*介護はボクにとって、蘇りの血と肉!
*介護ダイアリーというコトバが気になっている、この文章は、日記ではゼンゼンないからだ、ボクの中の永遠を記録している感じである、
*このfotは一昨夜の、食事途中の映像、よく食べ、よく噛んで、一生懸命に2人で食事して、ほぼ1時間で終わる、それを毎日繰り返す、この頃、彼女のコトバが急に少なくなってきている、パパというコトバはわからないが、ママはわかる、と、いう、
*なんといったらいいのか、彼女の姿勢はマッスグで動かない、チョット信じられないほどにキレイである、”ママ、写真撮るから、チョット振り向いて”キレイだからね、撮って置こうね”、と、いって、振り返った時に撮った、深く、深く自分のなかを覗きこんで、60年間の一緒に暮らした膨大な時間を凝縮しているようである、こんなにも深い、神秘的に美しい顔を、彼女は持っていた、ボクには新しい自覚である、イトシサが滾々と溢れてくる、そのイトシサの感情は若々しい、切れるように透き通ってcleanである、が、暖かい、フシギ?misteriousである、みなさん、ボクが若い、と、おっしゃるが、この感情のみずみずしさがボクの若さを作り出すのだ、と、ボクは感じている、美しさは美貌ではない、美貌は淫蕩を隠蔽するマスクじゃないの、と、ボクは感じる、美しさは自分を抑制する力のなかにある、と、ボクは思う、イトシサこそがボクにとってはLOVEである、
*”わからないの、こわい”10年前?最初にこのコトバを聴いたときには即座に返事が出来なかった、今なら”ダイジョーブ、パパが側にいるから安心していいよ、”そのままでいいよ”といってやれる、”ダイジョーブ?”そのままでいいの?”、と、かえってくる、いまでも彼女が口にできるコトバの1つだ、