T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

近況 19

2017-07-23 14:06:19 | 日記・エッセイ・コラム


 肩から腕にかけての痛みは薬を飲んでも治まらず、首へ波及してしまいました。
どういうことかというと、寝る時の姿勢が今まで首をかばって上向きに寝ていたのに対し、
腕をかばう様に左向きの横の姿勢で眠るようになったため、知らず知らずに首に負担が掛
かってしまったようなのです。困ったことに上向きの姿勢だと腕に痛みが出てしまうので、
クッションを挟んでみたり腕を曲げてみたり試行錯誤しているのですが、なかなか上手く
行きません。最終的にうつぶせにクッションの上に乗るという姿勢に落ち着きました。
 7月初旬の時点で後頭部の頭痛も起きなくなっていたのですが、この1週間の腕の痛み
は激しく、なかなか寝付けない状態が続きました。その負担が首に来て頭痛がぶり返すと
言う具合で誠に苦しい病状が続いています。今後の進展を冷静に考えると、この夏の間は
腕の痛みは続き、その回復に伴って秋以降は首の回復も進むはずです。
 見通しとしては暗くありません。むしろ明るいと言えます。来年、痛みから解放された
あとどうすべきなのか、そろそろ考え始める時期に来ています。

 とは言っても、この5年で生活はかなり荒れてしまって同人誌の経験は増えましたが、
仕事方面では良い部分がありません。同人活動によって本来の仕事に結びつく部分を期待
したのですが、まだ成果が出ない状態です。ただ、定期的に何らかの成果をアピールする
ことはできていますが、インパクトとしては弱いと言えます。
 人から見て決定的に上手いと思える絵の技量があればまだしもですが、アイディアみた
いな曖昧なものではアピールしにくいのは当然で、盗まれる被害ばかり増えると言う有様
です。そしておそらく盗んで行ったやつらは、善悪の区別が行動に反映していないのです。


 さて、それはそれで。今週は市内の図書館で不要図書の配布があると云うので出かけて
行きました。とにかく自転車で走れば運動にもなって気が晴れると言うものです。
 図書館のリサイクル図書の配布は度々お世話になっているのですが、今回は映画関係の
本を多く入手できました。その中の一つに気になる文章があったので抜粋してみます。
文章は1964年に書かれたものですが、著作権は作者の死後50年と言う事ですので予告なく
削除する場合があります。◇

 私の真実の日記から
1964年3月2日

 これは告別の辞である。
 〈中略〉
 攻撃と行動に私は、疲れてしまった。
 もちろん自分の身にひき較べての話だが、自分が人に頼られている重要な人物と思いこ
むのは実にたやすい。
 自分が後れを取るかどうかの問題ではない。
『ヴォイス』のコラムをつづけるかどうかの私の葛藤は次のようなものだった。
 私は、単に映画作家たちに仕える惨めな奴隷で、自分の役目を果たし、少なくとも友人
に対して役立つことをしなければならないのか?私の自由は人に奉仕することより重要で
はないのか?私は人々を見捨ててヒマラヤにこもり、自分のことだけにかまけるような人
間なのか?私をそそのかしているのは私のエゴイズムだ。自由の問題ではない。
 自分のしていることは、人が望んでいることなのだと思い込むのはたやすい!
 実は、何も望まれていはしないのだ。
 このコラムだって同じことだ。


◇この文章を書いたジョナス・メカスという人はニュー・アメリカン・シネマというムー
ブメントに半生をささげた人物で、当時は何かの壁に当たっていたらしいのですが、翌週
も辞めると言ったコラムを継続して執筆したそうです。
 なんと、遥か昔に今の私と似た心境の方がいらしたとは。
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サイコパスが行う支配ゲームとは

2017-07-15 15:49:56 | 日記・エッセイ・コラム
 腕の痛みが悪化してしまったので絵を描くのが困難になってしまいました。病院で診察
してもらいましたが腕の痛みに関してはまだ何とも言えないという困った診断でした。
 仕方がないのでキーボードで打てる記事の作成などすることにしました。例のサイコパ
ス関連の話になりますが、あれからまた数冊の本を読んだので、それらを基に書いてみた
いと思います。

  ────────────────────────────────────

 サイコパスはある外部からの刺激には全く反応せず、そのために別の刺激を追うことが
知られています。ある刺激とは人間的なつながりから生まれる愛情とか連帯感と言った物
や、他人が受ける刺激を見て自分も感覚的に追体験するといった部分です。生理的表現に
してみれば、脈拍が上がる・発汗する・血の気が引くとか茫然自失する状態になる等の、
我々には身に覚えのある反応が自身の身体に現れます。
 私達は実際に他人が刺激を被る場面に遭遇した時にもそうした感覚を覚えますが、他に
も身近なエンターテインメントにおいてそうした刺激の疑似的な体験ができます。映画や
漫画・アニメなどで登場人物に感情移入し、一緒になって怒りを感じたり悲しんだりして
それがリフレッシュにつながっているのです。しかしサイコパスにはそうした感覚がない
ので、世にあふれるメディアにはほとんど意味がないと言えます。
 これはサイコパスにとって大変なマイナス要素と言えます。いわゆるオタク的世界観は
サイコパスにとって入り込めない領域と言って良いでしょう。

 ではサイコパスはそういう感覚なしにどうやって刺激を得ているのでしょうか。
 簡単に言ってしまえば、自分で体験できる部分が主軸となって人生が構成されるリア充
的生き方となるのです。しかしこれはオタクと対比してこういう言い方になるのであって、
一般人でもオタク的生き方とは無縁な人もいます。サイコパスはリア充的生き方から更に
様々な刺激要素が差し引かれて、きわめて貧弱な文化生活を送ると考えられます。
 性的快感は最も得やすい刺激であるので、自然とその方向へ力を向ける事になります。
また、他人を支配したり優越を感じたりする事も数少ない快楽であると言います。しかし
そうした感覚が得にくい状況に陥ると、自分の感覚を麻痺させて逃避する方向へと向かう
と言います。サイコパスの多くが最終的にアルコール・薬物依存症になるとう統計があり、
このことは彼らがスーパーマンではないという査証になっています。

 この他人を支配したり操作するという快感は、達成後の安心感も手伝ってかサイコパス
の行動の主要な部分となっています。そして、この行動は人間よりも下等な霊長類や哺乳
類にも見られるものであり、原初から受け継がれた本能的な部分が大きいと考えられます。
 代表的な例として、サルのマウント行動が挙げられます。サルの群れのボス猿や位の高
い個体は、自分より目下の個体の背後に覆いかぶさって上下関係を確認する行動をします。
 それは上下関係が揺らぐような状態になると頻繁に行われるようになりますが、結局は
実力行使による上下の逆転劇に勝る威力はありません。マウント行動は単に精神の安定の
為に行われるのであって、上下関係そのものとは関係ないのです。ただし、下の物が上の
物にマウントすることはほぼ無いので、上下関係のバロメーターとはなります。

 サイコパスもまたこのようなマウント行動によって刺激を得ていると考えられます。
それを頻繁に行うのは健全な人間のように疑似的なメディアから刺激を得る事が出来ない
からであり、言い換えれば数少ないサイコパスの娯楽の一つと言えます。
 マウント行動は支配欲求の現れであり、支配した後に形成される支配体制から生じる実
利や責任とは直接の関係がありません。それはそれで別なものなのです。ですから支配体
制を確立してもサイコパスにそれを実質的に運営する責任感は必要ないと言えます。
 そこで、支配ゲームの果てに会社組織のようなものが形成された場合、地道にルーチン
ワークができる者を役職に就け、組織運営を任せると言う事になります。昔はよくワンマ
ン社長に振り回される平社員という構図があったのですが、それなどは良くこの形を表し
ていると言えます。
 それはそれで、社会的に有意義であるので問題はないかもしれません。昨今世間を騒が
せているブラック企業の出自など、こうした成り立ちが多いのではないかと考えられます。
 実際問題、サイコパス関連の本を読むとその実例には他人に対して無慈悲に支配的に接
する等の例が多く出てきます。個々の事例に違いはありますが、それらの行動がマウント
行動の延長ではないかと考えられるのです。
 健全な人間では、そこまで執拗に上下関係にこだわることはなく、仕事の上で止むを得
ずやっているとか、親として子供を叱る時くらいに限られています。毎日必ず人に対して
支配的な行動を取らねばならない人は相当の疲労とストレスを感じているはずです。
 しかし、サイコパスにとっては数少ない娯楽の一つですから、毎日喜んで支配的な行動
をとっているのではないかと思えます。

 では会社やサークル等の社会的グループを形成できなかったサイコパスのマウント行動
とはどのような形をとるのでしょうか。
 多くのサイコパスは社会でグループを形成する技術も資本も無いので、個人的な狭い範
囲でマウント行動を繰り返すことによって、満足を得ているのではないかと私は考えてい
ます。
 これは推測にすぎませんが、自分より弱い個人を見つけ支配下におく事によって疑似的
なマウント行動を毎日行い得る環境を作るのではないかと考えられます。
 言葉巧みに結婚生活に引き込み、家族となると家庭内暴力を行う人物に変貌すると言う
話はよく聞きます。また、全く他人であってもストーカー行為によって身近に近付き、少
しずつ嫌がらせ行為をエスカレートさせるという例も珍しくありません。
 世間一般では、これらは痴情のもつれと言う事になっていますが、サイコパスには人間
的な感情も愛情もありません。それらは単なるマウント行動の長期的実現の為というのが
私の推測です。

 そういう状況に陥ったらどうすべきなのか?という問題は常にあります。逃げ出しても
追いかけてくるのではないかという不安もあるでしょう。しかし基本的に言ってサイコパ
スに傷つくという感覚はありません。あるとすれば刺激がなくなった事による過失感です。
 サイコパスを相手として気遣う必要はありません。代わりになる刺激をあてがって逃げ
るというのが最善の方法として考えられます。
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近況 18

2017-07-03 13:26:39 | 日記・エッセイ・コラム
 現在もリハビリを続けているのですが、一定のラインから先に進まない感じです。
頭の前半分の頭痛は出なくなったのですが、首筋から後頭部にかけての痛みは消えずに
残り続けています。また、右腕が別の原因で痛みだし、こちらの痛みも相当なものです。
 一時は抑えていた痛み止めの服用を始めたせいか考えがまとまりにくく、いろいろと
生活上の不便が出ています。
 右腕の痛みは今年中には治るはずですし、頭痛に関してもリハビリを続けていけば、
そう長くは続かないと思います。つまり来年には痛み止めを飲む生活とも決別できるか
も知れないという希望はあります。

 季節の変わり目には家の機械類が良く故障を起こすのですが、ネット用のPCの具合は
深刻で、室温をエアコンで25℃以下に抑えないと再起動のループに入ってしまいます。
こんなことでは情報収集に支障をきたすので、PCを買い替える事を考えています。
 作業用PCはまだ快調ですが、これをネット閲覧用にするのには抵抗があり、非常手段
の域を出ていません。
 
 冷蔵庫の冷凍室の送風用モーターが異音を出したのでシリコンオイルを塗布したので
すが、長くもたないようですぐに異音が出ます。零下でも潤滑ができるグリスを使えば
良いのですが、軸受けへのアクセスが困難でスプレー類に頼るしかありません。
 現在は二輪車用のチェーンに使うホワイト・グリスを吹き付けてあります。高熱には
良い特性が出るそうですが、低温ではどうでしょうか。しばらく様子を見てみます。

 ────────────────────────────────────

 例の半年に一度のリセットですが、今回は6月20日ごろから動きがありました。
そして27日ごろには又もや精神異常に関して盛んに喧伝する動きもあったので、今回
も無事(?)リセットは行われたようです。グループの成員が逃げ散る兆散に関しても
それらしい噂話はありましたが、これも例年のことでさほど意味はないようです。強い
て言えば、彼らは所期の目的を果たして次へ転進したのかもしれませんが。
 1~2週間もたてば、またしても再結集するのが毎年のセオリーですので、目新しい
動きはないと言えます。このような行動を繰り返しているのは、「刺激を求めざるを得
ないサイコパス」が主導している為という仮定の確証をつかみたいところです。しかし、
協力が皆無で情報収集が進まないのが現状です。

 また、仮にサイコパスの関与が確定的になったとして、どうするのかといった問題も
あります。日本の法律ではその行動を抑制することは難しく、私の訴えにほとんど誰も
耳を貸さないと言った壁があります。支配ゲームが好きなサイコパスを、自分の生活域
から締め出すのが唯一の方法ですが、強制力がない以上またしても彼らの支配ゲームに
半年なり一年なり付き合わされるのではないかと思えます。
 結局の所破壊された私の人生は元には戻りませんし、サイコパスに良心の呵責がない
以上、私に謝罪することもありえないのです。こういう表現が許されるのであれば、誠
に「気違いじみた所業」と言えます。ええそうですとも!
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