天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

棟方志功と民芸運動

2023-10-16 | Weblog
 先日、東京の国立近代美術館で開催されている、
 「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」を観て来ました。
 展示された作品の中に棟方の出世作ともなった、
 「大和し美し版画巻」があり、面白いキャプションがありましたので、
 覚えている範囲で書いておきます。

 ご承知の方も多いかと思いますが、
 青森市に生まれた棟方は、洋画家となる事を目指して上京します。
 1926年(昭和2年)、国画創作協会の展覧会で観た
 川上澄生の版画『初夏の風』に感動し、棟方は版画家になることを決心します。

 1934年(昭和9年)、佐藤一英の詩「大和し美し」を読んで創作意欲を掻き立てられ、
 1936年(昭和11年)に「大和し美し版画巻」を国画展に出品します。
 この作品は、長さが7mほどもある対策で、
 展示について、国画会の事務局ともめました。
 その話を聞きつけた民芸運動の第一人者である柳宗悦が来て、
 この「大和し美し版画巻」を購入する事を即決します。
 当時、柳や濱田庄司などは、新たに日本民藝館の建設を計画していて、
 そこに展示する作品を探していたところでした。
 それ以来、柳は棟方の作品の指導監修にあたります。
 半年後、同館の開館時には新作「華厳譜」が大広間の壁一面を飾ったとの事です。

 これをきっかけに、柳や濱田、河井寛次郎らの
 民藝運動の指導者との交流が始まります。
 棟方は仏教や民芸の世界に傾倒していきます。
 柳は、技法でも棟方志功に影響を与えており、
 棟方の代表的な技法である紙の裏から色づけする「裏彩色」も、
 柳の影響によるものです。
 今回の展覧会にも「大和し美し版画巻」の中の「倭建命の柵」が、
 裏彩色で出展されていました。

 民芸運動と棟方の関係はその後も続き、
 師である、柳宗悦が病床にあった時、
 柳が「偈」と呼び、自らの心境を自由に短い句で述べた歌を、
 棟方の板画とともに描いた「心偈頌」を捧げていますし、
 河井寛次郎、濱田庄司を讃仰し、
 それぞれの窯の名から「鐘渓頌」、「道祖土頌」と名付けられた作品も
 捧げられています。

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