『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2254】『内なる神性に従って生きる』

2009-10-12 03:55:06 | 思索
『誰もが、このプロセスにおいて、必ず学ばなければならないことがある。それは、
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」

「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。

このプロセスが理解できたならば、輪廻説から抜け出ることが出来る。

輪廻説から抜く出ると、果因説へと次元上昇を遂げてゆくのである。

すると、この世の領域である人智を超え、本来の神の神域、無限なる叡智を自分のものとすることが出来るのである。

人類はいかなる人も、神や権力者が両親や先生などの庇護下にあるのでは決してない。

いかなる人も、愛、感謝、赦し、恩恵を他に施す者である。

今現在、いかなる状況や状態にある人も、いつか必ず誰もが、そうなるのである。

本来、人は誰かに従うものではない。自らに従うものである。
自らの内なる神性に従って生きてゆくべきものである。

そして人は、いかなる状況にありうとも、決して自らを「無力なる者」と考えてはならないのである。

そう考えるからこそ、人に依存し、人に頼り、人に従ってゆかねばならなくなるのである。

人に従う者は、弱い人である。真の自分自身を知らね人、気の毒な人、自らの権能の力を他に譲り渡した人である。

自分で自分を牢獄に閉じ込め、ゆえに自分を「無力なる者」と思い込み、信じ込んでしまっているのである。

人に従う者は、自分に自信がないため、常に人に従って生きてゆくほうが楽なのだ。

そしてそれが習慣になってしまっているのだ。

失敗すうにしても、人に従ったがために、皆が同じ失敗をするならば、自分を赦せるのである。
安心できるのである。(中略)

だが、このような人たちの、いつか必ず自らの内なる神性に目覚めるよう、背後の守護霊様、守護神様によって導かれてゆくのである』(p15)
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★「世界平和の祈り」や印を組み続けていますと、『自分の業』が浄まってきますので、
 あまり深く考えなくても、その場その場で判断をすれば、物事がスムーズに回っていく感じがしてきて、
自分の人生が調和の中にあることが理解できます。(^^;ゞ

『内なる神性に従って生きる』とは、そういう「普通の日常」(笑)を送ることだと思うのです。 (^^;ゞ

【2253】『徐々に明かされる人類共通の天命』

2009-10-12 03:37:27 | 思索
『ここで改めて、世界を眺めてみると、現在もなお、いかなる国、いかなる人種、いかなる宗教、
いかなる文化、いかなる環境、状況、そしていかなる両親のもとに誕生しようとも、
かつまた肌の色、言語に違い、伝統文化が異なっていようとも、
それらの違いのすべてを超えて、世の中のほとんどの人が、同じような苦しみ、悩み、悲しみ、痛みを抱えて生きている。

これら多種多様な世界人類の天命はいかに?

人間は何のために生まれ、何のために生きてゆくのか?

みな一人残らず平和と幸せを求め、さらには、自らを生き生きと輝かせて生きたいはずである。

だが何をどう間違えてしまうのか、全く逆の道を歩んでいってしまう。
人類一人一人の天命とは?

その結論は、唯一絶対一つのみ。それはいかなる人の天命も、
一人残らず究極の真理「人類即神也」を顕現することであり、
そのために地上に降誕しているということである。

各自各々が異なる国や人種、民族、宗教、両親等を選択、決断、決定して、
それぞれの天命を果たすための経験を積み重ねてゆくのである。

その間のプロセスにおいて、他と比べて筆舌に尽くせぬほどの苦悩や悲惨、絶望を体験しようとも、
いかなる人も一人残さず絶対!! 必ず!!そして本人が自覚しようがしまいが!!
宇宙神の一筋の光により、導かれているのである。

宇宙神の真理の光は、いかなる人の運命をも導き照らし出てくれているのである。

いかなる人であろうとも、一生を通して不幸や苦しみが永遠に続くことは決してない。
それはいかなる人も必ず、その背後で守護霊、守護神様が見守り、導き、加護しておられるからである。

そして宇宙神とコンタクトしておられるからである。

仮に親子間で殺し殺されたり、あるいは、戦争や紛争で殺し殺されたり、
または飢餓や貧困、疫病などで死んだり、苦しみのどん底に喘いでいたにせよ、
その過去世の因の現象が現れて消えていったならば、必ずよくなるのである。

一人残らず、救われてゆくのである。
絶対に、永遠に苦しみ続けることは皆無である。

たとえいかなるどん底状態にあろうとも、宇宙神の一筋の光によって、
そのどん底から救われてゆくように守護霊様、守護神様が指導しておられるのである。

いきなり究極の真理に、人類皆即神也の境地には行き着かないにしても、
そのプロセスにおいて、自らの天命を通じて少しずつ、自分はなんのために生きているのか、
何故このような状況にあるのか、いつまでこの苦悩が続くのか、己に生きる目的は何か、運命とは何か・・・・・等々、

自分の目の前に次々と生じる不幸な環境、、状況を通して、改めて自分自身に対して疑問を持つようになり、
それによって初めて、自らの天命が除々に知らされ、明らかになってゆくのである。

どんな境遇にあろうが、誰もが自らの置かれた場を通して、自らの天命を果たしてゆくのである。

この世の中は永遠の生命の一瞬の肉体生活体験の場である。

いかなる人の環境も、すべては究極の真理に行き着くための、過去世の因縁の消えてゆく姿である。

一瞬のプロセスである。が、この究極の真理の学びは、人によって長さが異なる。』(p14)
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★上の文章も、精神世界についての的を打ち抜いていて過不足なく的確だと思うのです。
 これが「人類一人一人の精神(魂)」についての正しい理解であり「真理」だと、私は思うのです。

この考え方(理解)に基づいて、白光真宏会の維持会員への働きかけが、昌美氏によってなされていて、
それが、「一人一人の霊性開発」なのです。

【2252】『犠牲者の進化創造』について

2009-10-12 02:54:25 | 思索
『真理を何も知らない一般の人たちは、この世界各国各地で起こっている戦争や紛争、テロによる犠牲者に対して、大変憤り、哀悼の意を表するが、その陰には、犠牲者自身が自らの業を消すために、自ら望み、自ら好んで世界各国各地からその時、その場に集い、
犠牲を払っているという真実があるのである。

それは当然それでよいのである。何百回輪廻転生を繰り返しても消えない過去の因縁が、これで切れるからである。

また、世間の人たちの戦争犠牲者に対する憤りや悲しみ、哀れみ、憎しみは、戦争を二度と起こしてはならないという強い戒めとなり、
同時に、犠牲者に対する愛の光のエネルギーとなって降り注がれてゆく。

犠牲者の魂は、以前と比べて自由になり、ここで初めて深く辛い大因縁(カルマ)を消したことになるのである。

一般の人たちの同情心や愛、思いやり、哀れみ、憤りこそが、彼らをさらに飛翔させる礎をなって支えているのである。

また、世間の人たちも犠牲者を通し、戦争を二度と引き起こしてはならないという教訓を学んでゆくのである。

もし、一般の人たちの同情心や愛や憤りが光となって犠牲者に降り注がれなかったら、彼らは進化創造も次元上昇も果たすことは出来なくなる。
大量の魂たちによる大犠牲を通してこそ、数百倍の転生を果たしたことになるのである。

が、そのすべてを一人で果たすことになると、遅々として進化の歩みとなるのである。』

『この世の中に生ずる個の事件にも事故にも病にも、
かつまた人類規模で生ずる災害にも天災にも、すべて同じ隠れた因が潜んでいるのである。

大きな災害から、小さな事故に至るまで、人類の愛や思いやりは犠牲者の魂に光を注ぐことになり、
かつまた、人類自身も愛行、徳を積むことになるのである。』(p13)
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★上は、個人個人の意識と人類全体の意識について、しかも、浄化の立場から、
そられをスピリチィアルな視点で、包括的に述べている、とても興味深い文章です。

他の精神世界や宗教の本でも、ここまで明確に、魂の救済について述べられているものは少ないと思うのです。

『神と人間』(五井昌久著)を丹念に読み、スピリチィアルな理解が深まれば、上のようなことも分かるのでしょうが、(^^;ゞ
なにぶんにも、目に見えない世界の話なので、「私自身の意識」と、「人類一人一人の意識」の連携や連鎖には、
思いが至らない私でした。(^^;ゞ

★全体を読んでみますと、『犠牲者の魂』が、必要があって事件や事故、災害に巻き込まれ、
そのことによって、『犠牲者自身の魂』が救われ、進化創造できるというスピリチィアルな道理が、
理解できると思うのです。

『写真集』に、昨日開催された「御堂筋KAPP2009」での『平和な感じ』を追加しました。

『ペイント画と写真集』