音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

絶対音感

2013-01-15 10:24:34 | 民族楽器
妻は、一応絶対音感があるとの事で、一度聞いた音楽は大体探り弾きができるとの事です。また、音楽を聴く時に、流れとして聴いているのではなく、音を連続して聴いているとの事です。以前、音学家で絶対音感のある人の事をテレビでやっていましたが、それでは、何か物を落とした時にガチャンという音が、何種類もの音が合わさって聞こえるのがすべての音が聞き分けて聴かれているとの事でした。つまり、ガチャンといった時に、ド、ミ♯、ソ、ラ♯という音が聞こえているとの事でした。妻はそこまでは厳密には聞こえてはいなないようで、音として聞こえる時と、雑音として余り認識されていない時があるようです。普段から、音楽が鳴っていると仕事ができないというのが、単なる習慣によるものと思っていましたが、実は音楽がドミソソミドソという音の高さで一つ一つ認識されているようです。そのため考えようとすると音に邪魔されてしまうようです。以前右脳、左脳という事が流行っていましたが、それでいうと思考は左脳でされ、音楽は右脳で聴かれるとされていましたが、音を一つ一つ認識するという事は、左脳で認識しているのではないかと思われます。同じ左脳で処理されるので、邪魔されてしまうのではないでしょうか。妻も頭を使わないような仕事、単純な編み物などでは音楽を聴きながらできるとの事です。日本人の西洋楽器の演奏家の演奏が機械的で面白くないとよく言われていますが、これは絶対音感を持っていたり、楽譜に頼るために左脳で音楽が処理されているのではないかなと思ったりしています。ただ、日本人においては、邦楽器の音や虫の音は、左脳で処理されるとの事ですが、これはある程度意味を持った音として認識されているのではないかと思います。でもそれらの音は思考の妨げにはならないようです。多分、認識はしても、言語程には左脳は活性化されないので、思考の妨げにならないのではないかと思っています。ちなみに私の場合は、普段は音楽として聞こえていますが、音を取ろうとすると、移動ドで基本、ハ長調に転換して音を取っているようです。そして、途中から勝手に転調してしまったりしてグチャグチャになってしまいます。最近は邦楽でも、音程をうるさく言うようになって、基準音をいくらに取るかなどと言われますが、合奏でなければ適当でいいようには思うのですが。特に歌の伴奏の場合は、声の高さを基準にするので、何ヘルツではなく、出ている声が基準になるのです。西洋音楽のように、声を楽器の音の高さに合わせる必要はありません。ピアノであれば、うまいピアニストは、半音上げてとか一音上げてとかの要望で、伴奏の高さを変えれますが、1/4音とかいう事はでまきせん。弦楽器であればそれが可能ですが、絶対音感のある人では気持ち悪いでしょう。絶対音感のある事はよい事ばかりではないのでしょう。
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