AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

『桜、みんなで食べた』他…初聴き感想(ピーナッツ)

2014-04-01 06:00:00 | 分析系 曲
『既読スルー』
まず、思ったのは、SNS世界…スマホ専用言語が、これ…歌詞の前面に出過ぎてくると、”なんか、その曲…味気なくなっちゃうなぁ~”ってこと。
でも、まあ…それが現在の恋愛事情に 少なからず、影響とかも しているんだろうから、この状態は、もう理解…しないと。よし!納得するとしよう。
ただ、個人的には、既読スルー等…「LINE」の もう1個手前の段階である…”返信メール?そんなもん…その日のうちに返してよ。いや、30分以内に返してよ。常識でしょ?”的な感覚(風潮?)でさえ、どこか…ついていけてない自分がいたりするからさぁ~。止まってる…かな?
でも、”んなもん、こっちのさじ加減やがな。にしても、それって、なんて傲慢な常識,理屈なんだろう”ってな想いも ボクの本音…。
とにかく、それの もう1歩進んだカタチである「既読スルー」なんて…ねぇ? でも、まったく、今の子って、大変だな。まあ、僕も 自分なりに、それとは(上手く?)付き合っているつもりなんだけどさ~。まあ、大変な時代…ということで。
ただ、今の子は、それが、恋愛にも食い込んでくるんだよね~。ご苦労様です!
言い訳と、無視と、プライドと、羞恥心と、本音と、建前と、フォローと、不安と、”面倒くせぇ~”と、”うぜぇ~”と、“ごめ~ん、ちょっと忙しくてさ~“と…。
まあ、今の子は、今の子なりに戦っているんだよな。頑張れ!スマホ世代。
そして、この『既読スルー』ってのは、そういう時代曲なんだと思う。
だけど、個人の希望としては、ま、そういう現代の恋愛事情を逆手にとって、『時には手紙で』『ラブレターでも食らえ!』『ここ一番は…』みたいな曲を作ってほしい…とか思ったりしてる。なんか、そっち視点のやつが聴きたい…かな?
ま、そういう意味でも、この『既読スルー』ってのは、曲の平凡さも含めて、2回目の視聴は 無いな…無い。
なんか、小学校低学年の時、 ばあちゃんに言われてた言葉…
”ええか、電話ってな…それ自体、相手の時間を奪うことになるんやで。ちゃっちゃと済ませ~”
ってのを思い出していたよ。
『既読スルー』…そんなに好きな方の曲じゃない。

『君はどうして?』
曲の流れ自体にドラマ性を全く感じない曲。印象薄~~く、たぶん、10分後には、メロディー等…もう忘れている曲だと思う。
ところで、チラッ! … 作曲 & 編曲者のトコに書いてある名前を見て驚いた。
後藤次利?! え? あの? まさか、同姓同名じゃないよね? じゃ、これ 言わせてもらおう…
“こっちの才能は、ずいぶん…枯渇したな“…と。
いや~”時代に取り残された感” すごいな…と。
でも、僕だったらどうするか? とかも…ちょっと考えたりしてみた。
実は、実験的に、“入れ替えたい部分“ってのがあったりするよ。
それは、文節のセンテンス…締めの部分の表現の仕方,処理の仕方だ。それを、とりあえず、全て 逆にしてみたい。とりあえず…ね。
まあ、“伸ばし(部分)“を“止め気味“に、“止め(部分)“を“伸ばし“に…ってことだ。とりあえず、それが目立つ箇所…だけでもいい。
具体的にいうと、例えば、
“君はどうして~~“の「て~~」の伸ばしの部分を (少し…可愛らし余韻のこしの)「てェン」に変更。つまり、“君はどうしてェン“…みたいなね。で、他の同パターンも全て…同様に変える。例えば…ね。
そして、その代わりに、
“しょうじょ“は、“しょうじょ~~“
“好きだ“は、“好きだ~~“
つまり、“止め“は、“伸ばし“に変更してみたい。
まあ、実験的ではあるけど、もう根本的に変えてみたくなったんだ。解体 & 大改造してみたくなったんだよね~この曲を。さて、どうなるか? これ、わかんないけど、試してはみたいな。
それに、なんか~ 今のままだと、その緩急強弱が、逆に、そのダサさを より増幅させてるような感じがしてね~。アカン!この曲!と思った。
あと、“君はどうして?“…って、いや、“どうして?“じゃないような気がしてね…先に来る感情はね…違うと思う。
やっぱ、この歌詞の中盤に出てくる “(君は)いつから“や、“何かあったの?“や、“いつのまにか“の方だと思うんだよなぁ~。
とにかく、“どうして?“は、その後…だと思う。
なんか、単純に、 “どうして?“が、うるさ過ぎると感じちゃったよ。

『桜、みんなで食べた』
まずは、曲のイントロ出だしを聴いて思った…
“なんか、福山雅治の『HELLO』みたいだな“と。ま、そりゃいいか。
ところで、これは、小学校の最後? 中学校の最後? 高校の最後? まあ、それによって、若干違ってくるとは 思うんだけど…でも。よし! ここは、中を取って、中学校の最後…「中学時代」ということにしよう。そう仮設定しよう。
つまり、中学3年生の3月。卒業式が終わって、進路も決まって、高校入学 (&就職)までの間の女の子の気持ちを表現した曲だと仮定した。
たぶん、人生最高のモラトリアム…かな?
僕、この頃の女の子って、ボクたち男子と全然違う感覚で、この瞬間を過ごしてる…とか思っててね。
つまり、男子ってのは、“高校のクラブ…もう参加しときたいな“とか、“新しい自転車…“とか、とにかく、先へ先へ…なんじゃないかと思う。当然、桜なんて見ない見ない。まあ、見たとしても、“はい、キレイキレイ。ま、いつか懐かしくなるだろ~“ぐらいなんだと思うんだ…あの頃は。正直、15秒だと思う。
でも、”女の子”って生き物は、違う。
もちろん、先に先に、前に前に…って思いもあるだろうけど、それと同時に…なんというか、“気持ちをそこに置いてく“というか、そういう部分も…あるというか、なんか、儀式のようなものが、より多いというか…。とにかく、そういうのが、男子との違いなんじゃないか?と思ってる。
で、この曲は、そのグループヴァージョン。そして、それぞれの気持ちを表現したものだと思っているんだ。
だから、“桜、みんなで食べた“のは、儀式の一部であり、想い出の共有。男子には、あんまり無い感覚…。
また、「やがて 散ってしまったら 遠い青春」っていうのは、“そこで、1回…人生を終わる“ ということだと思ってる。1度、ちゃんと終わってから、それぞれ、先に進もう…ということなんじゃないのかな?
そして、桜が、“みんな散ってしまう“頃には、間違いなく、あの時、それを一緒に食べたみんなも、それぞれ、完全に散ってしまってるわけで…。
”女の子”ってのは、段階を踏んで、「中学時代」という青春が完結 & 完成していくのだと思う。「遠い存在」としての一区切り。
で、それを踏まえた上で、新たに、よし!次の未来へ!というわけだ。
僕は、それが、女の子なんだと思う。
そして、この曲の核になっている部分…。
で、この曲ラストの何とも中途半端な音具合(ちょっと浮いたような伸ばしの音)で、人生単位…「to be continue」を表現しているのだと…。
編曲については、アコギとエレキとシンセの使い方のバランスが、とても良く、大人数による歌が加わっても、非常に聴きやすい感じのレベルに、まずは、仕上がっていると思う。
シンプルな(おかずを入れ過ぎていない)リズムセクションの質も含めて、とにかく、バランスがいいな…と。
だから、曲後半の 音が薄~くなるインターバル部分も 全体の印象としては、“ぽわんぽわん“の無重力状態の雰囲気は壊すことなく、ちゃんと残しながらも、曲自体のエネルギーは、地下のマグマよろしく、しっかりキープ出来てる。そして、数小節後、元の状態に戻った時、曲全体のパワーは、1.5倍になっているという計算づくし。
あれは、編曲…楽器の使い方のバランスがいいからだと思うよ。
あれ、ダメダメ編曲だとね、そういう場面で、聴いてるこっちも1回休憩しちゃったりするのよね~。まさに、ストップ!& 完全休憩。そこに、マグマは存在しない、感じない。
だけど、もう、”(歌が)なんか、走ってるな…忙しそうだな…せかせかしてるな“って感じてしまう曲って、すご~く多いからさ~。
でも、今回のは、良く出来てる。HKTの子の歌声も、“ぽわんぽわん“の雰囲気と マグマな感じと 直後の“来た来た来たー!“が、その場面では、じゅうぶんに感じられた。いい出来、いい出来…。
『桜、みんなで食べた』は、この3曲の中で ダントツ…完成度の高い曲だと思ったよ。
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