T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

初春改案 2

2010-11-25 23:04:25 | スケッチ

 以前予告した初春改案のスケッチが見つかったので発表します。

日付けによれば平成11年(1999年)1月となっていますが、本邦初公開です。

原図が見づらいので着色しました。

  ● 初春改案

  • PhotoPhoto_2
  •  初春型駆逐艦は戦前に建造された旧日本海軍の駆逐艦です。

当時の日本の軍事的事情を反映し、排水量に比較して過大な重武装を施され

進水直後から傾斜復元の問題が露呈したため大改装された経緯を持ちます。

右図上が竣工時の姿で中が改装後の状態です。

 初春型のみならず当時の日本艦艇共通の問題であった重武装化は軍縮条約の

産物であって、個艦戦力を高めて強引に海軍力の底上げを図った代償と言えます。

そして武装の過大さのみならず、他の部位のアンバランスさがこの時一挙に補正

されました。艦橋施設の重量を減らし煙突・マスト・高所の構造物を低くし、一部は

撤去されました。船底にバラストを搭載し軽量化で構造的に弱かった部分の補強

も成されたのです。

 私の改案では、ごらんのように船体(船首楼)の一部を切り欠いて、そこへ主砲塔

を移設しているほか、艦尾にも背負い式に砲塔を増設しています。その意図は、

前後の砲塔群をもって対空射撃を実施する空母艦隊の直衛艦にする事にあります。

 ● 対空射撃艦

  • Photo_3
  •  日本の駆逐艦の歴史をひも解くと、魚雷と発射管の増強がまず目に付きます。

そして砲腔兵器の増強が行われる一方、当時から頭角を現してきた航空機の脅威

に対する対策も始まっていました。

 駆逐艦用連装砲塔のB型は対空用照準装置を備え、仰角も75度まで取れる設計に

なっていました。ただし、薬嚢式人力装填であり有効な信管秒時調定装置もない為、

ただ上に撃てるだけの砲でしたが、歴史的な方向性としては正しいと言えました。

 有効な対空射撃が出来る駆逐艦の登場は、戦争後期の秋月型、松型の登場を待た

ねばなりませんでしたが、両艦が艦隊や船団の護衛を重視していた点も歴史の流れ

であり、私は初春の改装をその流れに沿ったものにしようと考えたのでした。

 ● 艦首の改装

Photo_4 Photo_5

  •  原案をまとめて模型製作に踏み切った後、気にかかる点をいくつか改めました。

艦首の形状をいじったり、一番砲塔と二番砲塔の連装単装を入れ替えたりしています。

そのたびに模型の方も作り変えた記憶があります。

 ナックルラインとは船体の角ばった部分のことで出っ張ったナックルラインとへこんだ

ナックルラインの二種類があります。左図のようにした意図は、船首楼の容積を増やして

艦首を波に突っ込んだ時の浮力を大きくするためです。

 右図のような配置に変えた根拠は、三つあります。一つは二番砲塔の位置は平射する

時に舳先が邪魔にならないことと、単装砲塔は直径が小さく艦首の細い駆逐艦では、

このレイアウトが有効なこと。又この理論を提唱した平賀譲造船官が初春改装の指揮

を執った事によります。

 当時的にこの案は全くの独創であり、誰からもかえりみられないことは明白でした。

二年ほど前にこのブログで発表しようかと考えた時にも躊躇したほどですが、このたび

初春の新造時の模型がアオシマから発売される事を契機に発表に踏み切ったものです。

 

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デジカメ画像 5

2010-11-19 22:40:29 | 日記・エッセイ・コラム

  ● プロバイダーの移転について

 アイネクストへの乗換えを予告していましたが、改めて検討したところそれほどメリットもなく

中止することにしました。手続きが面倒な上、使用料も変わらないことが分かったためです。

 ● デジカメ画像

  • 紅葉の季節が近づき場所によっては赤い木々がみられるようになりました。
  • 日差しも安定してきて風も強くなく、撮影にはよいコンディションと言えます。

    惜しむらくは、今年はこうした秋の期間が短かったことでしょうか。

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    初春改案 

    2010-11-14 22:14:46 | スケッチ

       ● コミティア

     本日は第94回コミティアが開催されたそうです。参加者の皆さんお疲れ様でした。

    私は健康面で不安があったので参加は見合わせました。肩や首の具合がどういう風に

    頭痛へ波及するのかや、薬の強さや副作用が今一つつかめず、危険を感じたのです。

    特に、思考がはっきりしなくなるのはいろんな意味で危ないのです。

     あのイベントには昔から一般参加していて、いつかは自分の本を出店したいと

    思っています。

      ● プロバイダーの移転

     電話勧誘でOCNからアイネクストという会社へプロバイダーを移管することになり、

    これから実際の手続きに入ります。以前の引越しの際にはブログを消されてしまって

    難儀しましたが、今回はそういうことはないと思います。ただし、もしもの事がありますので

    本ブログが一時的に消えてしまっても、何らかの技術的トラブルとお考え下さい。

     ● 駆逐艦「初春」改案

     以前、「僕の考えた戦艦(笑い)」の項で触れた「初春改案」の画像を紹介します。

    アオシマから近々(11月下旬)、初期状態の初春のモデルが発売になると聞いたからです。

    日本海軍の汚点とも言えるトップヘビー状態の初春ですが、その容姿には人を惹き付ける

    魅力があります。 

    111_c

    • 081_b_2

    •  この改案は2002年ごろ考え出し、スケッチの後に模型製作へ移りました。

    現在、スケッチが見つからないので、発見次第掲載します。

    • 085_b 083_b

    •  初春は当初武装の過積載等の原因からトップヘビーとなり、復元性の欠陥

    から転覆の危険がありました。この傾向は当時の日本艦艇全体の傾向であり

    速やかに徹底した復元性回復策が施行されたのです。

     特に初春に施された改造は艦影を一変させるほどの物で、その後は平凡な

    性能の駆逐艦となってしまいました。

     性急に行う必要があったとはいえ、あれは残念だなと考えた私は、できるだけ

    以前の初春の性能を保ったままの改案を考えました。それがこれらの画像です。

    • 102_b 101_b

    089_b

    • 088_b
    •  詳しい解説は次回に回しますが、ご覧の通り艦首に背負い式砲等を残した

    のが大きな特徴です。 対空装備が大幅に増強されており舷側や艦橋前面に

    防弾板が増設された状態になっています。

     これを作った当時、艦船模型の新作が次々に作られ始めた頃でしたが、

    歴史的経緯や建艦設計に深く考証を求めた架空艦は理解されないと考え、

    発表を断念した記憶があります。

     ちなみに画像の海面の部分は濡らした紙ナプキンで、色調調節でそれらしく

    見せています。

     機会があったら、又別の架空艦を作ってみたいです。

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    ここ一ヶ月のこと

    2010-11-08 17:44:39 | 日記・エッセイ・コラム
    • 019_b   

    10月初旬で現住所に移転してちょうど3年になりました。

    3年というのはある意味で節目になります。経験則的に私は3年前の出来事が

    噂話として蒸し返されることを知っていましたが、なぜ、誰がやっているのかは

    全く分かっていません。半ば年中行事と化しているのでこの点については今更

    言うべきことでもないでしょう。

     ただ、これに狼狽した人物が自分と私の立場を入れ替えようと画策する様子

    は毎度ながら見苦しいと感じています。

    • 016_b

     さて、過日実家で荷物整理をしたところ学生時代のペン画が出てきたので

    紹介しましょう。全体が全紙大の厚紙に絵がかれていますが、画像の部分は

    大体A4位の大きさです。

     当時は丸ペンによる画風に凝っていたので、デザイン科の課題にかこつけて

    戦闘機を描いた訳です。

    •  023_b

     神田神保町の古本市に行きました。存在は知っていましたが、なかなか

    時間が取れず、最近暇があるので行ってきました。

     紙媒体が廃れ始めたと言われて久しいですが、まだまだ貴重な情報源は

    紙の上に記されていると感じました

    026_2

    • 045_b

     その後、遅い台風の襲来があり古本市や各種学園祭が影響を受けました。

    近所の某大学の学祭には毎年足を運んでいますが三度目になる今回は

    少し萎縮してしまったように感じました。

     ここの学祭のJAZ喫茶には毎年生演奏を楽しみに足を運んでいます。

    • 035

     その後、脳神経外科の医師に診察を受け、鎮痛薬を処方されました。

    この薬は市販の頭痛薬のような即効性はないものの、効き目は確かでした。

     私は長年肩こり首こりに起因する頭痛に悩まされており、今年になって

    生活に支障をきたすほど悪化してしまったことは以前にも書きましたが、

    自分での対処療法はもはや限界にきていました。

     新しい薬は確かによく効きますが、一方で副作用もあり、眠気と意識の

    混濁を伴う場合があります。そのため、頭痛にに苦しむか生活サイクルを

    乱してしまうかの二者択一を迫られています。

     また、この薬は過敏な神経質さを抑える代償にイマジネーションを削いで

    しまいます。これはプロの絵描きとして非常に問題であると言えます。

     まだ投薬を始めて10日ほどですが、頭痛の恐怖からは逃れられるものの

    首コリを根本的に治癒するには至っていません。気長に回復を待つしか

    ないようです。

     PS、 造形関連の会社への就職は成りませんでした

      宇宙戦艦ヤマトのプロデューサー西崎義展氏が不慮の事故で亡くなられました

      お悔みを申し上げます。

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