新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

マイク・ロイコのシカゴ

2020年06月24日 | 日記

 シカゴについての私の知識のほとんどは、マイク・ロイコが書いたものから来ている。ロイコはシカゴ・トリビューン紙専属のコラムニストで、書くコラムは全米の何百という新聞に配信されていた。ジャパン・タイムズ紙には週2回の割合で転載された。いま読んでいる「BOSS/Richard J. Daley of Chicago」は、ロイコが1971年に書いた著作で、処女作でもある。
 きょう紹介するのは、ロイコが1987年8月21日に発表したコラム「ガラス拭きの若者が光を入れてくれた!」から読みとったシカゴの一風景だ。

 朝、起きると前夜の大雨で地下室が水浸しになっている。水を掻き出すのに一汗かいたあと、国税局に収める税金の小切手を切った。いやなことが二つ続き、むしゃくしゃしながら、出勤するため車の運転席についた。家はシカゴ北西部にある。高速道路で一路、中心街「ザ・ループ」へ向かう。オハイオ・ストリート橋が運悪く跳ね上がった。30分待たされた。道路も交差点も日本に比べれば広々しているが、それでも全米3位の大都市で、渋滞がひどい。取材対象との約束の時間が迫っていた。やっと跳ね橋を渡り、クラーク・ストリートの信号まで来た。赤信号で停まった。
 その瞬間、フロントガラスにどこからかピシャッと石けん水が飛んできた。若者が現れ、窓を拭かせてくれという。「なにをいってるんだ、この若造!」とばかり睨みつけ、ワイパーを回して発車した。走りながら、16歳ぐらいの痩せたその若者のことが気になり始めた。自分の息子と同じくらいだ。息子は高給取りの父をもち、なに不自由なく暮らしている。それなのにあの若者は・・。若者の失業率は40パーセントとも50パーセントともいわれる。あの若者はグレることもなく、けなげに働こうとしている。自分ができることをして収入を得ようとしている。車のなかではピーター・ポール・アンド・マリーの「天使のハンマー」がかかっていた。「誰か私に貸してよハンマー、この壁破り、いま進むため・・」。あの若者の家の冷蔵庫をいっぱいにしてやれるぐらいのお金はポケットにある。引き返して窓を拭かせ、5ドル紙幣をやろう。そう決めて、次の角を右折、もう一度右折をくり返し、さっきの信号へ戻った。だが若者は別の交差点へ移ったらしかった。
 シカゴでも有数の高級店舗が並ぶミシガン通りをまっすぐ走り、シカゴ・トリビューン社へつく。リチャード・デイリーがいる市庁舎とは目と鼻の先だ。社屋へ入ると女子職員から「グッモーニング」といわれた。「いやな朝だよ」と返してしまった。洗面所で鏡をのぞくと、そこにはいやな朝の元凶が映っていた。

 マイク・ロイコのベストコラム集で当コラムを読み返しながら、車の足跡を地図でたどってみた。グーグル・マップなら地図のみならず、現地の道路、建物のようすまでうかがえる。便利になった。