カワイイは海外で魅力がない? AKB48は三次元カワイイ文化輸出の実験?(KC)
10月17日朝日新聞文化欄、韓流についての特集記事の中で、エコノミスト伊藤洋一氏が次の趣旨で論じている。
タイトル:魅力磨くのも産業政策
韓流ブームは、日本文化の価値基準が「カワイイ」にあることと無関係ではない。
テレビ局が若者相手に「カワイイ」芸能人や文化ばかり生んできたから、従来ターゲットでなかった層を掘り起こして成功したのが韓流。
K-POPの歌手は、体が大きく、鍛え上げた肉体、見事な脚線美。実力があり、セクシー。
カワイイだけの日本の芸能人とは違う。対抗できるのは安室奈美恵くらいだろう。
韓流を海外に売り出すのも国家の産業戦略。
日本の芸能界には国際戦略がない。
産業界は「国内だけでは食べられない」と気付き始めた。
芸能界もいずれ同じ問題に直面する。
その時「カワイイ」というは一つの文化だが、それだけでは世界に通用しないことに気がつくだろう。
感想:15年前だったら普通の意見。現在は、化石のような意見。ひょっとして非常識なエコノミストがいることを世に知らしめるために朝日新聞が載せた? そう感じる、私の感覚が、アイドルというカワイイ文化にどっぷり浸かっていて、エコノミストの巨視的な視点をもっていないのか。そうは思えないけど。
まず、経済学の教科書は、他に先行された市場で勝つには、より高い性能か、同等の性能で安いコストが必要と教える。
日本の芸能が、グローバル標準(実力・セクシー)で認められる魅力を磨く努力をしても、上回ることができるのか。疑問。芸能は甘いものではない。無理と考えるべき。
そして、現実に起こっていることは、カワイイ文化であるアニメが先行し、声優が続き、アイドルが世界市場で注目されているのではないか。
納豆は納豆のまま輸出した方がいいというたとえで、アイドルはアイドルのまま海外で見せる方が、珍しがられるからよい、と秋元康は論じており、伊藤洋一の主張より、ずっと説得力がある。
靴を売る商人が、人々が裸足で生活する国に行って、
「この国には、靴をはく習慣がありません」と商売をしないで帰った営業マンと、
「この国の国民が靴をはくようになったら、大量の靴が売れます」とビジネスチャンスととらえた営業マンを比較し、マーケットを作るには、新しい発想が必要だ
という対照が、経済学の教科書に出てくる。
「この国では韓流が流行っていて、実力とセクシーという(既存の)魅力がない日本の芸能人は売れません」という発想の伊藤洋一と、
「この国の国民は、下手くそな歌と、未熟な踊りを(一生懸命)見せるアイドル(納豆)を見たことないから、新鮮に映るはずだ」という発想の秋元康との対照は、経済学の教科書に載せてもよい好例だろう。
AKB48が海外で売れるか、JKT48がイスラム文化圏で成功するか、TPE48が親日本の台湾で順調に勝つか、
海外で納豆を食べさせようと発想した秋元康が、納豆を売って儲けたわけではない。
しかし、納豆が売れそうな雰囲気は、日本経済を、文化に漂っているではないか。
納豆が売れなかったら、次のマーケットに売りに行けばよい。
エコノミストのくせに、今の市場を感じ取っていないとは、古風である。基礎知識に欠けるとそしられてもやむを得ない。
翌日18日、制服向上委員会橋本美香の下で、元通産省の岸博之は次のように論じている。
AKB48は参加性や共感性を大事にする世代をコアファンに設定したビジネス構成が画期的。
少なくとも見た目には、プロディーサーに仕込まれたアイドルではなく、ファンが育てることが中心。
もう一つ、文化面でのイノベーションも見逃せません。
統一コスチュームと没個性を特徴とする新たなアイドルフォーマットととらえることができます。
個性あふれるメンバーが集まっているわけではないのです。
こう考えると、AKBの展開はアニメや漫画の社会における定着、海外進出の過程に似ているとも言えます。
アニメや漫画は、実写と比べるとデフォルメされた記号的表現ですが、時間が経つにつれて社会に定着し、海外では「日本的かわいいフォーマット」になった。
AKB48のジャカルタ・台北での姉妹グループは、まさに、新たな日本製アイドルフォーマットの輸出です。
二次元の世界で成功したものが、アイドルという三次元でも結果を出せるか。日本のサブカルチャーの実験なのです。
感想:
AKB48が没個性かは、議論の余地がある。これだけの人数がいるのに、新しいメンバーを次から次へと覚えることができるのは、メンバー一人一人が個性的だからと感じる。
しかし、カワイイ文化はアニメで既に成功している、アイドルはまだ、と言う点が、私の経済感覚・文化感覚はこれに近い。伊藤洋一の論を読んで、あれ?あれ?あれ?という感覚に襲われた直後だったので、安心した。
KC
10月17日朝日新聞文化欄、韓流についての特集記事の中で、エコノミスト伊藤洋一氏が次の趣旨で論じている。
タイトル:魅力磨くのも産業政策
韓流ブームは、日本文化の価値基準が「カワイイ」にあることと無関係ではない。
テレビ局が若者相手に「カワイイ」芸能人や文化ばかり生んできたから、従来ターゲットでなかった層を掘り起こして成功したのが韓流。
K-POPの歌手は、体が大きく、鍛え上げた肉体、見事な脚線美。実力があり、セクシー。
カワイイだけの日本の芸能人とは違う。対抗できるのは安室奈美恵くらいだろう。
韓流を海外に売り出すのも国家の産業戦略。
日本の芸能界には国際戦略がない。
産業界は「国内だけでは食べられない」と気付き始めた。
芸能界もいずれ同じ問題に直面する。
その時「カワイイ」というは一つの文化だが、それだけでは世界に通用しないことに気がつくだろう。
感想:15年前だったら普通の意見。現在は、化石のような意見。ひょっとして非常識なエコノミストがいることを世に知らしめるために朝日新聞が載せた? そう感じる、私の感覚が、アイドルというカワイイ文化にどっぷり浸かっていて、エコノミストの巨視的な視点をもっていないのか。そうは思えないけど。
まず、経済学の教科書は、他に先行された市場で勝つには、より高い性能か、同等の性能で安いコストが必要と教える。
日本の芸能が、グローバル標準(実力・セクシー)で認められる魅力を磨く努力をしても、上回ることができるのか。疑問。芸能は甘いものではない。無理と考えるべき。
そして、現実に起こっていることは、カワイイ文化であるアニメが先行し、声優が続き、アイドルが世界市場で注目されているのではないか。
納豆は納豆のまま輸出した方がいいというたとえで、アイドルはアイドルのまま海外で見せる方が、珍しがられるからよい、と秋元康は論じており、伊藤洋一の主張より、ずっと説得力がある。
靴を売る商人が、人々が裸足で生活する国に行って、
「この国には、靴をはく習慣がありません」と商売をしないで帰った営業マンと、
「この国の国民が靴をはくようになったら、大量の靴が売れます」とビジネスチャンスととらえた営業マンを比較し、マーケットを作るには、新しい発想が必要だ
という対照が、経済学の教科書に出てくる。
「この国では韓流が流行っていて、実力とセクシーという(既存の)魅力がない日本の芸能人は売れません」という発想の伊藤洋一と、
「この国の国民は、下手くそな歌と、未熟な踊りを(一生懸命)見せるアイドル(納豆)を見たことないから、新鮮に映るはずだ」という発想の秋元康との対照は、経済学の教科書に載せてもよい好例だろう。
AKB48が海外で売れるか、JKT48がイスラム文化圏で成功するか、TPE48が親日本の台湾で順調に勝つか、
海外で納豆を食べさせようと発想した秋元康が、納豆を売って儲けたわけではない。
しかし、納豆が売れそうな雰囲気は、日本経済を、文化に漂っているではないか。
納豆が売れなかったら、次のマーケットに売りに行けばよい。
エコノミストのくせに、今の市場を感じ取っていないとは、古風である。基礎知識に欠けるとそしられてもやむを得ない。
翌日18日、制服向上委員会橋本美香の下で、元通産省の岸博之は次のように論じている。
AKB48は参加性や共感性を大事にする世代をコアファンに設定したビジネス構成が画期的。
少なくとも見た目には、プロディーサーに仕込まれたアイドルではなく、ファンが育てることが中心。
もう一つ、文化面でのイノベーションも見逃せません。
統一コスチュームと没個性を特徴とする新たなアイドルフォーマットととらえることができます。
個性あふれるメンバーが集まっているわけではないのです。
こう考えると、AKBの展開はアニメや漫画の社会における定着、海外進出の過程に似ているとも言えます。
アニメや漫画は、実写と比べるとデフォルメされた記号的表現ですが、時間が経つにつれて社会に定着し、海外では「日本的かわいいフォーマット」になった。
AKB48のジャカルタ・台北での姉妹グループは、まさに、新たな日本製アイドルフォーマットの輸出です。
二次元の世界で成功したものが、アイドルという三次元でも結果を出せるか。日本のサブカルチャーの実験なのです。
感想:
AKB48が没個性かは、議論の余地がある。これだけの人数がいるのに、新しいメンバーを次から次へと覚えることができるのは、メンバー一人一人が個性的だからと感じる。
しかし、カワイイ文化はアニメで既に成功している、アイドルはまだ、と言う点が、私の経済感覚・文化感覚はこれに近い。伊藤洋一の論を読んで、あれ?あれ?あれ?という感覚に襲われた直後だったので、安心した。
KC