『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2258】「私は、だれか?」「何をする人か?」(^^;ゞ

2009-10-17 04:58:25 | 思索
ゴーギャンの絵に、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』があります。

精神世界や哲学や宗教で問うていることも、この『本来の自分』の居場所についてだと思うのです。
最近の『青春リアル』(NHK)でも、『自分の居場所』がテーマなのですが、
簡単にいうと、自分の居場所は、『自分』だと思うのです。 (^^;ゞ

印を組んだりして、「祈りの生活」をしていると、自分の居場所は『自分』だと、ますます思えてきて、
外で起こっていることは、いずれも『単なる経験』(笑)と思えるのです。

そうすると、『私は、だれ?で、何をする人か?』には、解答が出ていて、

それは、『私は、ここにこうする者(経験をする者)であり、祈りをする人である』となります。(^^;ゞ

このごろの私は、『祈りだけをしていれば、すべては、順調に満たされてゆく』と、
ますます(笑)思えてきました。(^^;ゞ

★「祈り」をしなくても、『私は、単に経験をする人である!』と思えれば、それでもOKなのですが、
 「祈り」は、自分の業想念を消す方法なので、あれこれと考え過ぎないようにするには効果的です。

★OSHOの講話集に、『中空の竹となれ!』という言葉があったと思うのですが、
 それは、『祈りのなかで、経験をしている自分の姿』という意味だと思いました。

そしてそれは、『自分は、「消えてゆく姿」をしている者であるという認識』でもあるのです。

私たちは、『単なるバイブレーション(振動)』だと思うのです。

『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』

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