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AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

『思い出のほとんど』は、ただ1回のステージのために作られた楽曲。(ときめき研究家)

2012-09-25 07:00:00 | ときめき研究家
アルバム『1830m』の楽曲について、もう少し書いておきたい。

前田と高橋による『思い出のほとんど』は、東京ドームコンサート2日目に歌われた。
ほとんどの曲が1コーラス半のテレビサイズで歌われた中で、この曲はフルコーラス、じっくり聴かせた。

(当時の記事より再録)
高橋みなみと前田敦子のデュエット曲『思い出のほとんど』は、盟友二人の心境をそのまま歌ったような曲で、それだけで「泣かせ」だが、十字の通路を使って、効果的な演出も施されていた。別々の位置から歌い始めた二人は、フルコーラスを歌いながら通路を歩き、近づいては離れ、なかなか出会わない。エンディング近くで、ようやく駆け寄る二人の姿には胸を打たれた。
(再録終わり)

今後この二人が揃って、この曲を公の場で歌うことはないだろう。前田の卒業に当たって、盟友二人がお互いに気持ちを吐露するという内容の歌は、他のどんな場面で歌ってもそぐわない。いわば、この夜のステージ1回のために作られた曲と言ってもいいだろう。

しかし、注意深く歌詞を読むと、AKBや卒業といった固有の状況を描いた箇所はない。一緒に同じ道を歩んできた親友二人の別れの曲として普遍性を持った曲でもあるのだ。ただの楽屋落ちソングではない。だから、高橋、前田の二人以外は、いつでもカラオケで歌っていい。

「ほとんど」という言葉が珍しい。
「思い出の全て」だと嘘になるし、「沢山の思い出」だとありきたりである。「ほとんど」と歌う時、冷静さの中に、過ぎた日々への具体的ないとおしさが伝わる。

「離れ離れなんて」「やだよ」「想像できない」の掛け合い部分は、完璧な間合いで、思わずホロリとする。

「できるなら今すぐに弱音を吐きたい」「ホントは引き止めてと思ってた」という歌詞は、前田の実際の心情とは異なるだろう。しかし、そういう思いもあったのかもしれないと思わせる、創作としてのリアリティを感じる。虚実の狭間で作詞する秋元康の真骨頂であろう。
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1 コメント

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検索キーワード (ときめき研究家)
2016-04-03 12:10:52
最近「思い出のほとんど」で検索してこの記事を読んで下さる方が増えているようです。
高橋みなみの卒業コンサートの1曲目で歌われたためでしょう。
前田敦子の卒業「ただ1回のために作られた曲」だと書きましたが、高橋みなみの卒業という2回目があったことに、当時は思い至りませんでした。
秋元氏ははじめから2回使う予定だったのですね。

3年半を経て、前田、高橋がこの曲をどのように歌ったか、見逃してしまったのは残念。
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