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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

キリスト教の司祭ファン・デル・ルフトの証言

2018-05-06 22:36:39 | シリア内戦

2011年4月13日に放送されたシリア国営テレビの内容を、アルジャジーラTVが紹介している。

====《Violence continues across Syria》=====

                      YouTube  Al Jazeera   2011/04/13

              <https://www.youtube.com/watch?v=Gwle0-pP7r4>

 

シリア国営放送によれば、デモの際に死傷者が多かった主な原因はムスリム同胞団による銃撃である。その証拠として、レバノンのムスリム同胞団から命令を受けた人物が国営テレビに登場し、告白した。彼は銃を与えられ、シリアに戻った経緯を語った。

「民主化を求めてデモをする市民と大統領支持派の若者の両方を射撃しろ、と私は命令された。私はデモが行われている場所に到着したが、私は同胞を殺傷することはできないと感じ、引き金を引くことができなかった」。

もう一人登場し、彼も「ムスリム同胞団に責任がある」と語った。「『デモは十分におこなわれている、もっと劇的な混乱を引き起こすす必要がある』と私は言われた。具体的に何をすればよいのか、と私が質問すると、彼は答えた。『武器を手に入れるのだ。銃やRPG(自動推進手りゅう弾)、そして戦車だ』。恐ろしい話をされ、私は自分の耳を疑った。すると『心配するな。多くの市民がデモに参加している』と言われた」。

2人の証言にとどまらず、シリア国営テレビはさらに続けた。

「レバノンの国会議員も武装グループを支援している」と述べ、別の人物がテレビに登場し、証言した。レバノン政府はこれを否定している。「我が国はシリアに干渉するだけの力はない。そもそもそのようなことを考えていない」。

=================(アル・ジャジーラ終了)

最初の証言者の話の終わりに、小銃とピストルの映像があるが、それらがどのような状況で発見され、押収されたのかについては何も語られていない。

2011年3月-4月、国外からシリアに持ち込まれた武器の量は限定的であり、それらの武器の大部分はレバノンの闇市場で購入されたものである。シリアでデモが始まる少し前からレバノンの闇市場ではライフルやRPGが飛ぶように売れていた、とレバノンの闇商人が語っている。資金がなければ武器を買えない。資金を持っていたのはムスリム同胞団などの組織力があるグループである。カタールはアラブ諸国のムスリム同胞団を支援しており、カタールによるシリアのムスリム同胞団への資金援助は2011年の春に始まっていた可能性が高い。

2011年3月23日政府軍がダラアのモスクを掃討した。作戦終了後、モスクに保管されていたライフル、手りゅう弾、現金(紙幣)が発見された。シリア国営放送はこれらの映像を公開した。シリアで最初に2千人を超えるデモが起きたのは、2011年3月18日のダラアにおいてである。シリアの最初のデモの5日後に、反対派の拠点に武器が保管されていることが判明した。

ダラアに続き、ホムスでも大きなデモが起きるようになる。ホムスにおいても、デモの最初から武装グループが存在した。これについては、オランダ人神父の証言がある。

シリアは神父の故郷である。彼はオランダで生まれたが、シリアでの生活のほうが長い。キリスト教イエズス会のファン・デル・ルフト神父は、シリアに50年住んでおり、ホムスでデモが始まった時、彼はホムスに住んでいた。神父は「最初のデモの時から、民衆の中に、武器を持た人間がいた」と書いている。ルフト神父は2012年1月にオランダのネットに投稿した。その英訳があるので、紹介する。

======《ファン・デル・ルフト神父の手紙》===

Father Frans on the Syrian Rebellion: The “Protestors” Shot First

         Posted by John Rosenthal

<http://www.trans-int.com/wordpress/index.php/2014/04/14/father-frans-on-the-syrian-rebellion-the-protestors-shot-first/>

多くのシリア人が現在の政権の下での改革に期待している。現政権に取って代ろうとする人々が民主的な政治をおこなうとは、とうてい思えない。多くのシリア国民は反乱を支持していない。カタールの国民でさえ、シリアの反乱を支持していない。現在シリアで起きていることは国民的な反乱ではない。大部分の国民は反乱に参加していない。現在の状況を正確に述べるなら、政権を奪取しようとするスンニ派武装グループが政府軍に戦いを挑んでいるのである。

最初から抗議運動は平和的とは言えなかった。最初のデモのとき、行進する人々の中に武器を持った人間がいるのを、私は見た。この連中が最初に発砲した。多くの場合デモ隊に紛れ込んでいた武装グループが最初に発砲したので、治安部隊が銃撃により対応した。

政権がアラウィ派とスンニ派の対立をあおっているか、他地域については、わからない。しかしホムスにおいては、政権はそのようなことをしていない。むしろ政府軍は両者の血なまぐさい闘争を抑止する役割を果たしている。政府軍がホムスから去ってしまうなら、内戦が始まるだろう。

バシャール・アサド大統領はキリスト教徒の代表者たちに支援を求めたことはない。キリスト教徒の多くが彼を支持しているのは、彼の政権が倒れるなら最悪の事態になると予測するからである。

   Father Frans van der Lugt

           Homs, 13 January 2012 

==============(ルフト神父の手紙終了)

ルフト神父は自分の目で観察したホムスの状況を語っており、貴重な証言となっている。国民の10%を占めるキリスト教徒にとって、イスラム原理主義政権の誕生は最悪であり、現政権以外の選択はない。国民の74%を占めるスンニ派の大部分にとってもイスラム原理主義は新奇で窮屈であり、望ましくない。イスラム原理主義政権は最初は嫌われるかもしれないが、彼らが清廉潔白で有能であれば、徐々に受け入れられる可能性はある。何割かの国民が現政権に不満だったのは、政権の腐敗と過酷な政治的弾圧が重なったからである。イスラム原理主義政権が国民に受け入れられる可能性は皆無ではないが、10%のキリスト教徒と16%を占めるアラウィ派やドゥルーズ派などからは拒否されるだろう。また国民の74%がスンニ派が戸いっても、その中の8%はクルド人であり、彼らの独立傾向は変わらない。イスラム原理主義政権の支持母体となるスンニ派アラブ人は66%でしかない。34%は非国民・異国民となる。また66%のスンニ派アラブ人はイスラム教の熱心な信奉者ではなく、部族社会の一員であるという意識が強い。200年後半、水不足により農業を捨て、都会に流れた農民は血縁・地縁により就職した。非正規・低賃金だったが、ともかく生き延びることができたのは、血縁・地縁によってたすけられたからである。

これまでの中央政権は部族の存在を認めて、地域の部族と交渉しながら統治してきた。従ってスンニ派アラブ人の大部分は部族の利害を優先して新政権に立ち向かうだろう。

2014年4月7日、ルフト神父は覆面の男に射殺された。

日本のイエズス会が追悼文を寄せている。

==《シリアのホムスで殺害されたイエズス会司祭》==

                                         2014年5月20日

ルフト神父は、2年にわたる政府軍による包囲によって頻繁な砲撃や必需品の不足などが続く旧市街にとどまり、反体制派掌握地域の住民との連帯を生涯かけて実践しました。ファン・デル・ルフト神父は今年2月、AFPの取材に対し、50年近く暮らしてきたシリアは自分にとって故郷のようなものだと語っています。同神父は、レバノンで2年間アラビア語を学んだ後、1966年にシリアに移住。イエズス会の修道院でキリスト教信者を率い、貧しい家庭には、イスラム教徒でもキリスト教徒でも分け隔てなく支援を行っていました。

2014年2月のインタビューでは次のように語っていました。「私はシリアの人々から寛容を学んできました。彼らが今苦しんでいるなら、ともに連帯したいのです。よいときを共にしたように、痛みにおいても共にいるのです」。

================(日本イエズス会終了)

コメント
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