*最先端のメークアップ、歌舞伎役者の隈取、パリオペラ座のダンサーの化粧,NYメットのオペラの化粧法、あるいはAKB48など舞台での化粧現場を歩いてみるなど、また皮膚科学の先端からのジャーナルなど化粧話題を盛り上げる、化粧がハナシの種になる、音楽と映像と化粧,カタリが一緒になって、眺めずにいられない、メモしておかなきゃ、と感じさせるネットにしなきゃ仕様がない、
*口紅の専門サイト、といった集合的なスタイルがあってもいい、花粉症の時期の口紅は、夜は、ソレモイロイロな夜にあわせた、化粧の教養が溢れて魅力的、男も読みたくなるような、話題を作るサイトでも泣ければならない、
2012年4月21日、資生堂はネット通販サイト「ワタシプラス」を開始した。資生堂の製品2600アイテムをネットで買えるほか、動画を使って美容部員からカウンセリングを受けることもでき、化粧品のネット店舗の機能を備えている。
ネット通販への進出はほかの業界では当たり前のことだが、資生堂にとっては不磨の大典に相当するビジネスモデルの大転換を意味した。満を持して勝負に出た末川久幸社長(当時53)を、名門企業の若きエースといって経済紙・誌は大いに持ち上げた
だが、末川社長の挑戦はあっけなく挫折した。13/3月31日付で社長を退任し、相談役に退くと共に、前田新造会長(66)が4月1日付で社長に復帰する。末川氏は11年4月、52歳の若さで社長に就いたが、わずか2年で退任という、異例の事態となった。
*ブランド名そのものが、田舎臭く、いかにも化粧品の初心者に説教スル感じ、化粧するよろび、化粧のスタディといった上流志向がまったくない、ネットの為に作ったネットで、売れればいい、なんでもスル、と言う感じ、一種の黒板,ホワイトボードでもいい、ソンナ役割りで、誰がみるの、と言う感じであった、
辞任の背景には、海外事業の柱としてきた中国事業の失速がある。沖縄県・尖閣諸島の国有化で中国の反日感情に火がつき、資生堂製品は買い控えに遭った。現地では資生堂イコール日本というイメージが強かっただけに、その影響は大きかった。12年7~9月は前年同月比10%の減収、10~12月は同20%近い減収になった。このため13年1月末に主要拠点の1つ、鎌倉工場(神奈川県鎌倉市)の閉鎖など大規模なリストラを余儀なくされた。
中国の販売の失速ばかりがクローズアップされているが、より深刻なのは国内の化粧品事業だ。売上高は6年連続で減少し、12年3月期は3538億円と6年間で1000億円近く目減りした。13年3月期も、依然として落ち込みに歯止めがかからない。
資生堂が開示している国内化粧品販売会社の売上高によると、12年4月は前年同期月で26%減少した。12年で前年実績を上回ったのは9月と10月の2回だけ。ほかの月はマイナスだった。
資生堂の販売チャンネルが競争力を失ったことを、数字が如実に示している。だから、ビジネスモデルの大転換に踏み切ったのだ。