新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

カモンイス、隻眼の詩人

2015年01月05日 | 日記

 ナザレの海岸でカメラを向ける私にウィンクしていた「彫像」は、右目を完全に閉じていたように記憶する。現存するカモンイスの肖像画は、すべて右目の視力を失ってからのものだが、右目が開いているようでも光沢がない。
 カモンイスが右目を失ったのは22歳ころセウタでモーロ人と戦っていたときだった。セウタとはアフリカ西部北岸のことであり、アラブ勢力すなわちイスラム教徒たちがポルトガル、スペインへ隙あらば入り込もうとしていた。ポルトガル側もレコンキスタの途上にあり、一刻も早くアラブ勢力をたたきつぶしておきたかった。ポルトガル王はたびたびアフリカ北岸へ軍隊を派遣する。そのような戦いの1つにカモンイスが参加したのだった。
 カモンイスは56歳で死亡するまでの24年間を隻眼で過ごし、隻眼で「ウズ・ルジアダス」を書きあげたことになる。



カモンイス、遭難しても原稿救出

2015年01月04日 | 日記
 
 2012年8月ポルトガル、ナザレの海岸を歩いていたとき、道路脇にカモンイスの「彫像」が立っていた。カモンイスはポルトガル人のみならず私たちもよく知っている。よくできた「彫像」だ。白い「彫像」のうしろは白い砂と真っ青な海で、写真のロケーションとしては最高だ。それにしてもこんなところに「彫像」が・・とすこし不思議に思いながらカメラを向けると、なんと片目を閉じてウィンクしている。自分は彫像ではないぞ、と合図を送っているのだった。笑いながらもシャッターをきった。残念ながらそのときカメラの調子が悪くて写真は残っていない。上に載せた写真(左)は、リスボン市内のカモンイス広場にあるカモンイス像。
 カモンイスは1552年友人のけんかの仲裁に入り、国王の馬具職人を傷つけてしまう。しばらく獄舎につながれたのち、兵士としてインドへ行くことを条件に釈放される。罪人を島流しのようにして外国へ行かせることはどこの国でもめずらしくなかった。
 インドに滞在しながらペルシャ湾、マラッカ海峡などへも赴いたようだ。いつも片手にペン、片手に剣を握っていたとされる。1559年メコン河口で乗っていた船が遭難し、「ウズ・ルジアダス」の原稿とともに岸へたどり着いたとされている。そのようすが絵(写真右)になり、いまリスボン国立図書館が発行するすべての出版物のタイトルページに刷り込まれているそうだ。





「2011年から3年 東京電力と木川田」

2015年01月03日 | 日記

 STさんが自費出版された。電力生産によって引き起こされる公害についての記録文集だ。電力公害研究会が出した1970年からのガリ版刷り文書を含め、数多くの記録を1冊にまとめた。
 なかでもタイトルが示すように、あのときあれほどまでに原発の危険性を指摘していたにもかかわらずなぜ手を打たなかったか、なぜ企業本位の儲け主義に走ったのか、を告発している。
 電力生産のこの種の脆弱性はすでに火力発電主流の時代から十分に見えていた。火力発電所が排出する亜硫酸ガス、窒素酸化物、煤塵(ばいじん)の危険性は煙突を高くしただけでなくなるものではない。
 政治との癒着、電力会社内での真実を知らせず、教えずの徹底した社員教育などもうかがえる。一読をおすすめする。

姉妹都市、なぜ兄弟都市といわないのか

2015年01月02日 | 日記

 箱根駅伝往路5区にはドラマがありますね。あのきつい上り坂を昇っていくのですから、当然のことなんでしょうが・・。

 姉妹都市というが兄弟都市とはいわない。なぜか。ここに書くのは私の推量にすぎない。きちんとした証拠はあげられないので、そのつもりで・・。
 日本語の姉妹都市は、英語sister cityからの翻訳だろう。では英語のsister cityはどこから来たか。ポルトガル語を例にとればsister cityはcidade irma(aの上に~がつく)という。ポルトガル語では兄弟をirmao、姉妹をirmaという(いずれもaの上に~がつく)。発音は語尾以外おなじで英語のbrotherとsisterほどの差はない。cidadeが女性名詞だからその後ろにつく形容詞は必然的に女性形になる。
 ヨーロッパの言語を少しでもかじった人なら名詞に性があることを知っている。すべての名詞が男性と女性に恣意的に分かれる。ドイツ語、ラテン語には中性まである。同じ意味の名詞でも言語によって性が異なることがある。ポルトガル語の「海」はo marで男性、フランス語のそれはla merで女性だ。おなじ祖語ラテン語から派生した言語でさえこのように異なる。
 姉妹編、姉妹校なども同類だろう。英語のedition、schoolにあたるポルトガル語は女性名詞だ。
 英語のsister cityがポルトガル語から入ったといっているのではない。ヨーロッパのどこかの言語から入ったものらしいということだ。
 このようなことに関心がある人は少ないようで、ウィキペディアを見ても、最初に姉妹都市になったのはどことどこ、などと歴史をさかのぼってくわしい記述をしているが、なぜ姉妹都市であって兄弟都市といわないのか、という点についてはまったく触れていない。ウィキペディア以外のサイトに私と同意見の記述を見つけたのに力を得て、ここに書いておくことにした。