天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

西郷伝説

2009-04-28 | Weblog
 昔から、悲劇的な最後を遂げた人には、生存伝説ができます。
 義経が死亡せずに大陸に渡ってジンギスカンになったとか、
 豊臣秀頼が大阪城を脱出していたとかの類ですね。

 西南戦争で死亡したとされる西郷隆盛にも、
 鹿児島の城山で死亡していないと言う伝説があります。
 1877年(明治10年)9月24日午前4時、官軍は総攻撃を開始し、
 西郷隆盛は股と腹に銃弾を受け、
 別府晋介の介錯によって死亡したと言うのが史実になっています。
 しかしながら、この首が見つからないと言う話しから、生存伝説が生まれます。

 西南戦争は、日本では最初の「報道された戦争」でした。
 「東京日々新聞」では、社主の福地桜痴自らが記者として乗り込んだ外、
 「郵便報知新聞」は後に首相となって、
 5・15事件で殺害された犬養毅を記者として送り込んでいます。
 その外、「朝野新聞」とか「東京曙新聞」などが、
 戦争の発端から終結まで、戦場の噂話なども含めて、丹念に報道しています。

 官軍の参軍、川村純義少将が「賊魁西郷隆盛首級見当たらず、ただいま探索中」
 と打電した内容を「朝野新聞」が掲載し、
 29日の「郵便報知新聞」も、
 西郷の首が見付からないと言う報道を行った事が、
 どうやら西郷生存説に信憑性を与えたようです。

 本邦始まって以来の戦争報道だったので、
 軍の方でも、報道管制なんて全く考えもしなかったのでしょうね。
 西郷が星になったと言う風聞も広がったようですが、
 一方、海外に脱出したという噂が広まります。
 後に外務大臣になった陸奥宗光が外人に頼んで支那に潜伏させているとか、
 インドの島で生存しているとか、
 ロシアで生存していて、ロシアの皇太子ニコライの来日に合わせて
 帰国すると言うような、様々な噂があったようです。
 生存伝説が生まれる人物と言うのは、
 当時の人々に愛された人物が多いように思います。
 西郷隆盛も、人々に愛され慕われたのでしょうね。
コメント (2)
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