテクである板バネが現在でもサスペンションとして使われる理由が
Ⅳ号戦車のサスペンションには反映していると言えます。
 
 この後、ドイツ戦車は横置き式のトーションバーが一般的になりますが、イギリスの戦車
は戦後も二輪一組のホルストマン式サスペンションにこだわり続けていきます。
 またサスペンションに非常に高級な機構を採用したパンターは、最初はオイルダンパーで
揺れをコントロールしようとしましたが、すぐに廃止されました。ダブルトーションバー
と言う機構そのものに揺れを吸収する特性があったのかも知れません。
 それらはまた別の機会にしましょう。

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ボギー転輪について 3

2014-12-24 12:07:31 | スケッチ

  ● バレンタイン戦車の転輪(スローモーション・サスペンション)
 バレンタイン歩兵戦車は第二次大戦中に製造されたイギリスの戦車です。
戦車としての出自が独特である上にそのサスペンションも特質すべき特長を持っています。
ドイツからの宣戦布告により急ぎ生産に間に合わせるため、巡航戦車A9とA10の走行系
をほぼそのまま流用し、搭載火器も低威力の砲に妥協していました。
 装甲板こそ全周囲60mmと厚かったものの車体は極力小さく設計され、乗員も3名と
軽戦車並みの装備(車体銃なし)からスタートし、逐次改良を加えつつ終戦まで使われ続け
ます。この戦車の供与を受けたソビエトでは機械的信頼性の高さと走行性能の高さから
重宝されましたが、それはイギリスが高い工業製品の精度を持った先進国であった為です。
 バレンタイン戦車は一見すると直径の違う二種類の転輪が組み合わされていて変わった
印象を受けますが、最前輪と最後輪がダメージを受けやすい戦車サスペンションに対する
ひとつの回答といえます。この大きな転輪は誘導輪にも使われていて、走行中の振動は
よくセーブされているようです。

  ● スローモーション・サスペンションの動き
 実際には緩衝バネとダンパーがセットされていますが、分かりやすくする為にオミット
してあります。
中央の赤い円が車体への取り付け軸なります。黄色の円が前方の大きい転輪の軸、緑の円が
二輪ボギーの真ん中の取り付け軸です。
この三つの軸の取り付け位置の比率が2:1になっているところが、スローモーション・
サスペンションの特徴です。
 まず前方の大きい転輪が起伏に差し掛かると、アームは緑の軸が支点となったテコの原理
によって車体を1/3aの高さだけ待ちあげます。
 次に二輪ボギーのどちらかが起伏に差し掛かると、片輪の軸が支点、片方が力点になり
真ん中の軸は1/2aの高さ持ち上がります。この軸はアームの後端に接続していて、車体の
軸はその高さの2/3の高さだけ持ち上がります。つまり車体の軸は1/2aの2/3となった
1/3aの高さだけ上昇するのです。
 スローモーション・サスペンションはテコとリンクでどの車輪も起伏の高さを1/3にして
車体に伝える働きがあるのです。
 このサスペンションは戦車のサスペンションとしてはバレンタインだけのものですが、
最近になってNASAの火星探査車にリバイバルしました。これはプラットフォームの
傾きを機械式に抑制するためではないかと思うのですが、詳しい背景はわかりません。
  ● イギリスの戦車サスペンション開発について
 いわゆるボギー式のサスペンションを最初に開発したのが、戦車先進国であるイギリス
ではないかと考えています。まだ資料によって裏づけを取ったわけではありませんが、
ホルストマン・サスペンションと呼ばれる方式がカーデンロイド・ガンキャリアーに搭載
され、以後多くの戦車に踏襲されたことを考えると、イギリスが発祥ではないかと思える
のです。
 これを開発したのがサー・ジョン・カーデンという技師なのだそうです。兵器とは畑
違いの彼が如何にしてその開発に携わったかはまだわかりませんが、これらの戦車の
リンク式サスペンションの一つの到達点が、スローモーション・サスペンションだと言え
るでしょう。

  ────────────────────────────────────
  
  さて、今年も後一週間ほどとなり来年の予定などを考える時期となりました。
とりあえず今日はこの後ケーキを作ってクリスマスの晩餐といたします。
振り返ると今年一年は同人誌を作る事と仕事探しに明け暮れてしまった感じです。
 同人漫画のネタは過去のストックからいくつかを使ったのですが、さすがに10年
20年前のネタだと古さはぬぐえず、他人とのバッティングも生じたようです。
しかし、別の考え方をすれば私の過去の情報をこっそり使って私に成りすましても、
このような形で露呈してしまうわけで、後々のことを考えれば割りの会わない破局に至る
と言う事が彼らにも分かったと思います。
 おそらく私に成りすましている人は、それによって周囲の人も騙しているので不必要な
あつれきを常に抱えているはずです。自分で自分の道を開けず、受動的に真似をするネタ
を待っているのは気の毒には感じますが。
 来年はそういう下らないおかしな因縁とは無縁に、自分の為の同人誌を作りたいです。


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ボギー転輪について 捕捉

2013-04-29 23:19:08 | スケッチ
  •  日本戦車のサスペンションの詳しい構造が判明しましたので捕捉します。

 ● 日本戦車のサスペンションスプリング

  • Photo

 日本式のダブルボギーサスペンションは上図のバネを挟んで二組のボギー転輪

が干渉しあう構造になっていました。

 某紙の解説図によると、中央のパーツだけが車体に固定されて、スプリングとガイドは

フローティング構造になっていました。

 今、左側のボギーが起伏に差し掛かったとすると、左にガイドロッドが引っ張られ、

最初のうちは右側のバネだけが圧縮されます。それがある長さを超えると図中央の

赤い丸のパーツが左側のバネに達し、左のバネも圧縮するようになります。

このテンションは反対側のボギーに伝達され、右側のボギーが地面を押す動きと

なるのです。

 これにより全体としてテコの原理が働き、車体の持ち上がりがいくらか減免されます。

これは非常に巧妙にできた構造で、地上の起伏が小さいうちは二輪ボギーは独立して動き

起伏がある高さより大きくなると、前後のボギーが干渉しあってダブルボギーとして働く

というものです。

 これが日本の独創なのか、元となる発想が外国にあるのかは分かりませんが、日本の

戦車は戦中を通してこの機構に依存することになりました。

 ● 九七式中戦車と五式戦車のサスペンション

  • Photo_2

 九七式中戦車は戦中の日本の主力戦車です。中央のスプリングケースを挟んで

二つのボギー転輪があり、その前後を独立懸架の転輪が挟んだ6輪になっています。

一式、三式戦車もこのレイアウトを踏襲し、四式、五式戦車はその下のように

二組のダブルボギーになりました。(四式戦車は7輪)

 アメリカが日本戦車を鹵獲してテストした映像が現在も残っていて、平地での地形追従

は非常に優秀に見えます。

 ただし、この四輪ダブルボギーには構造上の欠点があり、日本戦車にもその特質

が受け継がれているようです。

 ● 登坂中のサスペンションの動き

Photo_5

  • Photo_6

 ダブルボギーサスペンションは前後のボギーが干渉しあう特徴を持っています。

左図の九五式軽戦車のような場合、車体の重量が後ろのボギーにのしかかると、その

動きが前のボギーに伝達され、ますますピッチアップが増加される傾向が生まれます。

 履帯にかかる重量が片寄り、スリップが生じやすくなり、エンジンの馬力やギアの

性能に関わらず登坂性能が何割か削がれてしまうのです。

また、大き目の起伏を乗り越える時、車体のピッチアップが大きくなって前後の動揺が

激しくなる傾向もあります。

 これを避けるには右図の五式戦車のように二組のダブルボギーを組み合わせること

で解決出来ると思われます。前と後のダブルボギーは各々独立しているので、ピッチ

アップの傾向が生まれにくくなるのです。

 あるいは履帯の幅を増してスリップしにくくする方法もありますが、やりすぎると

速度性能が阻害されてしまいます。

 こうした傾向を除いても、サスペンションのどこかが被弾や故障で動かなくなると

四輪が影響を受けてしまうという欠点もあります。

 巧妙にできてはいますが、軍用らしからぬ脆弱な面も併せ持っているのが日本戦車の

サスペンションの特徴と言えます。

  ────────────────────────────────────────────────

 余談なんですが、ちょっとした発見。

● シャドー・モービル

  • Photo_7

 「謎の円盤UFO」 と言うイギリスのSF特撮番組(1968年製作)があり、そこに登場する

万能戦闘車両です。英語発音ではモーバイルと言うそうで、現代のモバイルと意味が

つながっているようです。

UFO SHADO Mobiles attack

 前回紹介したRSOがこれとそっくりで、どうやらデザインの元になったみたいです。

RSOはイラストに描いた曲線型フロントデザインの他に量産性を考えた角型ボディー

のものがあり、面影が似ていたり転輪の数が同じだったりします。またRSOには様々な

派生型があり、75mm砲搭載型や水陸両用型、兵員輸送型、救急型(試作のみ)等が

あり、モービルもそれらに対応したタイプが見られます。

 日本ではあまり知られていないRSOですが、欧州ではそれなりに評価されていたみたい

ですね。

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ボギー転輪について 2

2013-04-21 20:47:15 | スケッチ

 ボギー転輪の解説の続きです。

ボギー転輪はダブル・ボギーに発展しましたが、そのままでは普及しませんでした。

いくつかの改良例を紹介します。

 ● 35(t)戦車のサスペンション

  • 35t

 35(t)戦車は第二次大戦前にチェコスロバキアで開発された戦車で、ドイツに

工場ごと接収され戦車の不足している初期のドイツ軍によって使用されました。

サスペンションはダブルボギーにリーフスプリングを組み合わせてショックを緩衝する

ようになっています。

前の二輪ボギーの動揺が後ろのボギーにスプリングを介して伝達されることによって、

テコの原理が働いて車体の持ち上がりを減免します。

 車体側の軸は三箇所になりますが、中央に集中していることが分かると思います。

四輪の荷重をこの部分で受けるので構造的に脆弱になるのが欠点と言えます。

平時に使う車両ならば大事に扱ってもらえるのでこの設計でも良いかもしれませんが

兵器では耐久性の点からも好ましくありません。

 35(t)戦車は一線を退いた後、牽引車などに使われています。しかし、同じ素性の

38(t)戦車は自走砲の車台に設計が受け継がれ、長く使用されました。

 ● RSOのサスペンション

  • Rso

 RSO(RaupenSchlepperOst)とは、ドイツ軍が使用した牽引車のことです。

ご覧のとおり典型的なダブルボギーで前後にリーフスプリングを取り付けてショックを

吸収する方式になっています。

 このようにすることによって前後方向の動揺を抑え、車体への固定箇所を分散する

配慮がなされています。

四輪を支えているのは中央の車体側の軸ですが、障害物を乗り越えた時に前後の

スプリングが荷重を一時的に受け持って軸への負担を減らします。そのため、純然

としたダブルボギーより効率は落ちますが、前後に不安定な欠点をフォローした構造

になっています。

 ● RSO(東部用装軌式牽引車)

  • Rso_2

   ドイツ軍が使用した牽引車と言えばハーフトラックやケッテンクラートが有名ですが、

RSOは29,000輌あまりが作られた代表的な牽引車で、単一で製造された装軌車両

としては最多数を誇ります。ソ連戦での泥濘による移動の困難を受けて設計され、

当初はオーストリアのシュタイヤー社が製造しました。簡潔で大量生産に向いた構造

になっていて、パイプフレームのダブルボギーの採用もその一環のように思えます。

 使用実績から見る限り、RSOのダブルボギーに欠点があったとは考えにくいのですが、

それはこの車両の最高速度が時速17kmに過ぎなかったためとも考えられます。

このスピードの遅さゆえしばしば進軍の足枷になったといいますが、悪路では期待

された性能を発揮ました。

当時のニュース映像のRSO

 トーションバーやオーバーラップ転輪を使用したドイツのハーフトラックも悪路走破に

威力を発揮しましたが、複雑な機構故に生産を阻害したと思われます。

 一方、アメリカのハーフトラックは上記の35(t)戦車に類似のダブルボギーを採用し

キャタピラもゴムにワイヤーを内臓した簡素な構造でした。

 どうやらダブルボギー転輪は軽いソフトスキン車両に向いた機構だったようです。

 ● 日本戦車のサスペンション

  • Photo

 日本が戦車の開発をはじめた時期は早く、第二次大戦前の時点では先進的な技術

をいくつも持っていました。

 九四式軽装甲車に初めて使われたサスペンションもダブルボギー転輪の中では

最も発達した機構を持っていたといえます。このサスペンションは結局終戦まで使われ

続けましたが、それは戦車の開発が一時中断したためとはいえ、信頼に足るもの

であったからと思われます。

 二つのボギー転輪を支える車体側の軸は、前後に離れた二箇所になりました。

これによって、ダブルボギーの緩衝力と欠点であった前後の安定を両立させています。

 前方の転輪が起伏に乗り上げると、ボギーの支点が1/2だけ持ち上げられ、さらに

その一部はスプリングを介して後方のボギーを押し下げ、車体の上昇は1/4になる

というものです。

 このサスペンションは一見独立している二つのボギーが中央のバネを引っ張り合って

干渉している特徴があります。バネは左右から引っ張られることで縮み、お互いの荷重を

分散させる働きをします。

  • Photo_2

 バネにこういう繊細な機構を取り入れたのは日本の生産するバネの性能が安定して

いなかった為でもあります。強力なバネを生産する技術があれば、トーションバーなどの

高級なサスペンションへ移行していったはずですが、日本では兵器研究が艦船や飛行機

に集中したため、戦車の開発は著しく阻害されてしまっていたのです。

   ────────────────────────────────────────────────

 様々な改良によってダブルボギーは生き残ったわけですが、その応用範囲は軽量の

車両に限定されているように思います。重量のある車両はもっと機構の簡単なボギー

転輪や独立懸架になっていて、やがてトーションバーの独壇場となってゆくのです。

 

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