『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2255】『自立と天命』について

2009-10-13 05:25:51 | 思索
『本来、結果や利害、世間の批判など、思い煩うことはないのである。
それがマイナスの状況であったにせよ、それは一つの尊い体験として喜んで受け入れてゆくべきなのである。

恐れることよりも、もっと大切なことは、失敗の体験を通して学んでゆくことである。

自分自身の本来の能力を、可能性を信じてゆくことこそ重要なのである。(中略)

ここで肝心なことは、どんなことも人の責任にしないことである。

人が自分を縛るのではなく、人が自分の自由を奪うのでもなく、
あくまでも、自分自身が無意識のそのような状態に導いていっていることに気づくのである。

自分の不幸を、自分の悲しみを、自分の苦しみを、自分の失敗を常に人のせいにし、
人に転嫁する人が多々いるが、それは間違いである。

すべて、自分の為せる業である。自分から発している行為である。

自立した人間であるならば、社会や人に迎合してはならない。

究極的には、自らの神聖なる真理を見出し、自覚し、目覚めさせてゆく行為以外ない。』(p17)
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★『内なる神性に従って生きる!』なのですから、「他人の評価」を気にする必要はないのです。(^^;ゞ

「他人の評価」は、それぞれ違うのですから、それらすべてに対応することなど、そもそも出来ないのです。(^^;ゞ

人間は、「自分の霊性」を自分で開発して(自分の魂を磨いて)生きることが、もっとも大切なことなのです。

「他人」に依存しないで、自立する(精神的に)ことが、天命を完とうすることです。


★「依存」に関しては、「経済的な依存」についての考察もしたいのですが、まだ、考えがまとまっていません。(^^;ゞ


「経済的自立」と「精神的な自立」は、連携しているとも言えますが、ある意味では別のことです。
「経済的に自立して出来ていない人」は、「精神的に自立出来ていない人」というわけではありません。(^^;ゞ
そんな二元論ではないのです。魂のレベルで、「依存性」があるかどうかが問題です。

要は、「他人に依存しないで生きる」という覚悟があれば、「依存していない」のです。
本人の理解と自覚の問題だと思うのです。

経済的に依存していても、「全体への感謝」にあふれて生きていれば、「生き方」として完結していると思うのです。

常に、「自分の出来ることを他人にしてあげられる人生」であれば良いのです。

★【2253】の『内なる神性に従って生きる』の
『誰もが、このプロセスにおいて、必ず学ばなければならないことがある。それは、
「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」
「自らを加護している守護霊、守護神の存在に感謝すること」を理解し、確信することである。』にもあるように、


「自らを信じること」「自らを愛すること」「自らを赦すこと」「自らを尊ぶこと」が出来ていることが、
『自立が、出来ていること!』だと思うのです。


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 とてもいい演奏なので、是非ご覧ください。

「横田明紀男さんのギター演奏」

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