Kou Farm

畑の話と日々の雑談

何となく必然

2016-10-26 22:07:55 | 日々の事
先日 所要があって福島に行ってきた
国道6号線を北上 短いトンネルを抜けると そこは福島県いわき市勿来の浜
そこまで30分前後 あっという間に東北地方 あまりに近くて北国に来た実感がありません(笑)(気候も高萩とそう変わりません)
さらに北上して小名浜へ
港に隣接する工場群 林立する煙突 大きなタンク 周辺には住宅街が広がる
工業地帯を抜けると水族館 隣接してお魚センター いっきに観光地に変わります

この一帯も3月11日 津波の被害を受けました
僕が走ってきた 広い港湾道路も直後の記録をみると流された車やら船やらが残り すごい状態だった様です
あれから5年 その痕跡は 車内からでは見うけられません
まるで何事もなかったよう
それどころか 水族館の前にはイオンモールが建設中 未来へ向かう力強さを象徴するかのようです
いわき市には原発事故で転居せざるを得なかった人達が多数いらっしゃいます
地元の知り合いの話では それで人口が増え その影響か新しい店が増えてるとの事

一部の地域では誰も住めない場所が突然にできましたが
他方で 人の流入で突然人口が増え 活気が出てくる町

この現象は不幸にも事故の影響でおきた事ですが
茨城の県北地方にも起きつつある現象と思えます
事故ではありませんが そこに人が住みずらければ(仕事の有る無し インフラの整備など理由は様々) 人は離れていきます
高萩の山間部は日当たりが悪く 土も痩せているため 田畑は持つものの 収入の多くは林業に頼る人が大半でした
安い外材の輸入が始まってから林業は衰退 遂に来春 山間部の君田小中学校は廃校となります

少し遡って 明治の初期 城下町であった松岡(今の手綱地方)がもっとも栄えてましたが
明治30年 鉄道が通り 高萩駅ができてからは松原(僕が住んでる春日町や本町など)に中心が移りました
しかし それも第二次大戦中 艦砲射撃で灰塵に帰し瓦礫の野となったのです
戦後 国からの援助金も得 現在に至る駅を中心とした街を再興し 活気あふれる時を再び迎えましたが
時はモータリゼーション 広い駐車場が確保できる郊外に大型店が出店 旧市街の空洞化が叫ばれ
現在に至ります

高萩は変わった との声をよく聞きますが この様に 街は その地域は 明治以来変わり続けている事が分かります
また 市町村という行政上の区分けは その時代の事情を反映しているだけで それほど大事なものではなさそうです
大事な事は そこに住まう人の生活なのですから その為の変化なら何の問題もない訳です

まぁ マクロに言うと そうなのですが ミクロには色んな問題があるようでうけどね(笑)

やっと この街で生きる という事を理解し始めました
点で見ると問題に思える事も 線で見れば必然なのかもしれませんね
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