tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

そして、市内中心部本町通りにも「三色短冊」なびく。

2016年02月22日 | 当地の催事・行事など

昨日から始まった、「三色短冊」飾り、市内中心部で有り

「勝山左義長」本番にも一番にぎわう「本町どおり」にも。

風にたなびきました。

「勝山左義長やぐら庫」も一週間待ち・・・。

一番右シャッターが本町の「左義長やぐら庫」

左沢区の「左義長やぐら庫」

 

 

 

そもそも「勝山左義長」祭りは、幕藩地代からの伝承の祭り、

基本、神事行事なのです。

祀りのご神体は「歳徳神(としとくしん)」その歳の初めに祭る神様、

五穀豊穣を願う神様、この前に「生木の松飾り」があり

ここに「三角形の火打ち袋」を吊り下げる、

すなわち「火防の神様」をも祀っています。

 

勝山は、幕藩時代から数回の大火に襲われ、

明治29年には旧町の80%が消失するなど、

火防を願う思いが強くなり

「左義長」祭りも盛大になってきたとも云われています。

 

我が家も、殿様の移封についてきて当てがわれた藩士屋敷(家中)、

このとき全消失、現在の土地に移ったようです。

市内の寺院もほぼ全焼、今市内の随所に立てられている寺院は

このときに消失し再建されたものです。

 

左義長櫓の上で、お酒に酔った若い衆が、

「女の肌襦袢を着て、芸者(昭和30年代には30人も居た)の三味に合わせて躍りまくる」

というもの、このため奇祭とも。

お殿様にも認められた無礼講のお祭り。

 今は、芸者衆の変わりにPTAのお母さんたち、お酒に酔った若い衆は

小中学生の子供達に代わっています。

 

今、市内の小学校では、櫓の無い町(区)の子供達のためと同時に

伝承行事の伝承のため、学校行事として実施、

本番前に毎年「子供左義長」が実施されいています。

この町の子供達はどの子でも左義長太鼓がたたけるようです。

いよいよの本番までの体勢つくりは万全。

 

市内中心部には、小笠原藩主菩提寺、

当時から力のあった商人は、今も「炭や・味噌や・ぬしや・まつや」など屋号

で呼ばれる習慣もある、

こうした商人の自宅は立派で健在、建築物に興味のかたがたにもお役に立つかも。

 

 

コメント (2)
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