T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

近況 15

2017-04-18 00:50:25 | 日記・エッセイ・コラム
 首に関連する頭痛について、市内で治療している医院が見つかったので通院しています。
今まで大きな病院で検査を受けるなどしたものの、それ程深刻なものではないという診断
で痛み止めと自己流の治療で過ごしていたのですが、今度の病院では頸部の神経が圧迫さ
れ変形しているという診断をうけました。
 同じMRI検査のデーターを見ても医師によってこれほど違いが出るものかと思ったのです
が、そこは一応意見を聞いてしばらくリハビリしてみる事にしました。もし症状が改善さ
れれば彼の所見は正しかったと言う事になります。
 と言っても、何カ月続ければよいのかわかりませんし、医師は姿勢に気を付ければすぐ
にでも重労働もできると言っているものの、まだ全面的な信頼はおけない状態です。
 リハビリは自宅で行うストレッチと通院して受ける治療の二つがあり、それ程特殊なも
のではありません。その程度で頭痛がなくなるのなら、もっと早くから実践していれば絵
の仕事をなくすようなこともなかったのではないかと思っています。

 体の異常は他にもあって、1年ほど前に足をひねった事をきっかけに小指の周囲が痺れ
るようになり今もって回復していません。今年に入ってからは手の親指が痺れ始め、これ
もこの先どうなるか分かりません。本のページをめくる時や筆記用具を扱う時など感触が
ないとやりにくく、別な部分に痺れが出ないか心配しています。
 ほかに右肩が五十肩になりかけていますが、こちらは大したことなく半年くらいすれば
治るはずです。 

 二か月くらい前に顔の毛を抜いた刺激で変異した組織がイボになり、大きくなったり小
さくなったりしていたのですが、風呂でふやけたときにむしりとった所その後消失してし
まいました。私は10年おきくらいに皮膚にできものができる体質なので、自然治癒させ
るか外科で切除してもらっていました。
 イボの類は根があって表面上切り取っても後から再生するものですが、今回の場合、下
から出てくる新しい皮膚組織に押される形で消えてしまったのです。
下手にいじると転移する危険もあったので、これは幸運でした。
 歳とともにメラノーマのような悪性腫瘍ができるリスクも増えるので、つぎからは病院
で検査してもらおうと思います。

   ────────────────────────────────────

 今月早々、戦車サスペンションの本の完売報告があったので、先週納入しました。現在
ネット販売が在庫なしとなっていますが、取り寄せ可能なはずです。
 書泉さんの店舗は秋葉原と神保町にあり、訪ねて行ったところ神保町ではまだ在庫があ
る状態でした。思うに、秋葉原の方が良く売れるのか、ネット販売が好調なのかもしれま
せん。
 現在「戦車サスペンションの本Ⅱ」を制作中です。予告通り戦後のサスペンション事情
へと進んでいますが、意外と資料が乏しく難儀しました。可能な限り調査を続行し、来月
には刊行予定です。今後ともよろしくお願いいたします。 

「戦車サスペンションの本」のオンライン販売
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サイコパスの存在意義とは

2017-04-09 05:05:52 | 日記・エッセイ・コラム
 サイコパスに関する記事は今回で一応一括りにしたいと思います。
前回の最後に平和に暮らしている無害なサイコパスもいると書いたのですが、私自身それ
が気にかかったので、世間的に彼らが必要とされるケースに関して触れたいと思います。

  ● トロッコ問題



 良く知られている心理テストです。一両の暴走トロッコが行く先に複数の人間が居て、
このままでは轢かれてしまうのであなたはポイントを切り替えて別の線路にトロッコを逃
がそうとします。しかしそちらの線路にも人が一人居て、あなたはどちらを助けるか瞬時
の選択を迫られます。あなたはどうするのか?という問いがテストです。
 この問題に解答はなく、この理不尽な状態にどう対処するのかと言った行動を見ます。
私は、ポイントを中立にしてトロッコを脱線させるというトンチで答えてしまいましたが
他の人もそれぞれに人的損失を避けるため何かしらの方法を取ろうとします。
 しかしサイコパスの場合、迷うことなく最小の損害を選びます。すなわちポイントを切
り換えて一人を犠牲にし、多数を助ける道を取るのです。これによって他人への感情移入
の低さとか合理性を優先させる思考とかが明らかになるわけです。

 こうした問題は別にテストに限ったことではなく、今も世界のどこかで起こっています。
それに対処する場合において、後悔するような方法を取らないようにできるのかという心
配の種は尽きる事がありません。そして、対応が正解であっても不正解であっても、その
後の心理的ダメージが大きく残るのが一般的な人間なのです。
 ところがサイコパスの場合、迷うことなく判断を下し実行することができます。そして
心的外傷がほとんどないと言う事が知られています。これは戦争のような非常事態が連続
する場所において理想的な人材であると考えられているのです。

 戦争のような有事は別としても我々の住んでいる社会にはいくつもの危険があり、また
難しい判断を瞬時に要求される場合が多くあります。例えば社運がかかっている判断など
で社員の事をいちいち考えていたら判断が遅れてしまいます。迷わず多数を生かす判断を
下したとしても、その後に後悔にさいなまれ別の判断を誤ってしまうと言う事もあります。
 そこで、こういう難しい判断を要求される役職ではサイコパスのような人材が重宝され
る傾向があります。その人事に反対する社員もいるはずですが、では代わりにその役がで
きるのかと言えば無理であることは言うまでもないのです。

 社会的に重要な役職や政治的な立場にサイコパスが居ると考えても別段不思議ではない
と言えます。そうした人たちは皆、世間的なサイコパスのステレオタイプなイメージでは
語ることができないので、多くの場合暗黙の了解として片づけられているはずです。

  ● 歴史上の偉人

 よく偉人には奇行が多いとか人とは違った行動をすると言います。天才的な知能のなせ
る技なのか、はたまた偉人を持ち上げるために捏造されたエピソードなのか、実際の所は
様々だと思います。
 しかしサイコパスのエピソードには共通した部分があって、常人にはできないような残
酷な判断を一瞬で実行してしまうということがままあるのです。
 それが結果的に良い方へ働いたがために偉人と呼ばれるわけですが、勿論悪い方向へ働
いたケースもあるでしょう。いわゆる黒歴史と呼ばれる伝承はそうした残酷なエピソード
であふれています。
 今ここではその具体例には触れませんが、サイコパスが太古から存在した査証として、
よく引き合いに出されるケースと言えます。こうしたことから、サイコパスは長期的に見
れば人類の生存に何かしら重要な役割を果たしているのではないかと言われています。
 これから研究が進めば、まさかあの偉人がというケースも出てくるのではないかと思い
ます。 

 ● 今度はもっとうまくやってやる

 これが犯罪に失敗した者の言葉とすればぞっとしますが、会社経営に失敗した資本家だ
とすると、むしろ頼もしく感じます。失敗から得た経験をフィードバックして、次に生か
そうとするにはそれなりの覚悟がいるものです。大抵の人は前者の場合罪悪感もあるので
馬鹿な事はもうやめようと思うものです。
 ところがサイコパスにとってこの二つはそれほど違わないのです。目的がなんであれ自
己の利益追求という行動である以外、意味はないのです。
 犯罪が露呈して捕まったサイコパスは様々な弁解と悔恨を口にします。そしてもう二度
とやらないと誓いますが、自由の身となるとほどなく再犯します。嘘をつくことにも罪悪
を感じないサイコパスにとっては、最終的に自己の利益を上げる為の道のりにすぎない訳
です。
 ではこれが軍事作戦だった場合はどうでしょうか。あらゆる困難を超えた後に目的を達
する超人的な兵士をどの国も欲しています。戦争とは敵を騙すことだと孫子兵法にもあり
ますが、サイコパスは何をしても良心の呵責を感じる事はありません。まるで映画の中の
フィクションであるかの様な話ですが、高い知能と体力を持ったサイコパスになら実際に
困難な軍事的任務を達成することが可能なのです。

 しかしこうした利点を列挙しても、日常的な生活の場にサイコパスを招くことに抵抗が
ある方は多いでしょう。当のサイコパス自身もそれはどうでもよい事です。彼らは刺激を
好み自己の利益を追求し、仮に自分がサイコパスであることを告知されたとしても、ほと
んど気にかけない(少し驚くかもしれませんが)のです。平和な日常世界は餌食のいる狩
りの場でしかなく、自分の行動がうまくいっている限り非常に愉快でいられます。
 したがって、サイコパスを社会で生かすには居場所を与えて能力を発揮できるようにす
べきなのです。報酬が保障される限り、サイコパスを訓練する事は難しくないという研究
もあります。
 サイコパスが文化人類学的にどのような役割を担ってきたのか解明することが、一つの
解決策となるでしょう。

 ● 人造人間キカイダー

 1972年に放送された故石森章太郎原作の特撮番組と関連コミックです。好評を博し
シリーズ続編も制作されハワイでは国民的ヒーローとなりました。
 一話完結のパターンと全編を通したテーマがあり、主人公である人造人間ジローは敵対
する組織ダークと戦います。ジローは超人的な能力を持つものの「不完全な良心回路」と
いうガジェットを装備しています。ダークの首領ギルが笛を吹くと悪の共振によって良心
の葛藤に苦しみ機能不全を起こしますが、毎回何らかの方法で笛の音が聞こえなくなると
ジローが反撃に転じると言うパターンがあります。
 この良心回路に関する設定は特撮バージョンの場合この程度のものですが、コミック版
ではさらに突っ込んだ描写があり、良心回路を停止して兄弟にあたるロボットを無慈悲に
破壊するというエピソードがあります。

 原作者は人類史に造詣があり特に戦争における破壊には関心があったらしく、同じ人間
同士の殺し合いという部分によく言及しています。ただしこれは時代背景もあって、冷戦
期の作家は大なり小なりこうした部分に関心がありました。ベトナム戦争におけるアメリ
カ兵の残虐行為は良心とは何かという疑問を想起させ、転じてロボットに良心を持たせる
事は可能なのかと言った疑問へ発展したと思われます。

 私は良心回路というガジェットが好きで、自分でも狂性回路という造語を考えました。
それは創作に関する頭脳労働を人工的にやろうと言う、自分の体験を含んだ考案でした。
 現在になってサイコパスという症例に鑑み、人間の良心がどのように発生するかと言う
メカニズムが具体的に解明されつつあります。これらの新しい研究は古い時代のSFに次
なる世代の可能性を与えるかもしれません。
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サイコパスのクリエーター界隈での危険性

2017-04-02 21:32:27 | 日記・エッセイ・コラム
 何回か続いているサイコパスの話題ですが、もうしばらくお付き合いを願います。
事が非常に重大だと考えたので、現在個人誌を作っているのですが、その時間を割いてこ
ちらに充てています。

  ● 作家間での危険性

 私は以前からクリエーター間の争いは避けるべきだと考えていました。性善説などとい
うつもりなど毛頭なく、兵法的な考え方で仲間内で争っていたら外部からの干渉を招くだ
けだから無用な争いは見た目以上に危険だと考えていたのです。
 そこで傍目から見れば必要以上に自己を主張することに消極的でした。クリエーターな
ら自己主張は作品内で充分です。作家の存在意義はその表現にあるのです。私生活で他の
作家諸君と不毛な争いなどすべきではなく、何か一定のルールに則って競い合うべきでは
ないかと思っていたのです。

 しかし、サイコパスという存在を知った時にその考えは根底から揺らいでしまいました。
日本人の1000人中に数人存在するとなると、その確率はクリエーターにも当てはまるはず
です。良心の呵責のない人間が少数でも混ざっていれば、作家間の争いを避けると言う考
え方は通用しなくなります。
 人間同士の共感や感情に疎いサイコパスにクリエーターとしての活動が可能なのかとい
う疑問もありますが、優れた文学作品を残す死刑囚や自己の表現として傷害を繰り返す者
の話を読むと、それは技術の問題に還元できるように思えます。つまりそれはそれで個性
なのです。それどころか罪悪感がなく長期的な計画ができないと言うことは、作家として
不要なストレスのない解放された世界を展開する可能性があります。

 そうしたサイコパスが作家間に入り込むことに成功すると、サイコパスは犯罪的な手法
をものともせず、欲しいと思った他の作家の情報を盗み自分の物と主張し、なおかつ罪悪
感を覚えないという厄介な行動をとるでしょう。これでは正常な作家間の競争など望むべ
くもなく、盗んだ者勝ち、やった者勝ちとなってしまいます。
 この構造の根底にあるのは、作家間の仲間意識の欠如、お互いを尊重する気持ちの欠如
であってルールの崩壊とは異なると思います。つまり当事者間の合意や了解を抜きに、一
方的な搾取や依存があるのです。そしてなおかつ堂々としているので傍目からはルールは
破っていないかに見えるという危険な状態となります。正常なクリエーターのコミュニテ
ィーにサイコパスが混入することによって引き起こされた混乱です。
 つまり普通の作家間では高度なギブ・アンド・テイクが成立して秩序を保っているのに、
そこにサイコパスが入り込んで所かまわず搾取を始めた状態なのです。

 さらにサイコパスは他人に依存的な関係を強要しコントロールしようとすると言います。
搾取できるだけ搾取して取れるものがなくなると捨てて他を探すのだそうです。そして、
その行為に対してなんら罪悪感を覚えないのですから、もう捕らえて隔離するかコミュニ
ティーから締め出す以外ないように思います。
 しかしながら日本の法律では個人をそういう形で拘束する事はできません。何か直接的
な犯罪を犯さなければ捕らえる事は出来ず、有害だと分かっていても手を出せないという
のが実情です。
 そして、もし資本と実力を持ったサイコパスがクリエーターの上に支配的な関係を構築
してしまったら、多くのクリエーターが搾取の対象となってしまいます。これは某業界の
労働条件の悪さを見ると既に現実になっていたのだなと実感出来ると思います。

  ● 作家を取り巻く人々の間での危険性

 昨今、各所で見られる著作権の侵害とかアイディアの盗用とかいった事件は、凡ミスの
様な部分もありますが、大っぴらにネット内等で複製・配布等の行為をしている人間に関
しては、罪悪感を持たない人間・サイコパスの仕業ではないかと疑いを持った方が良いの
ではないかと私は思い始めました。
 ネットが普及して暫くの間は誰もが情報を共有できるという喜びを享受したものです。
ネット共産主義は情報を持てる者から収奪して待たざる者に均等に配分するのだと。が、
その裏で情報を不正に取得する方法の発達も長足の進歩を遂げたことは見逃せません。
これらは捕食者としてのサイコパスの活動を裏付けるものではないかと私は考えています。

 勿論、それ以前にも情報を不正に取得しようと言う動きはありました。いわゆるスパイ・
諜報活動は太古の昔からあり、個人レベルの探偵業もそう新しいものではないと思います。
 また、80年代ではバブル経済の恩得もあってタガの外れた人たちが、感じの悪い者を
吊るし上げる形で情報の搾取の対象とし、周囲もなんとなく容認してしまったという狂っ
た時代でもありました。パパラッチや悪しきマスコミの攻勢はこの時代にエスカレートし
たものです。
 しかしネットの普及はそれを遥かに超えた情報の高速化と大規模化をもたらし、個人の
情報が即世界へ発信されて消える事はないという状態になりました。今やだれもがスパイ
ごっこに興じ、他人の恥部を世間に晒すことで一時の刺激を得る時代です。
 そうした動きに歯止めがかかっているのは、やりすぎれば警察当局が動く環境ができて
必要以上によそ様の事情を知る必要がない以前の状態に戻りつつあるからです。教育の場
でもネットに乗せて良い情報と悪い情報くらいのことは教えていますし、最近ツィッター
では17歳以下の発信を規制するという動きがありました。
 こうした動きは年々充実しているので、いずれは他人の情報を悪用するという手段も小
規模なものになると期待できます。

 しかし、それでも私が気がかりなのはサイコパスには良心の呵責や罪悪感がない点です。
脳障害によってそうなったと言っても実害を受ける人達にはたまったものではありません。
いわゆる突撃と呼ばれる行為によってターゲットとなる人物の情報を得てネットで拡散し
た結果、当局の規制の手にかかったとしても全く意に介さないわけです。自由の身となれ
ば又同じことを繰り返しますし、規制にかからず逃げおおせて継続する知恵がある場合も
考えられます。
 重要なのはサイコパスとその知能の程度には直接の関りがないということです。本当に
知能が高いサイコパスならば、そうして取得した情報を高値で売買すると言うことを考え
るでしょう。要するに探偵業のようなものです。規制の手がかかる前に法律ぎりぎりの事
をして荒稼ぎしようというサイコパスもいるはずです。目の前の利益に飛びつく傾向のあ
るサイコパスにとって薄利多売ができるネット上での取引は魅力的な市場でしょう。
 こうした事情から前述のネット等での著作物の複製・無断配布の行為はサイコパスが深
く関与しているのではないかと考えたのです。
 
 さらにこれに絡んだ既得権益をめぐって競争相手(おそらくサイコパス同士で)を潰し
て自己の利益を伸ばそうとする動きもあると言います。ここまで来ると既に暴力団のやっ
ている事と何ら変わりはありません。いや、もっと正確に言うと、サイコパスの持つ形質
である自己の利益を上げるのに邪魔だから消すと言う短絡的な行動と合致するのはないか
と思えるのです。

 自分で田畑を耕して収穫を得るクリエーターに対して、これらの捕食者は自分では何も
生み出さず搾取するのみなのです。そして罪悪感を感じることがないので謝罪とか許し許
されるなどという関係は考えにもないのです。
 前述の資本を持ったサイコパスはまだいい方で、最低限の報酬もクリエーターに還元し
ない為に大損害を被った人も多いといいます。
 
 ● どうすべきなのか

 こうした今起きているクリエーター界隈の問題は、サイコパスの関与による所が大きい
と思います。出来得ることと言えば、まずは自衛でしょう。
 サイコパスの特徴をよく学習して、人間関係の場で合致する人物を見つけたら逃げるか
気を許さないと言う事が前提です。ネット内でそれらしき書き込みを見つけたら、スルー
するか軽くあしらい通報して管理者に対処を求め、自分では決して関わらないことです。
 そして間違ってもサイコパスの甘言に乗って手を貸すこと等ないようにしなければなり
ません。サイコパスは他人に対する同情を持ちませんから、それで損害を与えても使えな
いと思えばさっさと切り離して次の人を探すことでしょう。

 サイコパスの主な特徴は関連サイトや書籍を調べればすぐにわかりますが、その要点は
罪悪感がないという点に絞られます。謝罪しない人とか同じ加害をずっと続ける人等はこ
の形質が現れたものです。しかし知能と経験を積むとサイコパスは自分のこの形質に気が
付いて別の感覚を経由して補正すると言います。また、常人でもポーカー・フェイスで通
すことによって競争に勝とうとすることもあるので、ガードを固めたサイコパスを見抜い
て普通の人と区別するのは専門家でも難しいと言います。
 次の特徴は感情が薄い事だといいますが、これもやはり普通の人との決定的な差とは言
えないのです。

 その後に関しては、残念ながらその展望を書くことはできません。魔女狩りの再現など
考えただけでも恐ろしい。平和に生活している無害なサイコパスもいるのです。
 彼らに関する世間の正しい認識と研究の進展を望むのみです。

 現在、関連書籍を何冊か入手しましたがそれらに関しては機会があったらご紹介します。
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