新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

室町殿、北山殿

2014年12月11日 | 日記

 室町時代といわれる時代があった。室町とはどこか。恥ずかしいことながら「京都〈千年の古都〉の歴史」を読んではじめて知った。一条大路の北に鎌倉時代、室町邸、西園寺邸など貴族の邸宅が立ち並んでいた。南北長期には崇光天皇が御所にした。それを足利義満が入手し新邸を造営した(c1376)ことで義満を室町殿と呼び、その時代を室町時代と呼ぶようになった。
 義満は東隣に相国寺を建設する。そしてその相国寺の東に高さなんと108メートルの七重塔をつくった。その約200年まえ東山山麓に建設された81メートルの九重塔をはるかにうわまわる目立ちようだった。相国寺境内の広大さとその寺格を天竜寺に次ぐ第2位においたこと、七重塔の際だつ高さなど足利政権が権威を誇示することに腐心しているさまがうかがえる。
 義満はまた西園寺氏の別荘を譲りうけ、北山殿を建てる(c1400)。ここに築かれた舎利殿がのちに禅寺にあらためられ、金閣寺と呼ばれるようになった。
 北山杉などでよく知られる北山は金閣寺の北西に広がる広大な森林地帯をいうようだが、北山殿という呼び方や義満が庇護することによって栄えた北山文化というときの北山は、金閣寺付近のことだと考えてよいだろう。