天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ツタンカーメン墓の発掘

2010-07-15 | Weblog
 ツタンカーメンはBC1358年に即位し、
 同1349年に18歳で死去した古代エジプト第18王朝の王です。
 厳格な表記ではトゥトアンクアメンとなります。

 1922年のハワード・カーターが未盗掘の王墓を発見して以来、
 そのファラオの呪いとともに、名前が知れ渡り、
 今では一番有名な古代エジプトの王かも知れません。

 しかしならが、カーターが墓を発見するまでは、
 ツタンカーメンはその存在さえ知られていませんでした。
 今から3300年程前に
 ラムセス2世の第4王子のカエムワセトが作った王名表に
 ツタンカーメンの名がなかったからです。
 カーターは、王墓の近くで発見される古代資料から、
 ツタンカーメンの存在を信じ発掘を続けました。

 カーターは、小学校を卒業しただけで、
 アルバイトを転々としますが、絵の才能があったのでしょう、
 エジプトの発掘資料の模写の仕事から、考古学に興味を持ちます。
 しかし、発掘には莫大な経費が掛かります。
 その資金を提供したのが、イギリスの貴族カーナボン卿でした。
 カーナボン卿は、1902年ドイツで自動車事故を起こして重傷を負い、
 医者からエジプトでの療養を勧められ、
 エジプトに渡りますが、そこで、カーターと知り合います。
 そして、二人でツタンカーメン王の墓を追い求める訳です。

 発掘は、途中第一次世界大戦で中断されますが、
 1917年再開され、5年目に墓を発見する訳です。
 そして、カーターはイギリスにいるカーナボン卿に電報を打ち、
 発掘調査を中断します。
 2週間後に、カーナボン卿と共に、
 ツタンカーメン王の墓の扉を開く事になります。

 このカーナボン卿、何故このような資産を持っていたかと言うと、
 その夫人のアルミナが巨額の持参金を持って結婚したからです。
 そして、その持参金を出したのが、
 ロスチャイルド家の一人、アルフレッド・ロスチャイルドで、
 当時ロンドンの金融街の有力者でした。
 アルミナには戸籍上の両親はいましたが、
 アルフレッドが本当の父親だったと噂されています。
 いずれにしても、20世紀の考古学では最大の発見と言われる、
 ツタンカーメンの墓の発掘ができたのは、
 ロスチャイルド家の資金があったからである事は間違いありません。
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