新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アキレスは幸運だった

2016年01月27日 | 日記

「ウズ・ルジアダス」は10歌まであり、その第10歌の最後の連は次の句で終わっている。

わがひごろ敬愛してやまぬムーサは
かならず陛下を海内に歌い上げ
アキレスの幸運をうらやむことなき
アレクサンドロスを陛下に見るでしょう(小林・池上・岡村訳)

 陛下とは詩人カモンイスがこの叙事詩を捧げた当時のポルトガル国王セバスチャンのことであり、ムーサは芸術の神をいう。
 アキレウス(アキレス)はギリシャの英雄で数々の武勲をたてながらトロイ戦争で命を落とした。だがその武勲はホメロスによって歌い上げられたためにその名を今に残している。ギリシャの王の臣下にすぎないアキレウスはもしホメロスがいなかったら、もしホメロスがその歌「イーリアス」にアキレウスを登場させなかったら、その名は歴史に残らなかったかもしれない。ホメロスのおかげでアキレウスはその名を残すことができた。日本語では「アキレス腱」にその名が残っている。
 いっぽうアレクサンドロス(アレキサンダー)はどうか。マケドニアの王として登場し、東はインドまで出向いて征服し、一大王国を築き上げたにもかかわらず、その偉業を歌い上げる詩人がいなかったために、その名が世界史の教科書に登場する程度であり、具体的なことがほとんど語られない。アレクサンドロス自身が身をもってその不運を感じていたらしく、「アキレウスの墓前でみずからの不運に涙を流した」といわれる。

「この人のおかげでこの人がある」といえるような二人はそれほどめずらしくない。
 宮本武蔵は私のなかでは吉川英治の作品によってその人物像が定着した。剣の達人として諸国を行脚する武蔵は、伊賀の道場主に果たし合いを申し出る。待合室で待たされる武蔵に道場主から一輪の花が届けられる。その花の茎の切り口を見た武蔵は、みずからの剣で茎を切ってみる。切れない。届けられた花の切り口の鋭さに相手の剣の腕をみせつけられた武蔵は、すごすごとその道場を立ち去った。
 空海は司馬遼太郎が書いた「空海の風景」で心に残っている。さらにもっと私的になるが、「解体新書」を翻訳した前野良沢は、吉村昭の「冬の鷹」に描かれた姿が印象的だった。杉田玄白との共訳とされているが、吉村の解釈は前野が学者的態度で翻訳に専念し、杉田が出版にまつわる雑事をとりしきったというものだった。
 大石内蔵助は仮名手本忠臣蔵で有名になり、その後くり返し映画化、テレビドラマ化され、みずからが仕える主君に忠義を貫く家老として不動の地位を築くにいたっている。これは作家というより脚本が優れていたからその主人公が有名になったものだ。
 地名のなかにも文学作品のおかげで有名になり、観光客を惹きつけているものが多い。伊豆がその最たる例だろう。川端康成が「伊豆の踊子」で伊豆地方を叙情豊かに描きあげた。そして観光客が訪れるようになった。伊豆の名がちょっとしたブランドになり、伊豆市が誕生した。その周辺に伊豆の国市、東伊豆町、西伊豆町、南伊豆町がある。みんなが伊豆を地名のなかに取りこみたがる結果だろう。
 モンゴメリの名前は忘れられても「赤毛のアン」が描く叙情は長く人びとの心に残り、プリンス・エドワード島にはアメリカからのキャンプ客がおおいと聞く。兵庫県北部にある湯村温泉はNHKドラマ「夢千代日記」でその名が知られるようになった。本州最北端にある竜飛岬には歌謡曲「津軽海峡冬景色」の碑がたっている。
 詩、小説、戯曲、歌謡曲、映画、テレビドラマ、脚本など後世に名を残す作品には敬服するしかない。