新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ミャンマー人には苗字がない

2016年03月26日 | 日記


 岩波新書の新刊「世界の名前」を買って、気になっていたことを調べてみた。
 ミャンマーの人たちの名前はファーストネームのみで苗字がないというのは本当か。本当だった。アウンサンスーチーさんを単にスーチーさんと呼ぶのは、ファーストネームを二つに切って一方だけを愛称のように使っていることになる。マスメディアが呼称としてスーチーさんを使っているのは短くて紙面を節約できるためにすぎない。
 ではミャンマーでは永遠に苗字をもたない民族であり続けられるだろうか。ミャンマーについての章を書いた筆者は、「姓の成立には至らない」事情を書いているが、私は姓が成立する要件は文明の進歩とともに生じてくるだろうと思っている。アウンサンスーチーさんの場合、アウンサンは父の名前、スーは祖母から、チーは母から受け継いでいる。父や母の名前を組み合わせて個人の名前をつくることは、すでに西ヨーロッパのラテン系民族の名前の作り方そのものだし、私たち日本人も家族の名前を苗字として受け継いでいく建前になっている。
 ミャンマーが都市化していくと田舎に住んでいた人たちが都市に流入し、「〇〇から来た××」と名乗ることになる。宮本村から来た武蔵(たけぞう)が宮本武蔵と名乗るのとおなじだ。「〇〇の息子××」と名乗ることもあるだろう。英語でマクドナルド、マッカーサーはそれぞれドナルド、アーサーの息子という意味だ。むかし国連の事務総長をつとめたウー・タントはミャンマー人だったらしいが、男性に敬称としてつけるウーと「清い」を意味するタン(ト)だけで世界的に通用していた。はたしてこれは続くだろうか。日本では明治になり、ほとんどの人に苗字がつけられた歴史がある。苗字をもつ必要性が生じたからだ。はたしてミャンマーではこの先どうなるか。30年先を楽しみにしよう。
 私が疑問に思いながら確認できないでいたもう一つの問題は、ハンガリー人の名前は日本人なみに苗字が先にくるのか、という点だ。これも正しかった。ヨーロッパではめずらしい。ハンガリー語自体がウラル語族に属し、インド・ヨーロッパ語族に属するのではないからだ。日本語の「白い家屋」では「白い」が「家屋」を修飾している。修飾語が被修飾語の前にくる。ヨーロッパのたいていの言語では、カーサ・ブランカ(家屋白い)のように語順が逆転する。そういう言語の特性が民族の姓と名の順序にも影響している、と「世界の名前」のハンガリーについて書いた章の筆者は主張している。
 苗字が先にくることにはメリットが多い。英語国の電話帳は苗字を基準にしてアルファベット順に並べてある。 
  Smith, Adams
とあれば、Adams Smithの名前の苗字を先に書いたことになり、コンマが姓と名を逆順にしたことを表すための重要な標識になっている。コンマがあるかないかで、姓と名が逆転してしまうので注意が必要だ。
 ミャンマーの人たちのように苗字がないのは不便だろう、ハンガリー人のように苗字が先にくるほうが便利だろう、などと考えるのは日本語に慣れてしまったものだけがいう言葉だろうか。