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Ⅳ号戦車の装甲増強に関連したetc.

2013-01-12 17:33:58 | スケッチ
  •   ●Ⅳ号K型改
  • Photo

 Ⅳ号戦車の架空の装甲強化バージョンK型です。

砲身が短くなった印象を受けますが、砲身が30cm(75mmの4口径分)砲塔内に

引っ込んだためです。

 砲塔の外形を保ったので、旧来のシュルツェンの装備も可能でしょう。

 実は本家ドイツではすでに装甲強化のプロトタイプがいくつか作られていて

プラモデルの作例や実車の写真がネットでも閲覧できます。

  ●Pz.Kpfw.IV Ausf.E "Vorpanzer"

  • Photo_3

 フォーパンツァー(?)と言うこの車両はE型をベースに装甲強化が試みられた比較的

初期もので、図のように砲塔と上部車体前面にスペースド・アーマーが、上部車体側面に

増加装甲が施されています。戦車メーカーによって正式に作られたプロットタイプですが、

これらの改良は、F型以降の装甲厚増加と主砲の長砲身化にともなって見送られたもの

と思われます。

 また、砲塔後部の雑具箱が四角断面のものになってピストルポートも廃止されていますが、

これも不採用になったようです。

 後にH型にシュルツェンが装備されるに至って車体側面のバイザーやピストルポートは

全廃されるのですが、その時になっても雑具箱の変更はなかったようです。

  ●当時のドイツ戦車のターレットリングの構造

Photo_4

 図はパンターのものですが、Ⅳ号戦車もほぼ同じ技術が使われている と思われます。

多数のボールベアリングを内外のリングで挟んでボルトでそれぞれ砲塔と車体に固定

してあります。果たしてどうやって組み立てたのか良くわからないのですが、非常に強固

な結合力を持っていて、ちょっとやそっとの加重や衝撃ではびくともしそうにありません。

 こうした構造がベースにあるので、Ⅳ号戦車は度重なる装甲強化や主砲の長砲身化も

許容できたのだと思います。

  ●撃破されたⅣ号戦車

  • Photo_6

 写真をトレースした図ですが、 Ⅳ号戦車が被弾して弾薬の誘爆を起こした場合、

砲塔が吹き飛ぶわけではなく、この絵のように車体が上下に分断されるケースが多い

ようです。これは砲弾の収容場所や上部と下部の車体の結合部位の関係もあると

思うのですが、砲塔旋回リングの結合力の強さを示す良い例といえましょう。

 それにもかかわらずⅣ号の砲塔前面装甲板が最後まで50mmのまま増強できなかった

のは、砲塔バランスの偏りで旋回速度が遅くなったり傾斜地で旋回が困難になったため

と思われます。

 戦場での写真を調べてみると、現地改造でキャタピラなどを増加装甲にしている例が

ありますが、それらはある程度覚悟の上での装備であって、何らかの代償を払っている

と想像できるのです。

   ●Ⅱ号戦車の組み立て

  • Photo_7

 ドイツの戦車は車体が 二段になっているものが多く、それはソビエトのT-34戦車

に影響を受けるまで続きます。明らかに構造的に不利なのですが、Ⅳ号戦車もその部分

が改良できずに最期まで生産が継続されました。

 よく、「どうしてⅣ号戦車は前面の装甲板を一枚板にできないのか」と言ったコメントを

見かけますが、その理由は、ドイツが戦車製造を始めた初期の頃の事情が尾を引いていた

ためと考えられます。

 図のようにドイツが最初に作った軽戦車Ⅱ号は砲塔を含んだ上部車体と下部車体を

違うメーカーが作って、組み立て工場で結合する方法をとっています。

この方法の利点は、戦車製造が未経験なメーカーに経験を詰ませることができるという事

と各メーカーに平等に仕事を割り振りするというナチスの方針に沿ったものにできるという

所でしょう。

 この方法は、後に戦車車台の自走砲への転換という手法に良い影響をもたらしますが、

別の見方をすれば、中小のメーカーが林立するドイツ工業界の事情の裏返しでもあります。

 現在でもポルシェなどの高級車は親方が弟子に指示を出すマイスター制度で製造され

ていますが、ドイツが再軍備を始めた頃はほとんどの工場がこの体制で動いていました。

戦車の生産台数が少ないうちはそれでも良かったのですが、徒弟制度が物量戦に対応する

大量生産に移行できるものではないのは明らかです。

 この後、軍需相に就任したシュペアーは、このマイスター制を廃したフォード式大量生産

を導入するために、大規模な組織の構造改革を行いました。大量生産ラインでは、熟練工

の数を極限することができるので、未経験者の大量動員によって工場の拡大も容易と

なったのです。

 こうして、構造的に洗練されたパンター戦車の製造工場が建設できたと言えます。

おそらく、Ⅳ号戦車においてF型以降に急速な生産数の増加があったのも、工場の大規模

ライン化が計られたためと思われます。そして最盛期には月産300台を生産して戦線を

裏から支えたのです。

  ●治具(ジグ)の想像図

  • Photo_8

 工場で部品を組み立てるときに用いれる補助用具を治具(ジグ)と言います。

部品の形や大きさによってさまざまなものがありますが、図は二枚の鉄板を溶接するため

の治具の想像図です。

 工場ではこうした機材が大量にあり、非熟練工を大量に使った工場はもちろん、自動化

を計った工場になればなるほど多くの機材が設置される必要があります。

 Ⅳ号戦車の初期の工場では、熟練工がマイスター制度によって現場で細部の設計変更に

対応できたのですが、大量生産が本格化すると容易には行かなくなってゆきます。非熟練工

は治具の助けなくしては生産スピードが上がらないばかりか、全く生産ができなくなるので、

細部の変更でも治具の交換が(平行して複数の製造工程があれば複数の治具の交換が)

必要になるからです。

 Ⅳ号戦車の装甲増強に関しては、以上のような事情を勘案する必要がありました。

 今の所、Ⅳ号戦車の生産ラインに関しては僕は全くと言っていいほど把握していません。

したがって今回のⅣ号K型改案も、まだ暫定的な案と言えます。

 資料が入手できたらまた挑んでみたいと思いいます。



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