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畑の話と日々の雑談

陸前浜街道そして伝承館へ 2

2023-01-19 17:57:34 | 日々の事
陸前浜街道は明治になってからの呼称 そんなに古くは無い
大昔 平安前期には東海道(あずまかいどう)と呼ばれていたそうです
征夷大将軍 坂上田村麻呂が通ったかは分かりませんが 蝦夷討伐のため多くの兵士
や荷駄が往来したことの想像は許されるでしょう
街道沿いの住民は 食料の提供や人夫としての徴用があったかも 国の事情など知らない 
庶民にとっては ただ災難だったかもしれませんね
定住し農耕に参加する事で同化していった蝦夷も多くいたでしょうが 頑なにそれを拒み抵抗した
者達が討伐の対象になったのでしょうが 僕には是とも非とも言えず ある意味きのどくなような気がします

そんな時代におこったのが
869年の貞観地震
三陸沖を震源に M8.4と推定される巨大地震
津波の新水域は3.11の津波と酷似しており その大きさを想像させます
それ以前もそれ以降も 大小津波を伴う地震の常習地なのですが それでも人は住み続けた
何故住み続けたのか・・不思議に思っていたのですが
思えば 時代を遡るほど その土地風土と生活が密接に繋がっていた
米作りにしても 山の幸にしても 海の幸にしても その地域の地形 気候の強い影響下にあり
その微妙な変化を感じ取りながら収穫を得ていた
なので 勝手のわからない遠方に移動するのは よほど勇気のいる事だったのではあるまいか

そんなこんなを考えてると 小名浜を過ぎ 四ツ倉へ 
この辺りも 津波被害が大きかったのですが 初めて来た僕にはまったく分からないほど
旧に復していました
立ち寄った 道の駅よつくら港の柱

このタイルが当時を物語っています
7.5mの津波 原発事故による避難
この道の駅も津波に呑まれ全壊
この日は 平日ながら沢山のお客さんで賑わってました
お惣菜やお弁当が美味しそうです

四ツ倉を過ぎて まもなく双葉郡
北から国道沿いに
広野町
楢葉町
富岡町
大熊町
双葉町
浪江町
やや内陸に
川内村
葛尾村

国道を北上しながら眺める風景は よくある海岸沿いの田舎町
お店や会社 点在する民家には人の気配があり 車の往来もそれなりです
事故当時拠点になった楢葉町のJビレッジの屋根を微かに見ながら
大熊町近辺に至ると それが一変する
人気が無く 放置された建物に人影はない
唐突な変化に 被災地の生々しさを見せつけられたようだった

続く
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