新・日曜炭焼き人の日記

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RhodesiaはRhodesの国

2018年01月04日 | 日記

 Rhodesiaはローデシアとよみ、現在ジンバブエになっているアフリカ南部地域の国名だった。これがRhodesすなわちローズという人名に由来するのではないかと気になって調べてみた。はたしてそのとおりだった。
 セシル・ローズの名前を聞いたことがあるだろうか。ローズ奨学金をもらってオクスフォード大学で勉強したという学者がいた。この奨学金はセシル・ローズが残した莫大な遺産を元手にして運営されている財団のようだ。
 セシル・ローズは1870年代から80年代にかけて8年間もオクスフォード大学オリエル・カレッジに在籍した。授業に現れては消える不思議な学生だった。父は牧師だった。セシルは9人いる息子のひとりだった。イギリスでは芽が出ないとみた父は、セシルを南アフリカ、ケープタウン行きの船に乗せた。セシルは船のなかで出会う人たちに、アフリカの地図を広げて熱く語りかけた。アフリカ全土をイギリスの植民地にしたい、鉱物資源を掘削してイギリスをもっと豊かにしたい、アフリカ全土に鉄道網を張りめぐらせたい、などと夢を語るのだった。とくにジンバブエ地域の金鉱に関心を示していた。
 ただ変わっていた点は極端な人種差別主義者であり、白人が政治の実権を握ってこそこれらの夢が実現すると考えていた。また女性に興味を示さなかった。みずからが生涯、独身をとおしただけでなく、自分のもとで働く人たちにも妻帯を許さなかった。妻がいると足手まといになる、女性にうつつをぬかす場合ではないと考えていたようだ。
 セシル・ローズは南アフリカでの金鉱掘削には成功しなかったものの、数々の事業を手がけ、莫大な財産を築く。その資力を用いてケープタウンの議員、首相にまで上りつめる。
 1960年代から70年代にかけてローデシアという国が存在したが、これはローズが死んで60年も経ってからのことで、後世の人がローズを偲んでつけた国名のようだ。ローマ人の国をロマニア(Romania)、すなわちルーマニアというようにローズの国をローデシアと名づけた。ただし英語でRhodesからRhodesiaを導くのは容易だが、日本語のローズからローデシアを想像することは不可能だろう。英語で文章を読んでいたからこそ、ローズとローデシアの関係に思い当たったのだった。
 先に述べたようにローデシアは1980年に黒人政権に移り、白人の名前を捨て、むかしのジンバブエに国名を戻している。


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