新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ガダルカナル島はこんなところにあった

2018年01月07日 | 日記

 ガダルカナル島はこんなところにあったのか。地図上の左上につけた付箋部分がその島になる。オーストラリアの北東、インドネシアの東、パプアニューギニアに近い。
 1960年代に上映されていたミュージカル映画「南太平洋」の原作は、ジェームズ・ミッチェナーの処女作であり、出世作でもあった。舞台は南太平洋に浮かぶノーフォーク島、エファーテ島など。いずれもガナルカナル島から近い。太平洋戦争で兵役についたアメリカの軍人と看護婦のロマンスを叙情豊かに描写している。
 ときは太平洋戦争のさなかだった。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドら連合国が戦っていた敵国は、なんと日本だった。小説のなかでは軽蔑をこめてJapと呼ばれている。激戦地になったガナルカナル島の下にニューカレドニアのヌメア、さらにその下にノーフォーク島がある。参考までに記したが、右端はタヒチ、拡大鏡を置いたあたりがハワイ諸島だ。
 ガダルカナル島の名前はよく聞いていたが、こんなにも日本から離れていたとは思っていなかった。これほど遠くまで日本軍は戦闘機を派遣し、占領した暁には、ここに飛行場をつくり、さらにその勢力範囲を広げ、オーストラリア、ニュージーランドを傘下に治めようとしていたのではなかったか。
 すでに朝鮮半島と中国東北部の満州を自国の領土にしていた。台湾、ベトナム、インドネシアに攻め入り、南太平洋の島々をもわが国の領土にしようと攻撃をくり返していた。なんと浅ましいことか。大東亜共栄圏ということばがあった。東アジア全域を傘下におさめ、日本が統治しようという構想だったと理解している。
 いま振り返るとむちゃくちゃなことを、日本の軍部や政治家たちが考えていたことがわかる。領土に対する野心は際限がない。むかしのアレクサンドロス大王のようなものだ。連戦連勝を続けるとおごりが出てくる。国内の窮乏を顧みず、あるいは国内の窮乏を救う手段を海外に求めようとする。
「南太平洋」(原題:Tales of the South Pacific)。南太平洋上の島での淡いロマンスに酔いしれようと読み始めたこの本は、ペーパーバックで350ページほどの、ミッチェナーにしてはめずらしい短編に属する。軽い気持ちで読み始めたこの短編に、またまた旧日本軍の行動の浅ましさを教えられてしまった。








年賀状あれこれ

2018年01月05日 | 日記

 もはやはがきで連絡しあう時代ではないのだから、年賀状は不要だと思うのだが、届いた年賀状をそのままにして返礼しないのは失礼かと思い、返事を書いている。そこで気づいたことをいくつか。
 きょうラジオでいっていた。元旦というのは元日の朝を意味する。元日でも昼以後になるともう元旦は使えない、と。少なくとも新明解国語辞典の語釈はそうなっているという。手元にある広辞苑第5版では、第一義的には元日の朝だが、いちおう元日全体をも意味する用法もあるようだ。すこしほっとした。しかし正月2日以降に年賀状の返事を書くのに元旦と書いてはいけないことはたしかなようだ。旦の字が朝を意味することはおぼえておこう。そういえば近所の人で旦子と書いて「あさこ」と読む人がいた。
 つぎに、わが家の住所はこの30年あまり変わっていないのだが、住居表示は大きく変わってきた。それも段階的に。津久井郡藤野町という地名はもはや存在しない。それでも相変わらず津久井郡藤野町の宛先を書いた年賀状が届く。相模原市藤野町といっていた時期もあった。年賀状のなかにはこの宛先を書いたものもまだある。人の住所にあまり関心がないのか、それとも義理でしかたなく年賀状をくれているようで、これならもらわない方がまし、とさえいえる。字下駒地を番地の前につけてくるのは、わが家を建築した建築業者で、これはこれで希少価値がある。みすず建設という会社、こちらから年賀状を出したことも、年賀状をもらって返事を出したことも一度もない。それでも30数年、一貫して年賀状が届く。会社ではいま耐震構造に、また断熱構造に力を入れていることが書いてあるので、いずれまた改築の折りに注文が来ることを期待しているのだろう。30数年まったくガタが来ない家屋を造ってくれ、いまだに連絡をくれるこの建設会社には感謝している。
 郵便番号も変わった。はじめの3桁が199から229になり、いまは252になっている。古い番号でも読みとって、きちんと現住所へ配達してくれる郵便局の人たち、ご苦労様です。
 これからは、めったにあうことのない人たちに「まだ生きてますよ」というしるしの年賀状だけは書くことにしよう。





RhodesiaはRhodesの国

2018年01月04日 | 日記

 Rhodesiaはローデシアとよみ、現在ジンバブエになっているアフリカ南部地域の国名だった。これがRhodesすなわちローズという人名に由来するのではないかと気になって調べてみた。はたしてそのとおりだった。
 セシル・ローズの名前を聞いたことがあるだろうか。ローズ奨学金をもらってオクスフォード大学で勉強したという学者がいた。この奨学金はセシル・ローズが残した莫大な遺産を元手にして運営されている財団のようだ。
 セシル・ローズは1870年代から80年代にかけて8年間もオクスフォード大学オリエル・カレッジに在籍した。授業に現れては消える不思議な学生だった。父は牧師だった。セシルは9人いる息子のひとりだった。イギリスでは芽が出ないとみた父は、セシルを南アフリカ、ケープタウン行きの船に乗せた。セシルは船のなかで出会う人たちに、アフリカの地図を広げて熱く語りかけた。アフリカ全土をイギリスの植民地にしたい、鉱物資源を掘削してイギリスをもっと豊かにしたい、アフリカ全土に鉄道網を張りめぐらせたい、などと夢を語るのだった。とくにジンバブエ地域の金鉱に関心を示していた。
 ただ変わっていた点は極端な人種差別主義者であり、白人が政治の実権を握ってこそこれらの夢が実現すると考えていた。また女性に興味を示さなかった。みずからが生涯、独身をとおしただけでなく、自分のもとで働く人たちにも妻帯を許さなかった。妻がいると足手まといになる、女性にうつつをぬかす場合ではないと考えていたようだ。
 セシル・ローズは南アフリカでの金鉱掘削には成功しなかったものの、数々の事業を手がけ、莫大な財産を築く。その資力を用いてケープタウンの議員、首相にまで上りつめる。
 1960年代から70年代にかけてローデシアという国が存在したが、これはローズが死んで60年も経ってからのことで、後世の人がローズを偲んでつけた国名のようだ。ローマ人の国をロマニア(Romania)、すなわちルーマニアというようにローズの国をローデシアと名づけた。ただし英語でRhodesからRhodesiaを導くのは容易だが、日本語のローズからローデシアを想像することは不可能だろう。英語で文章を読んでいたからこそ、ローズとローデシアの関係に思い当たったのだった。
 先に述べたようにローデシアは1980年に黒人政権に移り、白人の名前を捨て、むかしのジンバブエに国名を戻している。


東京のなかの赤穂

2018年01月03日 | 日記

 大晦日、港区高輪の泉岳寺を訪れた。赤穂四十七士の墓がある。古くから浅野家の菩提寺だった。主君である浅野内匠頭が切腹し、ここに眠っていた。大石内蔵助以下四十七人の義士たち(泉岳寺では義士といい、浪士とはいわない)が本所松坂町の吉良邸へ討ち入り、吉良の首をとった。そのあと泉岳寺まで10キロの道のりを3時間かけて歩いた。
 吉良の首を洗い、浅野内匠頭の墓前に報告した。その首を洗った井戸が「首洗い井戸」として保存されている。これはグロテスクだ。白い布に包んで持ち帰った首を井戸で洗い、主君の墓前に備えたなど想像するとぞっとする。また隣に新たに建設された赤穂義士記念館には「首請け状」なるものが展示してある。赤穂の義士たちは上野介の首を、用が済んでから吉良家に返還した。吉良家は首を「たしかに受けとった」ことを書類にして赤穂側に渡した。これまたグロテスクだ。
 四十七士の墓前にはたくさんの線香が煙を上げている。堀部安兵衛の墓だけは酒が供えてあり、その人気の高さを表していた。けんか安兵衛などといわれ、血気盛んな若者に描かれることがおおい。最近観たテレビドラマ「大忠臣蔵」の再放送では、20代半ばの渡哲也が演じていた。昔むかし泉岳寺を訪問したときは、矢頭右衛門七の墓だけに花が供えてあった。NHK大河ドラマで「赤穂浪士」が1年間にわたって放映されたころで、当時の若手人気歌手が右衛門七役をしたからだったに違いない。
 泉岳寺前だったか境内だったか、みやげ物店に塩味饅頭がおいてあった。赤穂からその日に入荷した「かん川」製のものという説明が店頭に貼りつけてあった。塩味饅頭を製造販売する店はいくつかできているが、かん川が老舗とされている。赤穂の実家へ帰るたび、両親が「しおみを土産にもっていくか」といっていた。私はいつも断っていた。いまどき饅頭なんて、と思ったものだった。しかしこれも赤穂を代表する貴重な品だったのだ。





炭を売っています

2018年01月02日 | 日記

新年が明けました。本年もこのブログのご愛読をどうぞよろしくお願い申しあげます。

炭焼きは休業中ですが、炭の販売はしています。
  クヌギ・コナラの炭 3キロ・・500円
  雑木の炭      3キロ・・300円
  屑炭         3キロ・・100円
対面販売のみです。通信販売はしていません。くわしくは「NPOふじの森のがるでんセンター」へお問い合わせください。

家の庭に12月上旬、ロウバイが開きはじめました。いま満開に近い状態です。