この月になると、日もだんだん短く、
起床時間の5時は、まだ暗い、
6時スタートに遅れないよう、禅堂につくころには
すっかり明けきっています。
早朝から珍しく強雨。
午前6時の老師が撞かれる「梵鐘の音」と、
「般若心経の読経」が聞こえる中、
参加者は既に座についているのです。
今日はお初の女性を加えて7名。
老師も席に付かれ、小鐘3つは坐禅スタート。
初参加の女性は、別の場所で5年の経験者とも
それでも座中の老師は丁寧。
雨だれの大きな音のみ聞こえる禅堂の中
「いつも申すことでありますが」から
老師の座中のお話が始まった。
道元禅師様お勧めの坐禅のあり方とは、
身を調え座る「正身端坐」が坐禅のスタート。
姿勢が入口でありゴールでも有るのです。
そのあり方は「鼻と臍を対せしめんことを要す」
すなわち鼻筋とおへそを一直線になるよう背筋を伸ばす。
「舌上のあざとにかけて、唇歯相つけ、目は須らく常に開くべし」
すなわち、目はいつも開いている。
息は鼻からしか出入りしない。
すなわち「身を調える」それが正身端坐、これがゴールでも有るのです。
身が整っていないと
息を整えることはできない。
息を整えることが2つ目のありよう「調息」。
その次は「意識のもちかた」身の調え・息の調えに次ぐ要素。
「私というありようは、そのこと(調身・調息)に集中する」
そのときのの導きは、
「回向返照の退歩を学すべし」
今も、外の雨だれの音は大きい、
「今やるべきことを、こなしているか」油断すると
外の音が気になるもの、
たとえば、師が「何か音がするようですが?」このとき、貴方はどう反応するか
「あの音は雨だれの音ですよ」と弟子が言う、
その答えを聞いた座中の師は、「おっと危ない、もう少しで自分を忘れるようであった」と。
こんな逸話が中国の古事に、師弟の話しとして有ったという。
「観音流れを返して承知を放す」
坐禅をする人は、修業僧などと同じく、
品格・人格を磨くということでは、
このとき知識を放すことであり、自分の知識を労するのは駄目である、
ここでまた「回向返照の退歩を学すべし」
時に省みることは、道元禅師様の薦める坐禅です。
と、結ばれた。