『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2259】貧乏神様さま(「知足(清貧)」を学ぶための減給)

2009-10-18 04:42:40 | 思索
景気が悪くて(無限なる繁栄!)、「実入り(身入り?)」が少ないので、
私としては、とても心苦しいのですが、家内に渡す生活費を少し減らすことにしました。(^^;ゞ

そしてこれは、傲慢な意味では決してない(笑)のですが、
家内も「消えてゆく姿」(経験)を通じて、「知足」を学ぶ時期に来ているということなのです。

いままでの私は、家内が苦労をしないように、心配しないようにということばかりに気をかけてきたのですが、
そのことによって、家内の「真の学び」の機会を奪ってきたのかも知れません。 (^^;ゞ

★子供向けの本で、『貧乏神様さま』という本があります。
それは、「貧乏神さま」は、「質素倹約(清貧)の美徳」を教えるための神様であるという話なのですが、
「足るを知る幸せ」というのは、「物質的な満足ばかりを求めている人生」では得られない心境(幸福感)なのです。

減給で、家内と供に「知足(清貧)」を学びたいと思うのです。 (^^;ゞ


『貧乏神様さま』の感想文

【2258】「私は、だれか?」「何をする人か?」(^^;ゞ

2009-10-17 04:58:25 | 思索
ゴーギャンの絵に、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』があります。

精神世界や哲学や宗教で問うていることも、この『本来の自分』の居場所についてだと思うのです。
最近の『青春リアル』(NHK)でも、『自分の居場所』がテーマなのですが、
簡単にいうと、自分の居場所は、『自分』だと思うのです。 (^^;ゞ

印を組んだりして、「祈りの生活」をしていると、自分の居場所は『自分』だと、ますます思えてきて、
外で起こっていることは、いずれも『単なる経験』(笑)と思えるのです。

そうすると、『私は、だれ?で、何をする人か?』には、解答が出ていて、

それは、『私は、ここにこうする者(経験をする者)であり、祈りをする人である』となります。(^^;ゞ

このごろの私は、『祈りだけをしていれば、すべては、順調に満たされてゆく』と、
ますます(笑)思えてきました。(^^;ゞ

★「祈り」をしなくても、『私は、単に経験をする人である!』と思えれば、それでもOKなのですが、
 「祈り」は、自分の業想念を消す方法なので、あれこれと考え過ぎないようにするには効果的です。

★OSHOの講話集に、『中空の竹となれ!』という言葉があったと思うのですが、
 それは、『祈りのなかで、経験をしている自分の姿』という意味だと思いました。

そしてそれは、『自分は、「消えてゆく姿」をしている者であるという認識』でもあるのです。

私たちは、『単なるバイブレーション(振動)』だと思うのです。

『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』

【2257】「空腹感」と「食という習慣」についての考察

2009-10-17 04:36:09 | 思索
きのうは一日中、空腹を感じなかったので、食事を取りませんでした。(^^;ゞ
それでいて、「元気いっぱい」なのです。

これって、いったい何なのでしょうか(^。^?

ますます、「食事(食べること)は、単なる習慣だ」と思えてきました。(^^;ゞ
今日も、食べないで過ごせる気がするのです。(^^;ゞ

10月8日の『究極の光を降ろす行事』で、昌美氏が、
『神と一つになったら、恐れはない。食べ物がなくても生きられる』と言われたそうで、
それは、新しいピラミッドに入ることによって成就されるのだそうですが、

その前触れが、私に起こったかもしれないと思えるのです。(^^;ゞ

【赤いセミアコギター】{楽器紹介(その8)}

2009-10-16 03:53:12 | 思索
「平和集会」の帰りに、リサイクル店で見つけたこのギターには、弦とサドルがついていませんでしたが、
とても気に入ってしまいました。(^^;ゞ

値段がついていなかったので、店の人に訊ねて、5000円で譲ってもらいました。(^^;ゞ
袋を探してもらったら、もう少し高い金額の値札がついていたのですが、(^^;ゞ
それでも、弦やサドルを買ってつけないといけないからということで、5000円にしてくれました。(^^;ゞ

多少の修理をし、アンプに繋いで弾いてみたのですが、やはり生の音の方が良いです。

マーチンの絃の低音の響きが良いので、最近はこればかりを、オープンチューニングで弾いています。

私が、着色してあるギターでアドリブ的に弾いていると気持ちが良いのはなぜなのでしょうか(^。^?

★私にとって、楽器は癒しの道具のようなものです。

手元において、弾いていると、妙に心が落ち着きます。(^^;ゞ
「楽器」は、精神(魂)に作用すると思うのです。

楽器や音楽は、人間を癒し元気にしてくれると思うのです。


【2256】真の世界平和が、富士聖地から発信される(三万人の神人の大天命)

2009-10-15 02:36:59 | 思索
『これからの世界は全く大きく変わってゆく。
負の潮流(マイナス、苦、災、病)が光の潮流(プラス、光、徳、愛)へと移行していくのである。

まさに、歴史の大転換である。これから富士聖地は三万人の神人を迎え入れ、
限りなく光の聖地、陰徳の聖地、愛の聖地、大成功・大成就の整地、癒しの聖地、自然治癒力の聖地として、
世界中に知れわたってゆくのである。

この富士聖地を訪れる者はみな一人残らず、いかなる人も拒否されることは決してない。
一切の偏見や差別を受け入れることなく、すべての人が心よりの温かな愛と至福をもって迎え入れられる。

そしてかれらは、富士聖地の宇宙究極の光の一筋を浴びることによって、自らの内なる神性を呼び覚まし、
外なる神や宗教家に依存せず、自らを信じて自立してゆく時代に突入してゆくのである。(中略)

今までいかほどの年月をかけて、どれくらいの聖者や賢者、そして宗教家が平和への道を築き上げることに力を注いできたか・・・・・
その結果は歴史そのものが証明してくれている。

世間の評価は可能性、無理、難しい、どうしたらよいか案がない・・・・・等々、
固定観念に縛られ、把らわれ人々による平和構築の難しさが浮き彫りにされている。 それはそうであろう。

たとえ時の権威者らが果てしなく揺るぎない努力を重ねても、上からの命令や会議で終わるのみで、
イスラエルやパレスチナ等の当事者の真意、苦悩、悲嘆、憤り、憎しみが心の底から理解した上で成されなければ、
どんな善なることでも100パーセント受け入れられはしないのである。

戦争、紛争、闘争をなくすことが目的ではない。
彼ら一人一人の心の中に潜む深い悲しみ、憎しみ、怒り、憤り、差別感、
そして欲望、どん底の苦しみ、報復等の感情想念が消え、
赦し、受容、感謝、思いやり、愛に変わってこそ、真の平和は訪れるのである。

これを成功、成就させるのは三万人の神人、祈り人による世界平和の祈り、
我即神也・人類即神也の印以外にはないと五井先生は考えておられる。

五井先生の大み心を地上に成就させるために、
この私は限りなく全身全霊をもって、努力してまいる所存である。

我々神人三万人が、それを成就させてゆくのである。
遠かった世界平和が、この神示のより近づき、具現化されつつあることは、心躍る思いがする。

三万人の神人すべてが内から整ってゆく。それも完璧に、思うこと、語ること、することのすべてが成就してゆく。
究極の意識のエネルギーを自分のものとした 神人だからこそ、成就させ得るのだ。

2010年、いよいよ本格的に世界平和樹立の道は開かれてゆく。

共に叡智を終結し、宇宙神の光を地上に降り注ごうではないか。  すべては成就。

世界人類が平和でありますように  人類即神也    』(p19)
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★ということで、世界平和樹立のために、三万人の神人が必要なのだそうです。(^^;ゞ
 現在の神人の人数は、日本を中心にして二万人位だと思いますので、残り一万人の神人が必要です。

 自分も、「世界平和のために寄与したい」「世界平和の一翼を担いたい」と思われる方がおられましたら、
白光真宏会に問い合わせて、神人養成課題をクリアしてみてください。
               (白光真宏会 0544(29)5100)

★ここまで、昌美氏のメッセージを転記してきて思ったのは、当たり前のことですが、(^^;ゞ
 白光真宏会の維持会員であることと、神人であることはイコールではないということです。

白光真宏会は、「ご自分は神なのですよ。すべてを変え、創り出してゆく力が自分にはあるのですよ。(我即神也)」を
人々にお伝えするための機関なのです。

そして、神人養成課題をして「神人」になるということは、
その課題を通じて「我即神也」に目覚めるための方法なのです。

ということで、自分も目覚めることができ、世界を平和にすることもできる『神人養成課題』を、
是非、やり遂げて欲しいのです。(^^;ゞ

【2256】『人類の負の遺産、因縁からの飛翔』について

2009-10-14 05:25:08 | 思索
★『【2255】『自立と天命』について』までに書かれていることは、すべての人々について言えることだと思うのです。 (^^;ゞ
それが心底理解出来て、納得できれば、『問題』はすべて消える!!(^^;ゞ

★それで、【『問題』はすべて消える!!】を説明しますと、(^^;ゞ

自分が、自分の人生で、『問題だ!』・『納得が、いかない!』と思っていることは、
自分が「そう、思っているだけ!」であって、霊性(神)の視点に立つと、必要な経験であり、(^^;ゞ
『自分で選んで、そういう人生を送っている』というのが、「人生の真実の姿」なのです。

この論理でいくと、私が白光の維持会員になることも、「自分の今世での選択の一部」です。

必要があって、白光の維持会員になっているのです。「偉い!」とか、「立派!」ということではないのです。(^^;ゞ
「白光の維持会員」であるという役目を担うことを望んで生まれてきた生(笑)なのです。(^^;ゞ

そして、その役目の一つが、富士聖地での行事に参加することのようです。
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『5月、7月の大神事の大成功、大成就により、人類は過去から現在に至るまで背負ってきた、
途方もなく重苦しく果てしなく辛い負の遺産―――人類の深く大きな業が、浄まっていった。

人類全体の業を消し去った。いや、光に変容させたのであった。

これにより、人類全体は負の遺産でもある前世の因縁(個の負の遺産も、結果的に人類全体の負の遺産に含み込まれている)を
相続することは、二十一世紀から避けられてゆく。

これが歴史的快挙である。いかなる時の大統領も聖者も賢者も宗教家も成し得なかったことである。

この歴史的快挙を成し遂げた者は、一般の平凡なる人たちなのである。
その人たちは、今では神人を呼ばれる人たちなのである。(後半略)

富士聖地から広がった大唱名は、
世界各国各地にひびきわたり、轟きわたったのであった。宇宙、地球、そして人類は全く一つにつながっているのである。

そして、参加者全員で究極の真理「我即神也」「人類即神也」をそれぞれ100万回唱名しつづけた結果、
ついに富士聖地を四次元へと次元上昇させたのであった。』(p17)
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★上のような使命を持った維持会員にとって、『目先の利く生き方』とは何か?という話が、
スガヌマさんの講話の中にあり、印象に残っています。

幸いにも、維持会員は「人類のさきがけ(リーダー?)」なのですから、
富士聖地が次元上昇した(四次元になったこと)を積極的に取り入れて、
「自分の希望通りの人生」を築いてゆく見本を示す役目もあるのです。(^^;ゞ

【2255】『自立と天命』について

2009-10-13 05:25:51 | 思索
『本来、結果や利害、世間の批判など、思い煩うことはないのである。
それがマイナスの状況であったにせよ、それは一つの尊い体験として喜んで受け入れてゆくべきなのである。

恐れることよりも、もっと大切なことは、失敗の体験を通して学んでゆくことである。

自分自身の本来の能力を、可能性を信じてゆくことこそ重要なのである。(中略)

ここで肝心なことは、どんなことも人の責任にしないことである。

人が自分を縛るのではなく、人が自分の自由を奪うのでもなく、
あくまでも、自分自身が無意識のそのような状態に導いていっていることに気づくのである。

自分の不幸を、自分の悲しみを、自分の苦しみを、自分の失敗を常に人のせいにし、
人に転嫁する人が多々いるが、それは間違いである。

すべて、自分の為せる業である。自分から発している行為である。

自立した人間であるならば、社会や人に迎合してはならない。

究極的には、自らの神聖なる真理を見出し、自覚し、目覚めさせてゆく行為以外ない。』(p17)
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★『内なる神性に従って生きる!』なのですから、「他人の評価」を気にする必要はないのです。(^^;ゞ

「他人の評価」は、それぞれ違うのですから、それらすべてに対応することなど、そもそも出来ないのです。(^^;ゞ

人間は、「自分の霊性」を自分で開発して(自分の魂を磨いて)生きることが、もっとも大切なことなのです。

「他人」に依存しないで、自立する(精神的に)ことが、天命を完とうすることです。


★「依存」に関しては、「経済的な依存」についての考察もしたいのですが、まだ、考えがまとまっていません。(^^;ゞ


「経済的自立」と「精神的な自立」は、連携しているとも言えますが、ある意味では別のことです。
「経済的に自立して出来ていない人」は、「精神的に自立出来ていない人」というわけではありません。(^^;ゞ
そんな二元論ではないのです。魂のレベルで、「依存性」があるかどうかが問題です。

要は、「他人に依存しないで生きる」という覚悟があれば、「依存していない」のです。
本人の理解と自覚の問題だと思うのです。

経済的に依存していても、「全体への感謝」にあふれて生きていれば、「生き方」として完結していると思うのです。

常に、「自分の出来ることを他人にしてあげられる人生」であれば良いのです。

★【2253】の『内なる神性に従って生きる』の
『誰もが、このプロセスにおいて、必ず学ばなければならないことがある。それは、
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」
「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。』にもあるように、


「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」が出来ていることが、
『自立が、出来ていること!』だと思うのです。


■「横田明紀男さんのギター演奏」の動画をユーチューブに投稿しました。
 とてもいい演奏なので、是非ご覧ください。

「横田明紀男さんのギター演奏」

【2254】『内なる神性に従って生きる』

2009-10-12 03:55:06 | 思索
『誰もが、このプロセスにおいて、必ず学ばなければならないことがある。それは、
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」

「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。

このプロセスが理解できたならば、輪廻説から抜け出ることが出来る。

輪廻説から抜く出ると、果因説へと次元上昇を遂げてゆくのである。

すると、この世の領域である人智を超え、本来の神の神域、無限なる叡智を自分のものとすることが出来るのである。

人類はいかなる人も、神や権力者が両親や先生などの庇護下にあるのでは決してない。

いかなる人も、愛、感謝、赦し、恩恵を他に施す者である。

今現在、いかなる状況や状態にある人も、いつか必ず誰もが、そうなるのである。

本来、人は誰かに従うものではない。自らに従うものである。
自らの内なる神性に従って生きてゆくべきものである。

そして人は、いかなる状況にありうとも、決して自らを「無力なる者」と考えてはならないのである。

そう考えるからこそ、人に依存し、人に頼り、人に従ってゆかねばならなくなるのである。

人に従う者は、弱い人である。真の自分自身を知らね人、気の毒な人、自らの権能の力を他に譲り渡した人である。

自分で自分を牢獄に閉じ込め、ゆえに自分を「無力なる者」と思い込み、信じ込んでしまっているのである。

人に従う者は、自分に自信がないため、常に人に従って生きてゆくほうが楽なのだ。

そしてそれが習慣になってしまっているのだ。

失敗すうにしても、人に従ったがために、皆が同じ失敗をするならば、自分を赦せるのである。
安心できるのである。(中略)

だが、このような人たちの、いつか必ず自らの内なる神性に目覚めるよう、背後の守護霊様、守護神様によって導かれてゆくのである』(p15)
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★「世界平和の祈り」や印を組み続けていますと、『自分の業』が浄まってきますので、
 あまり深く考えなくても、その場その場で判断をすれば、物事がスムーズに回っていく感じがしてきて、
自分の人生が調和の中にあることが理解できます。(^^;ゞ

『内なる神性に従って生きる』とは、そういう「普通の日常」(笑)を送ることだと思うのです。 (^^;ゞ

【2253】『徐々に明かされる人類共通の天命』

2009-10-12 03:37:27 | 思索
『ここで改めて、世界を眺めてみると、現在もなお、いかなる国、いかなる人種、いかなる宗教、
いかなる文化、いかなる環境、状況、そしていかなる両親のもとに誕生しようとも、
かつまた肌の色、言語に違い、伝統文化が異なっていようとも、
それらの違いのすべてを超えて、世の中のほとんどの人が、同じような苦しみ、悩み、悲しみ、痛みを抱えて生きている。

これら多種多様な世界人類の天命はいかに?

人間は何のために生まれ、何のために生きてゆくのか?

みな一人残らず平和と幸せを求め、さらには、自らを生き生きと輝かせて生きたいはずである。

だが何をどう間違えてしまうのか、全く逆の道を歩んでいってしまう。
人類一人一人の天命とは?

その結論は、唯一絶対一つのみ。それはいかなる人の天命も、
一人残らず究極の真理「人類即神也」を顕現することであり、
そのために地上に降誕しているということである。

各自各々が異なる国や人種、民族、宗教、両親等を選択、決断、決定して、
それぞれの天命を果たすための経験を積み重ねてゆくのである。

その間のプロセスにおいて、他と比べて筆舌に尽くせぬほどの苦悩や悲惨、絶望を体験しようとも、
いかなる人も一人残さず絶対!! 必ず!!そして本人が自覚しようがしまいが!!
宇宙神の一筋の光により、導かれているのである。

宇宙神の真理の光は、いかなる人の運命をも導き照らし出てくれているのである。

いかなる人であろうとも、一生を通して不幸や苦しみが永遠に続くことは決してない。
それはいかなる人も必ず、その背後で守護霊、守護神様が見守り、導き、加護しておられるからである。

そして宇宙神とコンタクトしておられるからである。

仮に親子間で殺し殺されたり、あるいは、戦争や紛争で殺し殺されたり、
または飢餓や貧困、疫病などで死んだり、苦しみのどん底に喘いでいたにせよ、
その過去世の因の現象が現れて消えていったならば、必ずよくなるのである。

一人残らず、救われてゆくのである。
絶対に、永遠に苦しみ続けることは皆無である。

たとえいかなるどん底状態にあろうとも、宇宙神の一筋の光によって、
そのどん底から救われてゆくように守護霊様、守護神様が指導しておられるのである。

いきなり究極の真理に、人類皆即神也の境地には行き着かないにしても、
そのプロセスにおいて、自らの天命を通じて少しずつ、自分はなんのために生きているのか、
何故このような状況にあるのか、いつまでこの苦悩が続くのか、己に生きる目的は何か、運命とは何か・・・・・等々、

自分の目の前に次々と生じる不幸な環境、、状況を通して、改めて自分自身に対して疑問を持つようになり、
それによって初めて、自らの天命が除々に知らされ、明らかになってゆくのである。

どんな境遇にあろうが、誰もが自らの置かれた場を通して、自らの天命を果たしてゆくのである。

この世の中は永遠の生命の一瞬の肉体生活体験の場である。

いかなる人の環境も、すべては究極の真理に行き着くための、過去世の因縁の消えてゆく姿である。

一瞬のプロセスである。が、この究極の真理の学びは、人によって長さが異なる。』(p14)
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★上の文章も、精神世界についての的を打ち抜いていて過不足なく的確だと思うのです。
 これが「人類一人一人の精神(魂)」についての正しい理解であり「真理」だと、私は思うのです。

この考え方(理解)に基づいて、白光真宏会の維持会員への働きかけが、昌美氏によってなされていて、
それが、「一人一人の霊性開発」なのです。

【2252】『犠牲者の進化創造』について

2009-10-12 02:54:25 | 思索
『真理を何も知らない一般の人たちは、この世界各国各地で起こっている戦争や紛争、テロによる犠牲者に対して、大変憤り、哀悼の意を表するが、その陰には、犠牲者自身が自らの業を消すために、自ら望み、自ら好んで世界各国各地からその時、その場に集い、
犠牲を払っているという真実があるのである。

それは当然それでよいのである。何百回輪廻転生を繰り返しても消えない過去の因縁が、これで切れるからである。

また、世間の人たちの戦争犠牲者に対する憤りや悲しみ、哀れみ、憎しみは、戦争を二度と起こしてはならないという強い戒めとなり、
同時に、犠牲者に対する愛の光のエネルギーとなって降り注がれてゆく。

犠牲者の魂は、以前と比べて自由になり、ここで初めて深く辛い大因縁(カルマ)を消したことになるのである。

一般の人たちの同情心や愛、思いやり、哀れみ、憤りこそが、彼らをさらに飛翔させる礎をなって支えているのである。

また、世間の人たちも犠牲者を通し、戦争を二度と引き起こしてはならないという教訓を学んでゆくのである。

もし、一般の人たちの同情心や愛や憤りが光となって犠牲者に降り注がれなかったら、彼らは進化創造も次元上昇も果たすことは出来なくなる。
大量の魂たちによる大犠牲を通してこそ、数百倍の転生を果たしたことになるのである。

が、そのすべてを一人で果たすことになると、遅々として進化の歩みとなるのである。』

『この世の中に生ずる個の事件にも事故にも病にも、
かつまた人類規模で生ずる災害にも天災にも、すべて同じ隠れた因が潜んでいるのである。

大きな災害から、小さな事故に至るまで、人類の愛や思いやりは犠牲者の魂に光を注ぐことになり、
かつまた、人類自身も愛行、徳を積むことになるのである。』(p13)
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★上は、個人個人の意識と人類全体の意識について、しかも、浄化の立場から、
そられをスピリチィアルな視点で、包括的に述べている、とても興味深い文章です。

他の精神世界や宗教の本でも、ここまで明確に、魂の救済について述べられているものは少ないと思うのです。

『神と人間』(五井昌久著)を丹念に読み、スピリチィアルな理解が深まれば、上のようなことも分かるのでしょうが、(^^;ゞ
なにぶんにも、目に見えない世界の話なので、「私自身の意識」と、「人類一人一人の意識」の連携や連鎖には、
思いが至らない私でした。(^^;ゞ

★全体を読んでみますと、『犠牲者の魂』が、必要があって事件や事故、災害に巻き込まれ、
そのことによって、『犠牲者自身の魂』が救われ、進化創造できるというスピリチィアルな道理が、
理解できると思うのです。

『写真集』に、昨日開催された「御堂筋KAPP2009」での『平和な感じ』を追加しました。

『ペイント画と写真集』

【2251】「謝罪の気持ち」を世界中に広めよう!

2009-10-11 05:50:29 | 思索
★『被爆者「思い、伝わった」 広島、長崎から歓迎の声』の
『11月の初来日が決まっているオバマ大統領。被爆地訪問への期待がさらに高まっている』という記事を
読んで思ったことを書きます。(^^;ゞ

これはあくまでも想像なのですが、(^^;ゞ

オバマ米大統領が、被爆地を訪問されて、原爆を投下したことへの謝罪を、米国の代表としてすれば、
日本も、中国やアジアの国々に侵略をして、多大な迷惑をかけたことに、
もっと国全体(国民一人一人)として、「謝罪する気持ち」になれると思うのです。 
「謝罪する気持ち」になると思うのです。

そのような『反省と謝罪の気持ち』が連鎖してこそ、『世界は平和になる』と思うのです。

★オバマ米大統領が、被爆地を訪問したニュースが世界中に発信され、
そのニュースの一部にでも、「被爆地での惨状を映した映像」が使われたならば、
ますます「核廃絶への動き」が活発になると思うのです。

★下の動画や同じページにある他の動画を見ると、辛くて心が痛くなるかも知れませんので、ご希望の方だけご覧ください。

『広島 原爆投下 Hiroshima Nagasaki atomic bomb』(動画)



【2250】オバマ米大統領にノーベル平和賞!!

2009-10-11 05:24:18 | 思索
『ノーベル平和賞にオバマ米大統領』というニュースを聞いて、
「時代」は、「世界全体(人類)」は、確かに、『全体が平和になる方向・調和する方向・善なる方向』に向かって、
現実化しつつあると、強く思いました。

人類全体の「平和への意識のレベル」が上がってきたのだと思うのです。

「世界平和の祈り」が、具現化してきたと感じました。(^^;ゞ

人類全体の『世界平和への願い(本願)」が目に見えて、実現化してきました。(*^_^*)


『ノーベル平和賞にオバマ米大統領 「核なき世界」主導』

『ノーベル賞:オバマ米大統領平和賞 被爆者「思い、伝わった」 広島、長崎から歓迎』

【2249】すべての人々が、それそれの「消えてゆく姿」を経験しているだけの「話」!

2009-10-11 04:55:03 | 思索
【2248】の【絡み合う魂の因縁を断ち切るための「テロ行為」】を読んだあと、「私の心」に変化が起きました。(^^;ゞ

「考え方」が変わりました。「ネガティブシンキング」が消えました。(^^;ゞ

『仕方のないこと』という発想に、終止符が打たれたのです。(^^;ゞ

一時的にですが、『安心立命』の心境になれました。(^^;ゞ
何事もまさに、『無限なる供給』だったのです。 (^^;ゞ


★というのは、すべての人には業(消えてゆく姿)があって、
『人々は例外なく、必要があって、「消えてゆく姿」をやっている』ということが、理解できたからです。(^^;ゞ

私には、「私の業(消えてゆく姿)」があり、家内には、「家内の業(消えてゆく姿)」があるのです。(^^;ゞ

私は、「私の経験」を、「必要があってやっている」のであり、
家内は、「家内の経験」を、「必要があってやっている」のです。(^^;ゞ

★それなのに私は、「彼女に、認めてもらいたい」と思ったり、 「彼女を救おう」と思ったり、

「彼女が仕事をしないでもいいように、自分が稼がなければならない」(笑)と思ったりと、(^^;ゞ

「色々な思い」を巡らしていたのですが、それらはすべて、『取り越し苦労』(単なる発想・単なる概念)だったのです。(^^;ゞ


★「私という存在」は、「私の消えてゆく姿」を、有り難く経験させてもらえば良い存在であり、

「家内という存在」は、「家内の消えてゆく姿」を、有り難く経験させてもれえば良い存在なのです。(^^;ゞ

それが、『夫婦それぞれの天命を、完とうすること』だったのです。(^^;ゞ


★私は「家内の心(思い)」を変えようとか、「気づかせよう!」と思っていたのですが、
それは、『他者へ介入』(笑)であり、『必要のない「お節介」』(笑)だったのです。(^^;ゞ
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★つまり、最近になってやっと、二つのことが分かったのです。(^^;ゞ
 それによって、「私の心」はとてもスッキリとしました。 『安心立命の境地』(笑)なのかも知れません。(^^;ゞ

① だれであっても、どんなに身近な人であっても、肉親であっても、
 すべての人は、『自分の「消えてゆく姿」』を経験している神である。

②【「他人の心(思い)」を変えることは、絶対にできない】と思って、他人と接することが大切である。

それに付随して、気づいたことは、以下です。(^^;ゞ
③自分の人生で経験できることは、積極的に、経験をしてみよう!!

④『起きていることは、すべて正しい』のです。 『すべての可能性は、いまここにある』のです。

【2248】絡み合う魂の因縁を断ち切るための「テロ行為」!

2009-10-10 05:43:02 | 思索
『だが、そうした戦争、紛争、テロ等を引き起こす人の天命とは?
多くの罪もない人を巻き込み、殺すことによって自らの過去世の因縁を消すこと自体が、
あまりにも身勝手なふるまいであり、理不尽ではないかという疑問が疑問が沸き起こってくるであろう。

それもまた尤もなことである。これを説明し出すと、一冊の本になるほど複雑で、多岐にわたって種々
さまざまな因縁が絡み合っているのである。

彼らは、何百年もの過去世の因縁を積み重ね、
世界各国各地、あらゆる人種、民族、宗教を体験した魂であるが、
そのプロセスにおいて、ほとんど「真理の探求」がなされなかった魂なのである。

たとえて言えば、こんがらがったたくさんの糸が、メチャクチャに入り組み、絡み合い、
それをほぐそうにも、ほぐしきれない状態と同じである。(中略)

何百、何千という種々さまざまな魂の細い糸が、何一つの法則もなく不規則に絡み合ったらどうなるであろうか。
何百年、何千年経てもほぐきれないまま、新たに次から次へと異なる魂の糸がどんどん重なり合っていったら、
どうなるであろうか。

要するに、たくさんの糸が絡み合ってがんじがらめになった魂たちは、自らがあらゆる体験を重ね、
自らが進化創造を遂げてゆきたいのに、それが出来ず、身動きも取れずに、
すべてが不可能な状態へと自らを追い込み、
ついには諦めの状況へと落ち込んでしまうのである。

なかには絡み合っていても、それがわずか二、三十本であるならば、何十回何百回の輪廻転生を通じて、
それぞれの魂の天命を通じてしがらみをほどき、自然に解決がなされてうゆく場合もある。

が、何千何万の魂たちが絡み合ったまま、にっちもさっちもゆかず、お互い自由に身動きすることも出来なくなると、
彼らは新しい体験を積むことさえ出来なくなる。

魂の奥底で新しい体験を積むことを欲し、少しでも善に向かって、真理に向かって生まれ変わることへの希望を持っていても
(どんなに多くの罪汚れを犯した極悪人と称される人でさえも、魂は宇宙神と一筋の光で必ずつながっているのである。
いかなる魂も 宇宙神と切り離して存在することは出来ないのである)、

肉体界に転生することですら困難となる。まったくお手上げの状態である。(中略)

多量の糸がもつれ合った場合、すべての糸を切断せずに一本一本の糸のもつれを完全に取りほぐすとなると、
無限年を要するにである。

そこで、こんがらがった複数の糸の、まとまった部分を思いきって、割くかきるかして分断すると、
そこから何万、何千という糸がほぐれる。

それによって、多くの魂の群団に多少の自由性が出てくる。
そのようにして、ある魂が戦争、紛争、テロなどを引き起こし、魂の塊郡団を引き裂くのである。

戦争、紛争となった多くの罪もなき犠牲者たちといわれるが、犠牲者となった魂も、
多くの因縁を果たすために、自らの意志によって集まってきているのである。

彼らもまた、宇宙の法則に照らし合わせれば、罪汚れがないわけではないのである。

自らの因縁を果たすために、戦争、テロの犠牲になることを自らが望み、国や宗教や人種を選択して生まれてきているのである。
彼らは大犠牲を通し、世界人類の愛を一心に受け、その光により真理に目覚め、霊界へと飛翔できるのである。

そのために、時代や時、そして時間をも選択し、自由に解き放たれるのを待ち望んでいるのである。
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★霊的な世界は見えないので、私にはなんとも言えないのですが、(^^;ゞ
 この『こんがらがったたくさんの糸が、メチャクチャに入り組み、絡み合い、
それをほぐそうにも、ほぐしきれない状態と同じである』という比喩は、なにかとてもわかる気がするのです。(^^;ゞ

自分の想念のなかでも、人間関係が入り組んでくると、何が何だかわからなくなって、(^^;ゞ
「もう、どうにでもなれ!」と自暴自棄になって、
「人間関係を破滅させたらり、解消する方向」を目指そうという衝動に駆られることがありますから、
こういう「魂の心情」は、理解できる気がするのです。(^^;ゞ