新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

東京のなかの赤穂

2018年01月03日 | 日記

 大晦日、港区高輪の泉岳寺を訪れた。赤穂四十七士の墓がある。古くから浅野家の菩提寺だった。主君である浅野内匠頭が切腹し、ここに眠っていた。大石内蔵助以下四十七人の義士たち(泉岳寺では義士といい、浪士とはいわない)が本所松坂町の吉良邸へ討ち入り、吉良の首をとった。そのあと泉岳寺まで10キロの道のりを3時間かけて歩いた。
 吉良の首を洗い、浅野内匠頭の墓前に報告した。その首を洗った井戸が「首洗い井戸」として保存されている。これはグロテスクだ。白い布に包んで持ち帰った首を井戸で洗い、主君の墓前に備えたなど想像するとぞっとする。また隣に新たに建設された赤穂義士記念館には「首請け状」なるものが展示してある。赤穂の義士たちは上野介の首を、用が済んでから吉良家に返還した。吉良家は首を「たしかに受けとった」ことを書類にして赤穂側に渡した。これまたグロテスクだ。
 四十七士の墓前にはたくさんの線香が煙を上げている。堀部安兵衛の墓だけは酒が供えてあり、その人気の高さを表していた。けんか安兵衛などといわれ、血気盛んな若者に描かれることがおおい。最近観たテレビドラマ「大忠臣蔵」の再放送では、20代半ばの渡哲也が演じていた。昔むかし泉岳寺を訪問したときは、矢頭右衛門七の墓だけに花が供えてあった。NHK大河ドラマで「赤穂浪士」が1年間にわたって放映されたころで、当時の若手人気歌手が右衛門七役をしたからだったに違いない。
 泉岳寺前だったか境内だったか、みやげ物店に塩味饅頭がおいてあった。赤穂からその日に入荷した「かん川」製のものという説明が店頭に貼りつけてあった。塩味饅頭を製造販売する店はいくつかできているが、かん川が老舗とされている。赤穂の実家へ帰るたび、両親が「しおみを土産にもっていくか」といっていた。私はいつも断っていた。いまどき饅頭なんて、と思ったものだった。しかしこれも赤穂を代表する貴重な品だったのだ。





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