『誰もが、このプロセスにおいて、必ず学ばなければならないことがある。それは、
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」
「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。
このプロセスが理解できたならば、輪廻説から抜け出ることが出来る。
輪廻説から抜く出ると、果因説へと次元上昇を遂げてゆくのである。
すると、この世の領域である人智を超え、本来の神の神域、無限なる叡智を自分のものとすることが出来るのである。
人類はいかなる人も、神や権力者が両親や先生などの庇護下にあるのでは決してない。
いかなる人も、愛、感謝、赦し、恩恵を他に施す者である。
今現在、いかなる状況や状態にある人も、いつか必ず誰もが、そうなるのである。
本来、人は誰かに従うものではない。自らに従うものである。
自らの内なる神性に従って生きてゆくべきものである。
そして人は、いかなる状況にありうとも、決して自らを「無力なる者」と考えてはならないのである。
そう考えるからこそ、人に依存し、人に頼り、人に従ってゆかねばならなくなるのである。
人に従う者は、弱い人である。真の自分自身を知らね人、気の毒な人、自らの権能の力を他に譲り渡した人である。
自分で自分を牢獄に閉じ込め、ゆえに自分を「無力なる者」と思い込み、信じ込んでしまっているのである。
人に従う者は、自分に自信がないため、常に人に従って生きてゆくほうが楽なのだ。
そしてそれが習慣になってしまっているのだ。
失敗すうにしても、人に従ったがために、皆が同じ失敗をするならば、自分を赦せるのである。
安心できるのである。(中略)
だが、このような人たちの、いつか必ず自らの内なる神性に目覚めるよう、背後の守護霊様、守護神様によって導かれてゆくのである』(p15)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「世界平和の祈り」や印を組み続けていますと、『自分の業』が浄まってきますので、
あまり深く考えなくても、その場その場で判断をすれば、物事がスムーズに回っていく感じがしてきて、
自分の人生が調和の中にあることが理解できます。(^^;ゞ
『内なる神性に従って生きる』とは、そういう「普通の日常」(笑)を送ることだと思うのです。 (^^;ゞ
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」
「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。
このプロセスが理解できたならば、輪廻説から抜け出ることが出来る。
輪廻説から抜く出ると、果因説へと次元上昇を遂げてゆくのである。
すると、この世の領域である人智を超え、本来の神の神域、無限なる叡智を自分のものとすることが出来るのである。
人類はいかなる人も、神や権力者が両親や先生などの庇護下にあるのでは決してない。
いかなる人も、愛、感謝、赦し、恩恵を他に施す者である。
今現在、いかなる状況や状態にある人も、いつか必ず誰もが、そうなるのである。
本来、人は誰かに従うものではない。自らに従うものである。
自らの内なる神性に従って生きてゆくべきものである。
そして人は、いかなる状況にありうとも、決して自らを「無力なる者」と考えてはならないのである。
そう考えるからこそ、人に依存し、人に頼り、人に従ってゆかねばならなくなるのである。
人に従う者は、弱い人である。真の自分自身を知らね人、気の毒な人、自らの権能の力を他に譲り渡した人である。
自分で自分を牢獄に閉じ込め、ゆえに自分を「無力なる者」と思い込み、信じ込んでしまっているのである。
人に従う者は、自分に自信がないため、常に人に従って生きてゆくほうが楽なのだ。
そしてそれが習慣になってしまっているのだ。
失敗すうにしても、人に従ったがために、皆が同じ失敗をするならば、自分を赦せるのである。
安心できるのである。(中略)
だが、このような人たちの、いつか必ず自らの内なる神性に目覚めるよう、背後の守護霊様、守護神様によって導かれてゆくのである』(p15)
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★「世界平和の祈り」や印を組み続けていますと、『自分の業』が浄まってきますので、
あまり深く考えなくても、その場その場で判断をすれば、物事がスムーズに回っていく感じがしてきて、
自分の人生が調和の中にあることが理解できます。(^^;ゞ
『内なる神性に従って生きる』とは、そういう「普通の日常」(笑)を送ることだと思うのです。 (^^;ゞ