当地の日の出は、午前6時。
禅堂にまで響く、老師の撞かれる6時の梵鐘。
静寂の中、般若心経の読経まではっきり。
すでに全員坐についている中で、「月光の曲」がかかる。
小鐘3つが鳴るまでは、準備時間、本日始めての参加者もいらして、
意識された老師の話が始まる。
時は秋、秋冷えの空気は、寒くなく暑くも無く、この空気をお腹いっぱいに吸い込む。
吸う時は太く短く、吐く息は細く長く、これを意識して繰り返してください。
繰り返しているうちに、体全体が、少し暖かく感じてきます。
過日の「皆既月食」は、太陽・月・地球の三位一体の光の共演が作り上げたもの。
「天の三光」という言葉があります、星・月・地球、これを人間が両手で支える姿
それが漢字の「光」と言う字の語源になっています。
われわれは、「天の三光」を支えて人生を過ごしているのです。
何の報酬も求めず、働き続けるのが「呼吸」です。
人間は、この存在の中で、命の存続をさせています。
静に繰り返す呼吸活動、それが生きることであり、止めれば死ぬことになります。
その姿が「呼吸」であり、今、皆様が坐禅をしつつその活動をしているのです。
吸う時は、太く短く、
静かに細く長く吐き出す、
背筋を伸ばし、あごを引く、目は開いて前方に落とす、あけた目は物を見ていて、
見ていない、物質を見る目でなく、
心の眼で、己の姿勢、そして呼吸、思いの3つを意識して続けてください。
意識がよそへ行くことが多々あります、その時はこの3つを引き戻せばよいのです。
「坐禅をするとどんなよいことが有るのですか」と、質問を受けます、
坐禅を始めた人は、この疑問は当然だと思います。
ただし、この答えは、他人の言葉では答えられません。
坐禅を続けた己がいつか「ハッと思うとき」これが、答えになるのです。
坐禅を繰り返して続けると、静寂の大宇宙の空間に自分が吸い込まれていくことを感じるときが、きっと来ます。
自分の生きる中で色々な課題・問題など見つめるとき、その解決策を導いてくれるもの、
それが坐禅をする効用です。
それまで、一人一人がこうした思いまでの過程を味わう、
それがこの時間なのです。
座る姿勢・呼吸・見詰める心を意識して続けてください。
そして小鐘3つ、本式坐禅の始まりです。
(長い前置きの老師の話は熱が入り、その後の鐘1つの終わりまで
静寂の30分、カラス・雀・鳶などの野鳥の鳴き声が良く聞こえる時間でした。)
今日の禅堂のしつらえは、
「聖僧様(文殊菩薩)」を中心に座し、
両方の柱にお軸2幅。このお軸は、宝慶寺52世恵光師の墨蹟。
右側は、「時節因縁佛性」
左側は、「蜜々修得得飽」
竹筆で書かれた、印象に残る筆跡。
今年50回忌、その引き出物に出されたお軸2幅。
行事も重なり無欠席者も多く、7名の参加。
いつもの振る舞い「朝粥」の美味しいこと、
坐後の時間だけに格別。