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サイコパスの存在意義とは

2017-04-09 05:05:52 | 日記・エッセイ・コラム
 サイコパスに関する記事は今回で一応一括りにしたいと思います。
前回の最後に平和に暮らしている無害なサイコパスもいると書いたのですが、私自身それ
が気にかかったので、世間的に彼らが必要とされるケースに関して触れたいと思います。

  ● トロッコ問題



 良く知られている心理テストです。一両の暴走トロッコが行く先に複数の人間が居て、
このままでは轢かれてしまうのであなたはポイントを切り替えて別の線路にトロッコを逃
がそうとします。しかしそちらの線路にも人が一人居て、あなたはどちらを助けるか瞬時
の選択を迫られます。あなたはどうするのか?という問いがテストです。
 この問題に解答はなく、この理不尽な状態にどう対処するのかと言った行動を見ます。
私は、ポイントを中立にしてトロッコを脱線させるというトンチで答えてしまいましたが
他の人もそれぞれに人的損失を避けるため何かしらの方法を取ろうとします。
 しかしサイコパスの場合、迷うことなく最小の損害を選びます。すなわちポイントを切
り換えて一人を犠牲にし、多数を助ける道を取るのです。これによって他人への感情移入
の低さとか合理性を優先させる思考とかが明らかになるわけです。

 こうした問題は別にテストに限ったことではなく、今も世界のどこかで起こっています。
それに対処する場合において、後悔するような方法を取らないようにできるのかという心
配の種は尽きる事がありません。そして、対応が正解であっても不正解であっても、その
後の心理的ダメージが大きく残るのが一般的な人間なのです。
 ところがサイコパスの場合、迷うことなく判断を下し実行することができます。そして
心的外傷がほとんどないと言う事が知られています。これは戦争のような非常事態が連続
する場所において理想的な人材であると考えられているのです。

 戦争のような有事は別としても我々の住んでいる社会にはいくつもの危険があり、また
難しい判断を瞬時に要求される場合が多くあります。例えば社運がかかっている判断など
で社員の事をいちいち考えていたら判断が遅れてしまいます。迷わず多数を生かす判断を
下したとしても、その後に後悔にさいなまれ別の判断を誤ってしまうと言う事もあります。
 そこで、こういう難しい判断を要求される役職ではサイコパスのような人材が重宝され
る傾向があります。その人事に反対する社員もいるはずですが、では代わりにその役がで
きるのかと言えば無理であることは言うまでもないのです。

 社会的に重要な役職や政治的な立場にサイコパスが居ると考えても別段不思議ではない
と言えます。そうした人たちは皆、世間的なサイコパスのステレオタイプなイメージでは
語ることができないので、多くの場合暗黙の了解として片づけられているはずです。

  ● 歴史上の偉人

 よく偉人には奇行が多いとか人とは違った行動をすると言います。天才的な知能のなせ
る技なのか、はたまた偉人を持ち上げるために捏造されたエピソードなのか、実際の所は
様々だと思います。
 しかしサイコパスのエピソードには共通した部分があって、常人にはできないような残
酷な判断を一瞬で実行してしまうということがままあるのです。
 それが結果的に良い方へ働いたがために偉人と呼ばれるわけですが、勿論悪い方向へ働
いたケースもあるでしょう。いわゆる黒歴史と呼ばれる伝承はそうした残酷なエピソード
であふれています。
 今ここではその具体例には触れませんが、サイコパスが太古から存在した査証として、
よく引き合いに出されるケースと言えます。こうしたことから、サイコパスは長期的に見
れば人類の生存に何かしら重要な役割を果たしているのではないかと言われています。
 これから研究が進めば、まさかあの偉人がというケースも出てくるのではないかと思い
ます。 

 ● 今度はもっとうまくやってやる

 これが犯罪に失敗した者の言葉とすればぞっとしますが、会社経営に失敗した資本家だ
とすると、むしろ頼もしく感じます。失敗から得た経験をフィードバックして、次に生か
そうとするにはそれなりの覚悟がいるものです。大抵の人は前者の場合罪悪感もあるので
馬鹿な事はもうやめようと思うものです。
 ところがサイコパスにとってこの二つはそれほど違わないのです。目的がなんであれ自
己の利益追求という行動である以外、意味はないのです。
 犯罪が露呈して捕まったサイコパスは様々な弁解と悔恨を口にします。そしてもう二度
とやらないと誓いますが、自由の身となるとほどなく再犯します。嘘をつくことにも罪悪
を感じないサイコパスにとっては、最終的に自己の利益を上げる為の道のりにすぎない訳
です。
 ではこれが軍事作戦だった場合はどうでしょうか。あらゆる困難を超えた後に目的を達
する超人的な兵士をどの国も欲しています。戦争とは敵を騙すことだと孫子兵法にもあり
ますが、サイコパスは何をしても良心の呵責を感じる事はありません。まるで映画の中の
フィクションであるかの様な話ですが、高い知能と体力を持ったサイコパスになら実際に
困難な軍事的任務を達成することが可能なのです。

 しかしこうした利点を列挙しても、日常的な生活の場にサイコパスを招くことに抵抗が
ある方は多いでしょう。当のサイコパス自身もそれはどうでもよい事です。彼らは刺激を
好み自己の利益を追求し、仮に自分がサイコパスであることを告知されたとしても、ほと
んど気にかけない(少し驚くかもしれませんが)のです。平和な日常世界は餌食のいる狩
りの場でしかなく、自分の行動がうまくいっている限り非常に愉快でいられます。
 したがって、サイコパスを社会で生かすには居場所を与えて能力を発揮できるようにす
べきなのです。報酬が保障される限り、サイコパスを訓練する事は難しくないという研究
もあります。
 サイコパスが文化人類学的にどのような役割を担ってきたのか解明することが、一つの
解決策となるでしょう。

 ● 人造人間キカイダー

 1972年に放送された故石森章太郎原作の特撮番組と関連コミックです。好評を博し
シリーズ続編も制作されハワイでは国民的ヒーローとなりました。
 一話完結のパターンと全編を通したテーマがあり、主人公である人造人間ジローは敵対
する組織ダークと戦います。ジローは超人的な能力を持つものの「不完全な良心回路」と
いうガジェットを装備しています。ダークの首領ギルが笛を吹くと悪の共振によって良心
の葛藤に苦しみ機能不全を起こしますが、毎回何らかの方法で笛の音が聞こえなくなると
ジローが反撃に転じると言うパターンがあります。
 この良心回路に関する設定は特撮バージョンの場合この程度のものですが、コミック版
ではさらに突っ込んだ描写があり、良心回路を停止して兄弟にあたるロボットを無慈悲に
破壊するというエピソードがあります。

 原作者は人類史に造詣があり特に戦争における破壊には関心があったらしく、同じ人間
同士の殺し合いという部分によく言及しています。ただしこれは時代背景もあって、冷戦
期の作家は大なり小なりこうした部分に関心がありました。ベトナム戦争におけるアメリ
カ兵の残虐行為は良心とは何かという疑問を想起させ、転じてロボットに良心を持たせる
事は可能なのかと言った疑問へ発展したと思われます。

 私は良心回路というガジェットが好きで、自分でも狂性回路という造語を考えました。
それは創作に関する頭脳労働を人工的にやろうと言う、自分の体験を含んだ考案でした。
 現在になってサイコパスという症例に鑑み、人間の良心がどのように発生するかと言う
メカニズムが具体的に解明されつつあります。これらの新しい研究は古い時代のSFに次
なる世代の可能性を与えるかもしれません。

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