何回も聴いた。
「春色の」という歌い出しが、まず野心的だ。
その歌い出しは、どうしても『赤いスイートピー』(松田聖子)の「春色の汽車に乗って」を思い出させてしまう。相当無頓着なのか、あるいは相当自信がなければ、避けたいフレーズではないだろうか。
ところが既に『Chose me』でも「春色街角」と使われていたことに気づいた。意図的なのだろう。
色々な解釈ができる歌詞だ。
誰にとって、何が「永遠の桜の木」になるのだろうか。
卒業生にとって、母校が「永遠の桜の木」になる。これは、普通の卒業ソングとしての解釈である。
母校ではなく、後輩、先生、在学時代の思い出、などに置き換えることもできるだろう。
若いAKB48のファンにとっては、熱中したAKB48が「永遠の桜の木」になってほしいという願いも込められているように思える。そう、『ジグソーパズル48』の世界のように。
そして、やはり、AKB48からの卒業生にとっては、AKB48が「永遠の桜の木」だという含意も込められていると思えてならない。過去の卒業生たちも、奥ちゃんも、そしてこれから卒業していくメンバーたちも、スタートとしてのAKB48を時に思い出してほしいと歌っている。
「誰もみな 胸に押し花のような 決心をどこかに忘れている 思い出して 桜が咲く頃に 僕のことを 一本の木を」
この部分の解釈が難しい。「押し花のような決心」とは何だろうか。
「胸に」と言っていながら「どこかに忘れている」というのはどういうことだろうか。
押し花のように、時間が経っても朽ちてしまわない、若い夢や理想。それは胸の内にあるはずなのに、いつか日常にまぎれて忘れてしまっている。でも、それは何かのきっかけで甦る。例えば、毎年桜が咲く度に。
そのきっかけを与えようと、彼は毎年、意地のように「桜」の歌を世に出すのだろう。
格好よく言えば、世の中の全ての人たちにとって、秋元康自身が「永遠の桜の木」たらんとしているのだ。
PVでは、亡くなった中学の同級生が「永遠の桜の木」だったし、テレビドラマでは、「前田先生」が生徒たちにとっての「永遠の桜の木」になったのだろう。
そしてもう一つ。
1人1人のアイドルを「桜の花びら」に例えると、「桜の木」はアイドルというジャンル、文化と言える。つまり、個々のアイドルは毎年咲いて、やがて散っていっても、アイドルという文化は永遠のものであると歌っていると解釈したい。やや強引だけど。
いずれにせよ、様々な聴き方ができる曲だ。
過去の卒業ソングのレビュー記事はこちら。
「春色の」という歌い出しが、まず野心的だ。
その歌い出しは、どうしても『赤いスイートピー』(松田聖子)の「春色の汽車に乗って」を思い出させてしまう。相当無頓着なのか、あるいは相当自信がなければ、避けたいフレーズではないだろうか。
ところが既に『Chose me』でも「春色街角」と使われていたことに気づいた。意図的なのだろう。
色々な解釈ができる歌詞だ。
誰にとって、何が「永遠の桜の木」になるのだろうか。
卒業生にとって、母校が「永遠の桜の木」になる。これは、普通の卒業ソングとしての解釈である。
母校ではなく、後輩、先生、在学時代の思い出、などに置き換えることもできるだろう。
若いAKB48のファンにとっては、熱中したAKB48が「永遠の桜の木」になってほしいという願いも込められているように思える。そう、『ジグソーパズル48』の世界のように。
そして、やはり、AKB48からの卒業生にとっては、AKB48が「永遠の桜の木」だという含意も込められていると思えてならない。過去の卒業生たちも、奥ちゃんも、そしてこれから卒業していくメンバーたちも、スタートとしてのAKB48を時に思い出してほしいと歌っている。
「誰もみな 胸に押し花のような 決心をどこかに忘れている 思い出して 桜が咲く頃に 僕のことを 一本の木を」
この部分の解釈が難しい。「押し花のような決心」とは何だろうか。
「胸に」と言っていながら「どこかに忘れている」というのはどういうことだろうか。
押し花のように、時間が経っても朽ちてしまわない、若い夢や理想。それは胸の内にあるはずなのに、いつか日常にまぎれて忘れてしまっている。でも、それは何かのきっかけで甦る。例えば、毎年桜が咲く度に。
そのきっかけを与えようと、彼は毎年、意地のように「桜」の歌を世に出すのだろう。
格好よく言えば、世の中の全ての人たちにとって、秋元康自身が「永遠の桜の木」たらんとしているのだ。
PVでは、亡くなった中学の同級生が「永遠の桜の木」だったし、テレビドラマでは、「前田先生」が生徒たちにとっての「永遠の桜の木」になったのだろう。
そしてもう一つ。
1人1人のアイドルを「桜の花びら」に例えると、「桜の木」はアイドルというジャンル、文化と言える。つまり、個々のアイドルは毎年咲いて、やがて散っていっても、アイドルという文化は永遠のものであると歌っていると解釈したい。やや強引だけど。
いずれにせよ、様々な聴き方ができる曲だ。
過去の卒業ソングのレビュー記事はこちら。
こんにちは。
ジグソーパズル48の分析記事でコメントをした者です。
僕も「誰もみな~」の歌詞が気になっていていましたが、
またまた感心してしまいました。
ありがとうございます。
僕はまだ高校3年生ですが、
これからもっと大人になるにつれて
様々な角度から歌詞の解釈ができるように
頑張っていきたいと思います。
桜の木は、文化の継承は当たっている。
継承するには、作り手だけでなく、アイドルファンという鑑賞者の両輪が必要。
どちらかが欠けても、文化は継承されない。
ドラマを見ていると、ますます文化継承説に傾く。
KC
しかし、今回は、「桜の木」でしょう…。歌詞も見てないし、録画しているドラマも後からまとめて観よっと…。
そんな状態で、あえて、予想解釈してみて、
"動かない"って事なんじゃないのかな? 「木」だもんね。「花びら」じゃなくて…。なんか、そんな感じ。
いつもありがとうございます。
AKB48は、世代を超えて、多くのファンが色々な楽しみ方ができるのがいいですね。
私の解釈は、こじつけも多く、半分遊びのようなものなので、あまり過信されぬよう。
やすし×アキモとさん
おっしゃる通り、かなり強引な解釈です。笑って見逃してください。
おそらく中高生~20代後半は『赤いスイートピー』の名前、サビは知っていても、頭からは知らないと思うから。
アイドル文化の継承は広義の解釈…正直話が大きすぎて1アイドルが歌うとなるとピンと来ない。
狭義(AKB内)の解釈だと花(メンバー)が散って(卒業して)も、木(ファン)が残っていれば、また春が来たら新しい花は咲くんだって事なのかと。
ところで、今度のコンサートタイトルについては、皆さんはどう解釈されていますか?
『たかみなについていきます』
可能性は低いと思うのですが、
もし、たかみなが卒業発表したら…
何名か同時に卒業発表するのかな?
ふと、思った。
そのチューズミーを思い出したのも、もう一カ月も前ですが。
知らない人には大衆向けの曲に聞こえるけど
実はこういう秘話がある
って秋Pにはよくあることかと
歌い出しの部分はセイコちゃんの「赤いスイートピー」と同じ「春色」で始まっていますね。
セイコちゃんも好きなのでこれはこれでいいですが、でぶっちょジジイはこれもパクっているようですね。
ポニーテールとシュシュは”A hard day's night”に、ヘビーローテーションは”Can't buy me love”にそれぞれ曲の感じが似ていると思うので、これらはパクリだと思っています。
俺は今AKBが好きだから、AKBは永遠の桜の木になってくれればいいと思っています。俺が老人になってもAKBが続いていればそれに越したことはないが、なくなっていても思い出して懐かしむことができればそれでいいと思います。
ところで俺は元ハロプロファンで、ハロプロの人気歌手の松浦亜弥と双子のようなものです(歳は同じ)。そこでこのニックネームがつけられました。
10年桜と本当に関連性があるのがわかる。
「卒業はプロセスさ。再会の誓い」
「頬に落ちた涙は大人になるためのピリオド」
都市伝説と歌詞の意味を理解しようと思えば、大体わかるような気がする。
元のさくらはある人物で、さくらを想ってまた、別の人物がさくらに成り代わり、行動を起こす。ってことは、さくらである・ある人物は死んでしまっていた。と言うことがわかる。さくらに成り代わって別人も死を覚悟でやっていたということがわかる。
永遠のさくらの木になろう。とことは、最期は、死ぬってことだろうなぁ。と思ってしまった。
もう一回、さくらの人生を関係者に知らせるために行なったもう一人のさくらは、元のさくらのために死んでしまったということかもしれない。