『目撃者』公演、私は配信で1回見ただけだが、やはり1曲目の『目撃者』はインパクトがあった。他の曲があまり印象に残らなかったせいもあるが。
昼寝さんによる聞き起こし歌詞(労作に感謝します!)の最後の部分で「死体」という言葉が出てくるが、本当だろうか。
僕たちは目撃者 悲劇を終わりにはしない
この痛み この死体 歴史の1ページ破ることなくNOと言い続けよう
もし聞き間違いでなく「死体」が本当だとすれば、かなり思い切った歌詞だ。
「時代」「事態」「失態」あるいは「肢体」ではないかとも思うが、前後の文脈からは「死体」で合っているように思える。
『誰かのために』『Glory Days』『街角のパーティー』に出てくる政治的な内容は、付け足しであるというナッキーさんの指摘には同意する。
それに対して『目撃者』は、全編が政治的題材を歌っていることにも異論ない。しかし、『目撃者』を政治メッセージソングと言っていいかには疑問がある。
政治メッセージソングとは、「彼らに自由を」とか「武器を捨てよう」とか「独裁者は許さない」とか、政治的な主張を直接的に歌った歌を言うのではないか。
『目撃者』は、殺された政治的闘士に対して共感はしているが、歌っているのは「目撃者となって、この出来事を風化しないように伝えよう」という決意だ。
つまり、政治的な出来事に対して、自分がどう向き合うかという心の持ち方を歌ったもので、すなわち自分の内面を歌ったもので、『誰かのために』『Glory Days』『街角のパーティー』と変わらない。
そして、それは歌として劣っているということではない。多くの人にとって、自分の内面の方が切実なのだ。
他国の不幸な人々を救うために直接行動を起こすことは、一個人にとっては困難なことだ。
政治家になって外交によって救うか、大金持ちになって経済援助をするか、青年海外協力隊に入ってできる範囲の貢献をするか。ほとんどの人は、どれもしない。
だから、そうした出来事に対して、自分がどう向き合うかは、真剣に考えるべき重要なテーマだ。
歌うことで世の中を変える(『誰かのために』)、無力を嘆く(『Glory Days』)、街角での草の根交流(『街角のパーティー』)など、いろいろなスタンスが歌われてきた。
K6thの『夢の鐘』では、祈りながら鐘を鳴らす。
『目撃者』では、目撃者として語り部になる。
真剣に考え抜いて、自分にとって必然性のあるスタンスなら、どれも正解だ。
過去のアイドルも、この問題には時々直面していた。
「遠い国で沢山人が(ピー)でも、次のニュース見れば気分が変わる」と、所詮他人事という意識しか持てない自分を自虐した酒井法子(『今夜もニュースホリック』)。
「遠い話と瞳を閉じますか 見知らぬことと言えますか」と、直視せよと訴えた南野陽子(『フィルムの向こう側』)。
それから、「選挙の日ってうちじゃなぜか投票行って外食するんだ」と、政治行動の晴れがましさをさりげなく歌ったモーニング娘。(『ザ☆ピース』)は、意外に建設的メッセージソング。
どの歌にも共感できる部分はあり、しっくり行かない部分もあった。そして今回の『目撃者』にも。
そう、私自身、未だ、世界との向き合い方を模索している途上だ。
ベルリンの壁崩壊の映像を流す演出について。
歌の内容に合うのは、天安門事件のような弾圧事件の映像で、勝利の瞬間であるベルリンの壁崩壊は合わないと、ナッキーさんは言う。
私は、歴史的瞬間の映像で、かつ幅広い年代層の観客が理解できる場面ということで選ばれたのだと推察する。歌詞の内容に合う弾圧事件には、あまりこだわらなかったのではないか。天安門事件の映像では、十代の観客にはわからないが、ベルリンはカップラーメンのCM等でなじみがある。
その点よりも、曲の終わりに、一旦照明が落ちた後、ステージに立っているメンバーに重ねて、再度ベルリンの壁崩壊映像が流されることの意味を考えた。(配信で見た初日はそういう演出だったが、現在も同じだろうか)
「新チームAのこの公演も歴史的瞬間であって、劇場で見ている観客は、その目撃者になってほしい」という意味が込められていると思う。そうでないと、メンバーに映像を重ねる意味がない。
衣装が白いレインコート風というのも、スクリーン代わりに映像を映すという、この演出のためでもあるのだろう。
昼寝さんによる聞き起こし歌詞(労作に感謝します!)の最後の部分で「死体」という言葉が出てくるが、本当だろうか。
僕たちは目撃者 悲劇を終わりにはしない
この痛み この死体 歴史の1ページ破ることなくNOと言い続けよう
もし聞き間違いでなく「死体」が本当だとすれば、かなり思い切った歌詞だ。
「時代」「事態」「失態」あるいは「肢体」ではないかとも思うが、前後の文脈からは「死体」で合っているように思える。
『誰かのために』『Glory Days』『街角のパーティー』に出てくる政治的な内容は、付け足しであるというナッキーさんの指摘には同意する。
それに対して『目撃者』は、全編が政治的題材を歌っていることにも異論ない。しかし、『目撃者』を政治メッセージソングと言っていいかには疑問がある。
政治メッセージソングとは、「彼らに自由を」とか「武器を捨てよう」とか「独裁者は許さない」とか、政治的な主張を直接的に歌った歌を言うのではないか。
『目撃者』は、殺された政治的闘士に対して共感はしているが、歌っているのは「目撃者となって、この出来事を風化しないように伝えよう」という決意だ。
つまり、政治的な出来事に対して、自分がどう向き合うかという心の持ち方を歌ったもので、すなわち自分の内面を歌ったもので、『誰かのために』『Glory Days』『街角のパーティー』と変わらない。
そして、それは歌として劣っているということではない。多くの人にとって、自分の内面の方が切実なのだ。
他国の不幸な人々を救うために直接行動を起こすことは、一個人にとっては困難なことだ。
政治家になって外交によって救うか、大金持ちになって経済援助をするか、青年海外協力隊に入ってできる範囲の貢献をするか。ほとんどの人は、どれもしない。
だから、そうした出来事に対して、自分がどう向き合うかは、真剣に考えるべき重要なテーマだ。
歌うことで世の中を変える(『誰かのために』)、無力を嘆く(『Glory Days』)、街角での草の根交流(『街角のパーティー』)など、いろいろなスタンスが歌われてきた。
K6thの『夢の鐘』では、祈りながら鐘を鳴らす。
『目撃者』では、目撃者として語り部になる。
真剣に考え抜いて、自分にとって必然性のあるスタンスなら、どれも正解だ。
過去のアイドルも、この問題には時々直面していた。
「遠い国で沢山人が(ピー)でも、次のニュース見れば気分が変わる」と、所詮他人事という意識しか持てない自分を自虐した酒井法子(『今夜もニュースホリック』)。
「遠い話と瞳を閉じますか 見知らぬことと言えますか」と、直視せよと訴えた南野陽子(『フィルムの向こう側』)。
それから、「選挙の日ってうちじゃなぜか投票行って外食するんだ」と、政治行動の晴れがましさをさりげなく歌ったモーニング娘。(『ザ☆ピース』)は、意外に建設的メッセージソング。
どの歌にも共感できる部分はあり、しっくり行かない部分もあった。そして今回の『目撃者』にも。
そう、私自身、未だ、世界との向き合い方を模索している途上だ。
ベルリンの壁崩壊の映像を流す演出について。
歌の内容に合うのは、天安門事件のような弾圧事件の映像で、勝利の瞬間であるベルリンの壁崩壊は合わないと、ナッキーさんは言う。
私は、歴史的瞬間の映像で、かつ幅広い年代層の観客が理解できる場面ということで選ばれたのだと推察する。歌詞の内容に合う弾圧事件には、あまりこだわらなかったのではないか。天安門事件の映像では、十代の観客にはわからないが、ベルリンはカップラーメンのCM等でなじみがある。
その点よりも、曲の終わりに、一旦照明が落ちた後、ステージに立っているメンバーに重ねて、再度ベルリンの壁崩壊映像が流されることの意味を考えた。(配信で見た初日はそういう演出だったが、現在も同じだろうか)
「新チームAのこの公演も歴史的瞬間であって、劇場で見ている観客は、その目撃者になってほしい」という意味が込められていると思う。そうでないと、メンバーに映像を重ねる意味がない。
衣装が白いレインコート風というのも、スクリーン代わりに映像を映すという、この演出のためでもあるのだろう。
加えて言うと全国ツアーでは映像の演出そのものがありませんでした。
これは会場の都合でしょうが。
私には「残したい」に聞こえます
歴史的瞬間である新チームA公演の「目撃者」になってほしいというメッセージを重ねているという私の説が、補強されたように思います。
あと、思い付きですが、ベルリンの壁には、「チームの壁を超えろ」という意味も読み取れます。
修正してください^^;
「死体」なら画期的な歌詞と思ったんですがね。